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別に学校に行けなくても人生どうにでもなる、って守護霊と元不登校から一言

この記事はほぼ毎日、守護霊と喋ってる人が、
守護霊とした会話の文字起こし文章です。
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アニヤハロム【💎】/ パラヴァナ【🦅】


💎:タイトルには一言って書いてあるんだけど、多分二十言くらい行くんじゃないかな?笑笑

🦅:そう?私はもう答えは出てるから。

💎:わお、頼もしいね。 不登校については以前書いたものがあって、ありがたいことに当社比(←ここ重要)でバズった比較的読まれたんだけども😅、今回はもう少し違う視点から考えたいと思ってさ。

💎:9月1日は子供の自殺者数が断トツで多いって発表されたのが、調べたらもう2015年のことだった。ほぼ10年前の話だから、今はどうなっているか分からないけど、夏休みが終わる時期になると毎年子供の自殺の話を思い出す。
もう何年も前のことだけど、テレビで不登校になった小学生を取材した番組を見かけて。うろ覚えなんだけど、そこでその子のお母さんが、息子が「生きてる意味がない」って言い出した、って涙ぐみながら話してた。聞いた時、すごくこの台詞に共感しちゃった。本当は共感しない方がいいんだろうけど…。
ハロムは不登校になったのが高校の時で、大学はなんとか頑張って通って単位も取ったけど、通学にあまりに疲れ過ぎて、就活どころじゃなかった。結局、就活は一切せずに卒業した。そしてニートになって何を思ったかって言えば、学生だった16年間、人生を無駄にしたと思った。それこそ、こんな時間しか過ごしてないんじゃ、生きてる意味がないって。今は小学生ですら、そう思える子がいるんだってことに、逆に感銘を受けた。そう思ったなら、逆にまったく違う、学校では絶対に体験できないことを頑張るきっかけにできると思う。ハロムが子供だった時代は、子供ごときが生きてる意味なんて考えるわけがない、って偏見が蔓延ってたよ。
大人になった今だから言える。学校が辛い、または好きじゃないなら、とっとと出ていって自分の本当に好きなものを探したり、挑戦する方が全然いいって。
学校を辞めたって人生は終わらない。 人生を無駄にした学生時代って思う度に、これからをどうするか考える。まだ大学を卒業して10年も経ってない。多分同級生は結婚したり出産してる時期に差し掛かってると思う。でも学校に行ってた時間、全然充実した自分だけの時間を過ごせてなかったから、今度はもっと自分が生きてるって思える時間を過ごしたい。今はまだ自分以外のために生きてる場合じゃないって思う。
そろそろ、学校で学ぶこと自体を考えなくちゃいけない時代になってきてるんじゃないのかな。その後の人生についても、もっと選択肢は色々あるって教えられる場所が必要だよ。

🦅:学校はもう、今の時代には合わなくなってしまった人は細分化しているの。これは何でもない、時代の流れだし、進化という意思ね。私からすれば、不登校児童が増加しているのは何の不思議でもない。
何となくの場のノリで、雰囲気だけで人付き合いができたり、その場にいられる子は今でも学校に行ってる。でも人間、そういう人ばかりじゃないでしょ?家にいてもやることがない時代とは違う。学校で仲良くしたいと思える子がいないなら、行く必要がないと感じるのも自然。同じ雰囲気を共有できない子を排除しようとする子もいる。だからいじめも起こるし、教室の雰囲気は一層悪くなる。
無理をして通うことは、学校に行ける子にとっても、行きたくない子にとってもタメにならないのよ。

💎:そうだよね。例えばいじられたり、いじめられたりした時でも、単純に誰が被害者で誰が加害者、っていう考え方で考えることには意味がないと思う。学校という場所において、どの子にもエラーが起きてるから問題に発展したって考えれば、解決の第一歩はとにかく行くのを止める、ここから始めなきゃ、誰もが消耗したまま時を過ごすことになると思う。もちろん、不登校の原因がいじめではない子もいるけど、その場合でもやっぱり、まずは行くのを止めることから始まるんじゃないかな。
学校に行かなくなることが、最終段階のような捉え方をされているのが、意外と納得できなくてさ。子供が辛くて限界を迎えているように見えるから、学校に行きたくないって言い始めたら瀬戸際、って感じに考えるんだろうけど、実際それは中盤くらいの出来事で、起承転結の転くらいというか。考えるべき問題はまだ残ってるから、その解決に取り組むために学校を休む、って思った方がいいような気がする。
実際、ハロム自身が不登校問題と、そこからくる精神的な問題が完全に解決したと感じたのは大学卒業から2年くらい経ってからだった。不登校の本当の原因が学校に無い場合、自分の人生の中に理解すべき問題があって、その一部が学生時代に表面化した、ってだけなんじゃないかな。
不登校のほとんどが、学校が問題の原点ではない子ばかりな気がする。だとしたら解決は学校をやめてからも続く。自分も約10年がかりで終わったんだもん笑。人によっては20年くらいかかるかも。

🦅:分かりやすく言われるのが、例えば学習障害がある、学習面も含めてコミュニケーションの欠如や空気が読めない、感情が抑えられないといった発達障害がある、とても感覚が鋭敏で繊細だからHSP、というもの。
でもどういう名前で呼ぶかはどうでもいいの。
大切なのは、その子にはそういう特性があって、それによって得意なこと、不得意なことがあるという事実を知ること。その子自身も知らなければいけないし、その家族も知らなければいけない。むしろ大勢の中にいたから、自分がそういった特性や特徴、または才能とも呼べるかもしれない何かを持っていて、明らかな違いがあると分かったんだから、それなら自分には何ができるのか、何をしたいのか、をもっとはっきりと意識することができる。
大勢の他者と一緒にいるというのは、大勢の他者と群れるためじゃない、団結するためじゃない。自分がどういう人間なのかを知るために、大勢の他者を見る必要があるの。
だから、自分と他者の違いをある程度知ったなら、学校なんてもう用済み。あなたが言ったように、とっとと出ても構わない。でもあなたが言う通りに、学校を出ても人生は終わらない。自分との付き合いは一生続く
だからこそ、まだ子供のうちに、若いうちに自分自身のことを少しでも知っておけば、その後の人生はもっと上手くいく。

💎:考えれば考えるほど、今じゃ学校に行かないことの何が問題なのかよく分からなくなっていく笑。世間の人は何を問題視しているの?全然分からない。
学力やコミュ力がつかないって思ってるのかもしれないけど、勉強も人付き合いも、何とかする方法はいくらでもあるよ。
逆にちゃんと学校に通ったのに学力もコミュ力も何とかなってない人に出会いまくるのはなんでなの?笑。
大学の授業の時、極東にある国が何か知らない生徒がいたよ。に…にに、にほ、日本だよね……?そ、そうか……!きっとその人も不登校OG~♪😂😂😂

🦅:だから、自分の足りないところが、学生の間に浮上しなかっただけで、そういう人は社会に出ていつも困難を抱えているのよ。

💎:なるほど。もう二度と行けないと決まったわけじゃないし、合う学校もあるはずだよね。中学の時に通った塾には、中学三年間、塾しか行ってないって子がいたよ。でも成績は上位だった。近所の中学のバカなやつらに合わせるのに嫌気がさしてたのかもね。
子供のうちに学校に通ってて受けられる良い影響って何?

🦅:自分が子供だったとしても、他の子供を見ることは有益ね。人は子供時代には素の自分で過ごす。本音で行動する。そういった人の本心からの思考や行動を見ることは、その後大人になって他者と過ごしていく上でとても重要になる。それから、両親以外の大人を見るのにも良い機会になる。教師は両親のように子供を甘やかさないし、完璧な存在でもない。家庭とは違うルールで動く大人がいるんだということも、学ばなければいけない。

💎:じゃあ悪い影響は?

🦅:とても画一的なこと。本来は全員がまったく違う人間で、些細なところですら同じではないのに、ずっと学校で過ごしているうちに、暗黙の了解に自分を合わせようとしてしまう。学校ではルールに合わせ、一人の時は本心で過ごせるならそれでいいけれど、特定の環境にいるうちに自分の本心を忘れてしまう人は多い。

💎:学校に行けなかったら終わり、みたいな常識というか、固定概念を壊したいな。別に終わらないじゃん。いや、終わらないのが辛くもあるんだけどさ。学校に行けなかったら終わりなのに命は続いてるから、死にたくなっちゃうんだと思う。
ハロムも、学校に行ってる間は、学校は自分の本当の価値を認めてないと思ってたのに、行けなくなってみたら、本当に自分って価値のない人間だと思った。学校に行けなくても何も問題ないって思えなくなってるから、みんな苦労するんだよね。とっとと出ていってもいい場所だって、どうやったら思えるようになるんだろう。

🦅:どこかに行けなくなるだけで自分の価値を失うことなんてないから、大丈夫。
学校以外の子供のための世界を知らないせいよ。知らないから、他に行ける場所がないって思ってしまう。
子供は学校に行く以外のことをする必要はないし、学校に行く以外に能力がないと思っている大人。これ、何と似ているかあなたは知っているでしょ?定年後に鬱になる男性のことよ。会社に行く以外のことをする必要はないし、会社に行く以外に自分には能力がないといつの間にか思い込んでいる。
特定の場所に行きたくないだけで泣いたり叫んだり、わざと危ない行動を取ったりする時点で、それはもう精神的な病気に罹っているのと同じようなものなの。子供の姿だからそれを連想しないだけ
人間は子供のうちから、大人と同じように心の病にかかるし、大人と同じようにものを考えることができるし、大人と同じような行動を取ることもできる
もっと子供についての知見を深めるべきよ。

💎:あー、やっとモヤモヤの答えが出た気分。子供だから分からないとか、特別な何かがあるって考えるから答えが出ないんだな。大人と同じように考えたらいいのか。
違和感はずっとあった。今は小学生でも自殺する時代になった。クラスメイトを大人が使うような方法で暴行する子や詐欺をする子もいるし、子供だからって未熟で無能なわけじゃないって事例は報告されてるのになぜか、子供はこういう生き物だから〜、って子供だけを大人とは違うように考える癖が大人にはある
不登校もいじめも、子供特有の行動というわけではないのかも。子供でも自分で考えて選択したり決めたりできるのは当たり前だけど、能力の発達が低年齢化してるって考えたら、思い当たる節はたくさんある。
すぐに賢くなってしまうから、逆に学校なんかに通っていられない子が増えちゃったのかな。

🦅:今40代以降の大人は、10歳の子供でも、彼らの感覚からすれば中学生くらいの知能を持っていると考えた方がいい。あなたは正解。子供でも大人であるかのようのに対応、対処する。
人はどんどん早熟になっている。これも進化の一つだから、喜ぶべきものであるはずなんだけど、変化が早すぎて追いついていない人がまだまだ多いのが現状。
子供でも、きちんとメンタルヘルスのことを考えてケアしていく必要があるし、児童問題、と聞くと頭が煙に巻かれたようになってしまう人が多くいるようだけど、今や児童は問題に巻き込まれる対象だけでなく、問題を作る存在にもなっている。
これが大人ならどう扱うか、どう考えるかをそのまま子供に当てはめていけば、対処はずっと楽になると思うけど。

💎:そうかもね。不登校だったら、会社に行けてない大人、みたいに考えてみれば選択肢は色々あることに気づく。カウンセリングや治療が必要かもしれないし、別の会社(学校)に転職(転校)することで変わるかもしれないし、仕事(科目)へのスキルが足りていないなら違う勉強が必要になる…。
考えてみれば単純なことになるのかな。子供に、大人だったらこういうことする、っていう選択肢や知識を与えられるような環境があったら、追い詰められる子は減るのかなと思うよ。結局、大人の方が考え方を変えないといけないっぽいね、どうやら…。
大人が作る社会のあり方が、新しく生まれてくる子たちに合ってないような気がする。やがてはその子たちも大人になるけど、どういう大人になるのかなって思うことがある。
ハロムも教育現場にいる大人の端くれ😅、だから色々思うところはある。今の子は確かに早熟で、記憶力も高い子が多い。色々知ってるし、言葉遣いも、大人が想像するようなバカっぽい子は少ない。でも手先が不器用で集中力が低いなと思う子は多い。とにかく気が短くて、人の話をじっくり聞いたり、何かを観察したり、真似をして試してみる、みたいな力が低下している感じがする。
でもそれを今の若いもんは、みたいに偉そうに言う資格はうちらには無いよね。だって先に生まれた人たちが作った環境がそう育てている面もあるだろうから。新世代の子たちの特性を理解できないせいで、色々な問題が噴出してるのかもしれない。

