【ネット考察】情報過多と溶けていく脳みそ
本日体調不良のため過去記事の加筆修正記事です。
高校生からホームページとやらを手打ちで打っていたインターネット老人会の私が、移り変わるネット社会を体感して思う。
昨今のネットは、本当に危険に思う。
この世は「情報過多」だ。
昔はひとつのことを調べる時、学生の頃は辞書を使った。
ネットが普及してからは、検索してなんとかそれらしいサイトを見つけたり見つけられなかったり。
図書館や本屋で調べたり、それでもなかなか答えを見つけるのに苦労したように思う。
現在では人との距離が良くも悪くも密着しすぎているソーシャルネットワークを基盤としたネット社会の中、秒速で情報が流れてくるようになった。
すぐに流れてしまうタイムラインを眺めるのが日課になっている現代人は、無意識に文字を読む癖もついただろう。
文章というものは本当に、良くも悪くも人の心を奪うものだ。
感動を与えることもできるが、巧みに人を騙すことだって容易だ。
最近、そういった「悪い文章」に気づかなくなっている人が多くなっているのではないかと思う。
人の心理をついた巧みな文章というのは、いろいろな場所で毎日のように流れている。
私が気になるのはこのネット社会にいる人たちの「思考停止」である。
昔ならよくあった「そんなもん釣りだろ」みたいな文章に、簡単に信じ込んでいる人が多すぎるのだ。所謂マジレスが多すぎる。
年々、人は真実を読み取る力が極端に落ちているのではないか?と感じるようになった。
スピリチュアルだってそうだ。情報過多でどれを信じたら良いのかわからないこともあるだろう。
人の不安な心につけこみ、フォローやRTで願いが叶う等をあおる詐欺師の手口がTwitterやFacebook、Instagramなどで常日頃蔓延しているが、それを信じてしまうこと自体を問題視することが出来ないのだろうか。
RTして願いが叶うと、本当に思うか?SNSなどただのツールだ。見ず知らずの人に願いが叶うよう祈る人が本物だというならば、おそらく近いうちに命がすり減り死ぬだろう。
それほど念というものは、魂を削るものだ。だから、本物は本当に必要な時しかやらない。
自分の命が何よりも大切だから。そういう知識を、調べようとはしない。
それから信者を作る手法も、人々の思考停止のもとに成り立っているものだ。
「その人が言うからきっと正しいのだろう」
「この人がこういうからこの考えは素敵なものだろう」
そういった刷り込みをされていても、現代におけるネットでは誰も気づかない。
おそらく情報量が多すぎて、取り捨て選択をする能力が鈍ってしまっているからだろう。
わからないことを調べる前に先に情報が入ってくる現代。
あなたが見ている「憧れの人」は
本当に本来のあなたの考えと合致しているのだろうか?
常に一度、「これは本当にいいものなのか?」「正しいものなのか?」と考えて、自分の欲しい情報を掴んでいく癖をつけていかないと、情報過多の波に飲み込まれてしまうだろう。
もちろん私のこの文章も、「その通りだ」と思わなくて良い。
共感してもらえるのは嬉しい。
だけど、そこから自分はどう思うのか自分自身に問いかけてみるのもやめないでほしい。
本当の自分がわからなくなるから。
「便利な世界」に脳が溺れていかないように
山口葵
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