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麦わら帽子は初夏に咲く

桜餅や牡丹餅に頬が落ちる三月は、旅への準備、別れの季節。
春風に舞う桃の花が美しい四月は、新たなる航海と出会の季節。
そして五月晴れの蒼天に逞しく泳ぐ鯉のぼりにふと見惚れ、甘夏が恋しくなる五月は、休息と再会の季節だと思う。

外に出ると、普段は見かけない子供達が黄色い歓声をあげながら走り回っている。
とても長閑な風景である。

この時期になると、いつも思い出す懐かしい出来事がある。

五年前の四月、息子が高校進学の為、初めて親元を離れることになった。
市内にある私立高校で、新しい寮生活が始まった。
実家を旅立つまでの春休みの間は、洗剤や洋服を一緒に買いに行ったり、下見も兼ねてバスや市電に乗ってみたり、希望溢れる、そしてどことなく寂しさ募る引っ越しの準備期間だった。

私も最初は息子のことがとても不安で心配で、ちゃんと朝起きれるのかな?
友達とは仲良くやっていけるのかな?身の回りのことなんて実家ではなんにもしていないのに、寮の集団生活が人並みに出来るんだろうか?次から次へと気がかりな種が芽生えて来るので、ひとりやきもきしていた。
本人に至っては、よほど自信があるのか何も考えていないのか、入学式が近づいても普段と全く変わらず庭でネコと遊んだりゲームをしたりと、自分の子ながらこういうところは父親に似ず強心臓の持ち主だなぁと、少し頼もしくも思えた。

入学式の少し前に寮の説明会があり、希望する生徒は二日前から宿泊出来る旨を伝えられた。
「パパ、おれ試しに泊まってみようかな?洗濯とかも出来るし、ご飯も三食ついてるけん多分心配いらんよ。」
と勇ましい発言に私もびっくりした。

夜、私がホテルでくつろいでいると息子から電話があった。
前もって寮に泊まる生徒が息子以外には誰もいなかったらしく、さすがに広い食堂やお風呂をひとりで使うのは心細いから、自分もホテルに泊めてほしいとのことだった。

「だけん言ったろ?絶対そんな感じになるって思ってたから、パパは気を利かせてツインの部屋予約してたけん」

と笑いながら迎えに行くと、息子も少し恥ずかしかったのか頭の後ろを掻きながら下を向いて顔を赤くし、苦笑いをしていた。

入学式が無事に終わると、お昼の休憩を挟んで入寮式が行われた。

食堂には保護者と一緒に、初々しい新一年生がいっぱいだった。
私も同じように母に連れられ緊張と期待、それにも勝る不安の中、母の隣に座っていた昔の記憶を辿っていた。

ひと通りの説明の後、寮監から話があった。

『生徒の皆さん、今日は入学ほんとうにおめでとうございます。
寮生活が始まる訳ですが、そんなに緊張しなくていいですよ。
高校生活、どんなイメージを持ってるかな?
部活動、勉強、学院祭、いろいろやりたい事、挑戦したい事、たくさんその頭の中に想像してほしいです。そしてその“想像”を、ただ頭と心の中に置いて眠らせるのではなく、実際に自分で、そして今隣にいる新しい友と一緒に、ぜひ、“創造”し、実現させて下さいね。
私は、ここでは立場上は寮監だけれど、みんなの父親だと思っています。
だからみんなは、ここではね、こんな老いぼれだけれど、私の子供なんだ。だから、もし何かあれば、私はこの命と誇りにかけてもみんなを守ろうと思っています。ひとつだけ、みんなにしっかり分かってほしいことがあります。私も含め、寮監には感謝はしなくてもいいです。
私達は、みんながいてくれるおかげで、ご飯が食べられています。
みんながこの寮に入ってくれたから、給料をもらえるし、それで家族を養えています。だから感謝すべきは私達の方です。
しかしながら君達は、自分のお父さん、お母さんにはいつも感謝の気持ちを持っていて下さい。あなたをこの高校、寮に入れる為にはたくさんのお金がかかっています。
自分達の着る服を辛抱したり、食べたい物を我慢したり、みんなが知らない努力と節約をいっぱいして、こうしてあなた達を送り出してくれています。
お父さんお母さんは、愚痴を言いましたか?
しかめっ面でここにいますか?
みんな笑って、あなた達の晴れ姿を喜んでくれているでしょう。
大事な息子を手放して、寂しくて心の中では泣いているかも知れない。
毎月の学費や寮費はどうしようか?と、あれこれ考えてるかも知れない。
なのに大事なあなた達の今日と、明日からの未来の為に、見てご覧なさい。ニコニコと笑っておられます。それはなぜだか分かりますか?
あなた方のことを愛しておられるからです。
大切に思っておられるからです。だからご飯を食べる時も、部活で遠征に行く時も、心の中でいいから、感謝の気持ちをそっと、持ち続けて下さい。
もしそれが出来るのなら、あなた達はもう一人前の大人だと思います。それをこの寮生活で学んで下さい。』

自分の今までの人生で聞いた、どの話よりも素晴らしかった。

自信と誇りと愛情を持って、こんな言葉を言える人になりたいと思った。


ゴールデンウィークが始まり、入学して以来初めて息子が帰省した。
髪型も垢抜けていて、成長したようだった。
吹奏楽部に入ったこと、先輩に連れられいろんなお店に行ったこと、今までは苦手だった抹茶のアイスクリームが好物になったことなど、たくさん話をしてくれた。
少し背も伸び、どこかしら雰囲気も逞しくなったような気がした。
誇らしげに都会の様子を語ってくれるので、
「そうねー、すごかねー!」と聞いていた。
中学三年の娘も、来年は同じ高校を受験したいと言い出した。
私は頭の中で給料や貯金の計算を始め、少し言葉に詰まってしまった。(翌年、娘も同じ高校へと進学したので、合格発表の日はガッツポーズをしながら頭の中で計算をしていた)
それでも四月に飛び立った小さな燕が、ほんのちょっぴり大きくなった翼を休めに帰って来てくれたことが、とても嬉しかった。

連休が終わる頃、息子を寮まで送った。
途中のスーパーで、お菓子やカップ麺、ジュースなどをまとめてたくさん買い込んだ。
娘もお兄ちゃんを見送りたいと言って、一緒に寮までついて来た。

駐車場に着くと、あの寮監の先生がひとりで寮周辺の草を取っていた。
額には大粒の汗をかいているのが分かった。
首には赤いタオルを巻き、背中も汗で濡れていた。

「これはこれはお父さん、ご苦労様です。おや、こちらは娘さんですね。どうね、ほらあそこには女子寮もあるよ!お兄ちゃんと同じ高校を受験してみないかな?楽しかよー。」

そう言いながら娘の方を見て笑ってくれた。

「暑い中大変ですね」と私が言うと、

「いやいや、これも仕事なんですよ。お父さん、この草や雑草なんかも、生まれて来たからには何か意味があって、この草を必要としている生き物がいると思うんですよね。人間の勝手な判断で邪魔者扱いしてますけど、一生懸命生えてるんですよね。いつか地球が焼け野原になった時、こういう雑草が生えるようにって人間は努力すると思いますよ。
たくさんある時は取り除いて、無くなれば植える。人間ってなんかこう勝手ですよね。あ、お父さんも妹ちゃんもどうぞどうぞ、食堂でアイスコーヒ飲んで行って下さい。」

使い込まれた軍手に隠れてよく分からなかったが、綺麗に洗い、美味しそうなコーヒーを運んで来てくれたその寮監の手は、とても大きくゴツゴツとしていてまるで立派なグローブのようだった。

「本当に偉い人は言葉だけじゃなくてその人の手を見れば分かる。」
と、父がよく言っていた。

「きれいな格好して偉そうにあれこれ言うような大人にはなるな。口だけ達者な人間にはなるな。うわべだけの人間は最初はよくても後からは誰も相手にしなくなる。米を作る人の気持ちを知りたかったら自分も汗水流して一緒に田んぼで米を作りなさい。魚を取る人が何を思うか分かりたいなら、一緒に船に乗って日焼けしながら魚釣りをしなさい。」
と、幼いころ母に教わった。

その言葉を、なんでか思い出した。

私は今まで、
「自分は最愛の妻を亡くしているし、バタバタしながら二人の子育てもちゃんとしている。どんな人より苦労や辛さを知っているから誰にも負けない」と、いつも自分を奮い立たせてやって来た。
そしてそれを強さだと思っていた。
それだけでいいのか?
自分の父や母、妻の両親に心から感謝の気持ちを持っていただろうか?
辛いのは自分だけだと、思い上がってはいなかっただろうか?
誰に対しても謙虚であっただろうか?
きつい顔、辛そうな顔で被害者ぶってはいなかっただろうか?
「ありがとう」という気持ちを常に持っているだろうか?
自信過剰になり、驕り高ぶってはいまいか?

そんなことを考えながら息子を見送っていた。

五月は休息と再会、そして学びの月だと思う。
間もなくして子供が帰って来る。
また少し成長した姿を見て褒めてあげよう。
帰省してくれたことに感謝の気持ちを伝えよう。

私は今、人生という長い旅路のちょうど半分くらいに立っている。
楽をせず、大粒の汗を流しながら、泥臭く、不器用に生きたいと思う。
カッコ悪くても笑われても、雑草のように誇りを持ち、決して諦めず、やがて死ぬ時がやってくるまで粘り強く生きたいと思っている。

五月晴れの空の下、駐車場で草取りをしていたあの寮監のように、
大きな背中で語れる人になれるだろうか。
麦わら帽子とタオルの似合う、
立派な父親になれるだろうか。

あんな大きな手に、私もいつかなれるだろうか。





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