🦅:世代が進むごとに、できることが少なくなるのは仕方がないことだと思う。だって時代は便利になる。便利になればなるほど、人間は面倒なことを手放して、技術や金の力で解決するようになる。何でもすぐに提供されるから待てないし、手を使わなくても機械がやってくれる。時間のかかることをする機会自体が少ない。
その代わり、もっとメンタル面で気をつけるべきことが増えた。人と衝突することのリスクを避ける子は全体の割合で見ても、あなたが子供の頃の半分以上増えていると言っても過言じゃない。小さい頃から思っていることがあっても言わないし、トラブルになった後が大変なことを子供ながらに意識している。誰かが嫌なことや目立つことをしていても、関係ないという態度で過ごすことが日常になっている。
リスクを避けるあまり、他人がどういう人なのかを知らないの。人を見る癖がない。だから当然、自分のこともよく分からない
学校に行けなくなったなら行かなくてもいいから、自分と嫌いな誰か、またはその集団の雰囲気と自分のどこが合わないのかをしっかり考えてほしい。トラブルというのはイレギュラーということでもあって、日常が問題なく機能している時には気づかないことに気づけるのが、イレギュラーな機会なんだから、これはありがたいことなのよ?これを避ければ、いつまで経っても同じ問題に出くわす

💎:人との密接な関わりに耐えられない、って子も出てきているような気がするんだよね。人間関係は面倒なものだけどさ。
ハロムも学生時代の友達と連絡を取り合わずにすでに数年が過ぎて、全員ハロムのこと忘れてると思う笑。
正直、学校にいる時は共通の話題もあるんだけど、それも内心、どうでもいいことばっかりなわけよ。別に興味はない。でも反対意見を正直に言える空気感も無いし、人に反感を持たれると大変だしさ。自分が良いと思ってるものに対しての反対意見は絶対聞きたくない人が大半だから、だったら家で同じ趣味の友達とオンラインで会った方がストレスがない。
現実の人間に会うのが、どんどん気が重くなっちゃうと思う。ネットのない青春時代を過ごした親世代には理解できない世界観かもしれないね笑。

🦅:人は、そこにいる人数が少なければ密接に関わろうと頑張るものよ。多ければ密接には関わらないけれどトラブルも起こらない。学校も人数が何千など膨大なら、逆にいじめや友人間のトラブルは少なくなっていくはず。
それは別として、人と密接に関わりたくないと思っている人はそんなにいないと思う。そんな不思議なことを考えるあなたみたいな人は少数派。
仲良くしたい、雰囲気やノリに参加したいとは思いつつ、どう参加していいのか分からなくて戸惑っているうちに、どんどん周囲から置いていかれている感じがして、それが辛くなってもう学校に行きたくない、になる子も一定数いる。
ネット上の付き合いでは、相手の人となりや日常を全部見られるわけじゃないから、本当に限られた話題やネタだけで盛り上がれて、雰囲気やノリをそこまで気にしなくていい。だから周囲についていけないタイプの子は、ネット上の付き合いにはまり込みやすいのは考えられる。

💎:雰囲気やノリに参加できないのは何が一番大きな理由なのかな?

🦅:それは人によって、感覚や考え方、ものの見方で理由は変わるからこれといった答えはない。
でも一つには、面白い空気感に理由は要らないのに、これはどういったところが面白いんだろう、と笑える理由を考えてしまったり、言葉ではないものを理解しにくい性質の子は苦労するかもしれない。もしくは、みんなが笑っているからと言って、陽気な雰囲気の時ばかりではないでしょ?例えばそれが嘲笑だったりした場合、陽気な笑い方をすれば浮いてしまう。表情や空気感のみを見て、その経緯や脈絡を読み取れなかったりすると、あいつはズレてる、と思われたり言われるようになったりする。

💎:友達はそこまで要らない派のハロムからすると、周囲の考えが分からないのを、深刻に気にしたり、気に病む必要はないと思うな。
ハロムも全然理解できてなくて、スベり倒してたよ笑。浮いてたどころか、常にドン引きされてたんじゃないかな?😂。昔は皆についていけないのがすごく嫌だったけど、時が経ってみれば、別についていく必要のないものだって気づいた。
まぁ、これはハロムの意見なだけだから真剣に聞く必要もないけど、学校でよくある場ノリとか、内輪ネタって消費コンテンツだから長続きしないし、記憶するほどでもないしょうもないものだし。
一緒に盛り上がった相手は、自分と盛り上がったことも覚えてないかもしれない。実際そういうこと結構あった。
もっと自分のことを覚えててくれる人のところに行って、一緒に過ごしたほうが有意義で幸せな時間を送れると思う。

