批判されたい
いま、
「批判されたい」と思っている。
人の目を常に意識し、評価されることを恐れ、
大切な人にも意見さえ求められなかった人間が、
急に、「批判されたい」と思っている。
起爆剤は、
福岡から上京してきた友人と、その友人(まさかの初対面)と、3人
夜通し語った日のこと。
友人とその友人は、福岡の同じ専門学校に通っていて
友人(以下 S)は映像
その友人(以下 T)は写真
と、それぞれ別の学科で学んでいる。
Sとは去年の夏に知り合っていて、
今回はひょんなことで、3人で酒を交わすことになった。
外側の人間を代表して、わたしが客観的にふたりを見るとすれば、
S → 映像を学びながら個人的に写真もやっていて、他、本や音楽、映画などのあらゆるジャンルに視野があるとこが強み。いつも勝手に言ってるけど、プロデューサーとかDっぽいのが面白い。
T → 幼い頃から写真に魅了され、とにかく写真を撮りまくっている。そして何より、本当に楽しそうに撮るとこがいい。もちろんセオリーもしっかりしているんだけど、その上での直感的感性(?)が強み。生粋の、芸術人間やと思う。
こんな感じ。
二人とも、それぞれ違った強みがあるのが、いいのだ。
「芸術作品を創る」ということに目標はありつつも未だどっぷり足を突っ込めてないわたしにとって、ふたりの交わす言葉はとっても興味深く、ひとつひとつが貴重なものだった。
ハタから聞いているだけなのに、「うっわ〜、なるほどな」「そうやって考えるのか、ふむふむ」という発見と学びの大渋滞が起こってしまうくらいに。(本人たち、気づいてないだろうけど)
そう、それで、
「何故、わたしが『批判されたい』などと思ったのか」
という話なのだけど。
そんなふたりが繰り広げた会話のなかに、特に印象に残っている部分があっる。
Sの卒業制作(数分の映像作品)を3人で鑑賞した際、
わたしは素直に「ああ、これいいなあ」と思った。
それに、「作品は数分だけれど、この裏にたくさんの努力が詰まってるんだろうな。こんな作品を、企画して、形にするの、すごいなあ。わたしも企画してみたい〜」なんていう思いもあった。
だからわたしは、Sに対して「いいね」と声にした。
Sの努力などに対して、わたしは感想を述べた。
しかしながら、Tは違った。
「二年間の集大成である卒業制作に対してかける言葉じゃないかもしれないけど、」
という、ことわりを、きちんと述べてから
おそらく誰もが気にするであろう部分を、的確な表現で指摘したのだ。
例えば、それがわたしに向けられた言葉だったとしても、
全然、嫌味を含むようなものじゃなかった。
そして対するSは、それをきちんと飲み込む。
飲み込んでから、自分の意見をきちんと言葉にして返す。
「返す」と言っても、押し付けるような「返す」ではなく、なめらかな弧を描く、言葉のキャッチボールである。(古人、「言葉のキャッチボール」とはよく言ったもんだな。)
実際のところ、ふたりがその時どう思っていたのかは、本人たちのみぞ知るところではあるのだけれど。客観的立場のわたしは、ハッキリとその「批判し合う」ことを「素敵だ!」と思ってしまった。同時に、そんな関係を非常に羨ましいと思った。
「わたしも、わたし自身やわたしが生み出したものに対して、的確に批判されてみたい。わたしが良いと思っているものが、他人の目にはどう映っているのか、ほんと知りたい。このままだと、コンテンツの質に限りができてしまう。ひとりよがりで終わらせたくない!」
「批判」って、よく、意味を捉え間違えられているな〜と思うことがあるけれど、本来は
【 良い所・悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。/誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。 】
という意味であることを、忘れてはいけない。
大切なのは、「論じること」という部分にあると思う。
しっかりとしたセオリーを持ち合わせていないことには「論じること」はできないのではないだろうか?
例として、巷のSNSでよく見かける「論の無い批評」。
論がない限り、ただの「誹謗中傷」に過ぎない。自分に向けられた言葉でなくても、やっぱり悲しい。ああいったことをいとも簡単に他人に振りかざす人間が、この世には確かにいる。
そういったものをよく目にしていたからこそ、わたしはわたしのなにかしらを評価されることに恐れを抱いていたのかもしれないと、書きながら気づいた。
けれども、ふたりが打破してくれた。
「批判されること」に対する負の感情を、希望に変えてくれた。
メンタルは人並みには強くないわたしだけれど、理がかなっていたり筋の通っていることは大好きだし、そういったことを突きつけられた時、しっかりと受け止められるような器量のある人間になりたい。
あの日、Sに対して「いいね」と言ったわたしは、
少し残念な人間だったかもしれない。
批判される経験を十分にしてこなかったから、わたしは他人に批判することができない。今のわたしには、そんな自信もない。
SとTのように、「批判し合う」関係こそ、成長するのだと思う。
いわゆる、【 切磋琢磨 】なんて言葉に押し込めてしまうにはあまりにももったいないような、ふたりのアツい関係がわたしは好き。
いつかわたしも、
批判され、批判したい。
- aoiasa
20190226
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最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa