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芸術家の意図を無視したアート鑑賞は身勝手なものになってしまう?


真知子:ねぇ、まめちゃん。やっぱ芸術作品をみてると作者の意図がなんなのか知りたくなるというか、そこを知らない鑑賞はただ好きなように自分勝手に作品をみているだけで、作品を理解したことにならないんじゃないかなって不安になっちゃうんだけどどうしたらいいの?


まめ:わたしがENDIAでやってる対話型鑑賞っていう手法は、作者の意図を探し当てるのが目的ではなく、私たち鑑賞者と作品の間に生まれる深遠なコミュニケーションを味わうという鑑賞法なんよね。全くアートに素養が無い方も楽しめるという魅力があるんやけど、だからこそ真知子が今くれた質問もたくさんされるよ。


真知子:美術館に行っても、なにもわからなかった状態で帰るのなんかモヤモヤしちゃうんだよね。


まめ:じゃあいきなりやけど
「画家」
「描いた」「絵の意図」
「片思いの相手」
「書いた」「LINEの目的」に例えてみよっか。


真知子:おうw


まめ:気になる人からのLINE。あれ?なんか冷たいなと感じる文面が届きました。どう思う?


真知子:この文章を送ってきた目的や理由ってなに?!わたしともうLINEのやり取りやめたいのかな!??!それともなにかテンションの下がることでもあったのかな!!?!!?!って焦る。


まめ:落ち着いて真知子wうん、もやもやするよな。相手のことがまだ全然わかってへん段階なら尚更、判断材料なさ過ぎて何が正解かわからへん。あれやこれや想像しても結論なんかでーへんよね。埒があかへんから直接相手に「この文面から冷たさを感じたんだけど、どういう目的や理由があったの?」と質問したとしよう。


真知子:まめちゃんつよつよだねw


まめ:まず1つ目の回答パターン「これはこういう目的や理由があって書いたんだよ」って相手が答えた場合、その目的、理由ってほんまに相手が100%言語化しきれた完璧なものやと思う?自分に置き換えて考えてみて。


真知子:そもそも自分が思っていることとか感じていることでさえ正確に把握するって難しいなと感じるよ。


まめ:複雑やんな。いろんな気持ちが混ざって、一言では言い表せへんもんになってるもんな。


真知子:あと言語化も難しいなって感じる。思ったことの数パーセントしか言語化できてないわ~!うまく伝えられてないわ~!って思うこといっぱいある。


まめ:うんうん。言葉でのやり取りが全てなのかって言われるとそうじゃないと思うんよね。
今の例を作品鑑賞に置き換えてみると、作品について作者が「こういう意図でこの作品をつくりました」って言語化してたとしても、それだけが全てじゃないってことも言えると思わへん?


真知子:なるほど~!


まめ:いじわるな見方かもしれへんけど、作者が言葉にしていることも全部嘘やったって場合もあるかもしれへんよな。


真知子:はっ!


まめ:あと関係性の浅さ、深さによってもみえてくるものが違うなと思ってて、ある程度の関係性が構築されてきたら、相手が言ったことの中に言葉になっていないけどこういうこと思ってるんやろな~こういうこと考えてるんやろな~って想像できるようになってきーひん?


真知子:わかる!


まめ:そやしまずは作品と時間をかけて向き合うことが意図や目的を情報として浅くインプットしてしまう前にやるべき大切な姿勢なんじゃないやろかって私は思ってるで。


真知子:うぉ~~時間をかけてゆっくりってことか~~~!


まめ:じゃあ次に、2つ目の回答パターン「何も目的や理由なんてないよ」って相手が答えた場合を考えてみよか。


真知子:目的や理由がないわけない!!!!何かがあったからいつもと違う冷たい文面になってるはず…!!!!って思っちゃうかも!!!


まめ:わかるwでもな、それってあくまで自分の価値観とか、自分が知ってる他の人の経験談との比較で思ったことやったりしーひん?もしかしたら相手にとってはその冷たい文面の方こそが日常なんかもしれへんよな。


真知子:言われてみたら確かに…!


まめ:でもやっぱりほんまは何か目的や理由はあるけど、相手が本心を伝えたくない場合も考えてみよか。これ、相手は全てを理解してほしいと思ってないってことやんな。でもこちら側は全てを理解したいと思ってる。つまりすれ違いが生まれてしまってるよな。


真知子:くっ…!身に覚えがありすぎる…!


まめ:理解するということが目的になってしまってると、理由とか意図とか答えみたいな確かなものを求めてしまうよな。でも大前提として当然わからないこともある、完璧に理解することはできないのが人やと思うねん。


真知子:まめちゃん悟ってるね


まめ:芸術作品も同じで、自分の価値観とか常識にない表現がされているとそこに、「なにか意図があるはず…!」って考えてしまいがちなんやけど、のうみそだけで作品つくってるわけではなくて、作家本人に意図はなく、創作の過程で自ずと生まれた場合もあると思うねん。手を動かしていたらそこに現れていたみたいな。


真知子:ひらめき!みたいな感じかな。


まめ:うんうん。その自ずと現れた部分こそがその作家たらしめている、個性や魅力として解釈することもできるかもなぁ。


真知子:確かに、自分では自覚してなかったけど、周りから見たら、「それ、真知子しかしてない動きだよ」とか言われたときに、これがわたしの個性か…!って気づかされたことがあるなぁ。


まめ:どんな動きやねんwそんなわけで、意図のような何か確かそうなものを得ようとするんじゃなくて、わからないということや複雑さを許容するってこともまた1つ、作品や作家を理解することに繋がる姿勢なんじゃないかなって思ってる。


真知子:「わからない」って気づくことからがはじまりって感じがしてきたよ!


まめ:というわけで「なぜこんな絵を描いたのか意図がわからないと作品を理解できたことにはならない」という考えを「なぜ冷たい文面なのか言語化して目的や理由を伝えてくれないと、あなたのことが理解できたことにはならない」に置き換えてみたわけやけど、すごい難しいこと要求してるなってことが想像できたよね。


真知子:うむ。


まめ:おもしろいよな。うちら言葉をすごく信用してるんやんな。でもほんまに作家が作品を生み出していく中で残した「言葉」だけが全てなのか。そもそも作品を理解しきるということが可能なのか、そこを一度疑ってみてもいいのかもしれへんな。


真知子:「理解するとは?」ってことを改めて考え直す時間になったし、美術館行っても「わからない」ことに不安を感じなくてもいいんだ~って思えた!まめちゃんがやってる対話型鑑賞はこの投げ出してしまいそうな「わからなさ」に1人じゃなくてみんなで取り組める心強さとおもしろさ、わからないからこそもっと知りたい!に意識が変われる魅力があることに改めて気づいたよ!うぅううぅ!早速鑑賞がしたい!やろうまめちゃん!


まめ:よ~し!みんなを招集だ~!

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ENDIAとは

アートへの理解を深めながら、同時に凝り固まった視野を広げ、予測困難な時代を自分らしく生きていくための力もしっかり養っていきます。
少人数制×オンライン×1回完結の【単発レッスン】です。全国どこからでもお気軽にお越しください♪

【2023.10 レッスン概要】

【開催日】
2023年10月
6日(金)21時~22時30分
18日(水)21時~22時30分 
22日(日)20時~21時30分

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