🦅:学校にいるから合わせなきゃいけない、と思うだけで、いなければ合わせなきゃいけないなんて考えすら生まれない。
自分がどうありたいか、自分がどうしたいのか。
決断を他人に任せられない時代になってきた。
行くか行かないかも自分が決めて、最後まで自分がその選択に責任を持たなければいけない。
それが大変だと思うなら、学校に行けばいい。学校の方が大変だというならば行かずに、自分がどうやって自分を学ばせるか、どうやって他人とコミュニケーションをはかる方法を見つけていくのか。
最後は自分が自分を育てるの。誰も、一生をサポートしてくれるわけではないから。


💎:だいぶ色々な話に脱線したけど、学校に行くとか行かない、なんて人それぞれの決断だから、誰にもとやかく言われなくていいし、誰の言うことも聞かなくていいとは思う。
高校生の時、帰りのバスの中で突然泣いたりしたことを思い出した。あと、授業中も。気づいてた人はいたかもしれない。あの家庭科の先生、絶対気づいてたよ?笑。小学生の時も、ブチギレて泣いて、2時間誰もいない図書室に閉じこもるとか、そんな奇行に走ったりしたこともあった。今考えたら精神的におかしくなってたけど、当時は大人も無知な時代だったよ、SNSなんてないし。
先生だって温室で培養されて育ってきた人ばかりだし、限られた環境の中で毎日過ごしてるから、非常識だったり、世間知らずな人は多い思う。助けにはならない。暴言かもしれないけど、先生なんて、生きていく知恵のない人ばっかりだよ。楽な場所に生まれて生きる力を失くした人達が、不安な時代に生まれたずっと年下の子供たちを相手にしている環境は、差別と勘違いの温床になることは容易に想像がつく。
それでも、誰も助けてはくれない代わりに、誰にも邪魔されないのは良いことだよ。
自分には好きなものがあって、愛するものがあって、数少なかったとしても分かってくれる人は必ずいる。そう信じて、好きなものだけを見たって何も間違ってないし、その後の将来が狂うことはないと思った。
将来付き合う予定もない、興味のない人たちに無理に合わせてると、知らないうちにちょっとずつ傷ついてる。そういう傷が溜まって、突然精神的な不調に繋がるんじゃないかな。
自分の本当の思いを忘れるくらいなら、絶対行ってほしくないな。不登校経験者からの意見としては。

🦅:子供が休みたいと言ったなら、とりあえずはその意見を尊重して休ませてあげたらいい。友達や勉強のことを考えるのはその後でもできる。
今の子供達は、人に揉まれて大きくなるような子は少ない。それだけ未熟ではない子が生まれてきているし、だからこそ、不登校問題がこんなに取り上げられて、多くの人の目に触れるようになった。
自分の心に正直であれば、技術や才能は磨かれていく。自然とね。だから、学校しか行っていない人が選べない世界に行けるし、一握りになれるチャンスはある。学校に行っていなくても成功するのは一握りなんじゃなくて、一握りになろうとした人が選んだものは、学校ではなかっただけの話。
世界は細かく分かれつつある。それぞれ適性ごと、特性ごとに世界が数多く分岐して、より合った世界を見つけられる
誰かと同じことをするのは構わない。でも誰と同じことをするの?みんなと同じ、のみんなって誰?隣にいる人の真似をする?同じことをする誰かは、自分が納得した人でなければならない
そして時には、自分だけで頑張らなければいけないこともある。それは学校に通っていようと同じ。学歴があった方が選択肢は広がる。その選択肢のすべてが、自分が選びたい選択肢ではない場合もある。
思いもよらないたった一つの選択肢が、人生の指針になることもある
あなたはあなたに何を学ばせ、何を与え、何を選ばせてあげたい?
この考えは大人になってからだって続く。生まれてから、子供のころから、老人になってまでも、生きているということだけは変わらない
死ぬまでにするすべてのことは、あなたがあなたにさせてあげたかったことで出来ているのだから


最近はこういうのがあるらしいです。良い時代になりました。


好きを極めた方の、読むとちょっと元気が出る記事です。


蛇足ですが。Spotifyにて配信されている『叶姉妹のファビュラスワールド』というポッドキャストがありまして、私も毎週楽しみに聞いています。 どのエピソードにも、冒頭に必ず美香さんのこのような朗読が入ります。

たとえ100万人が楽しそうにしていたとしても、そこに楽しめるものがないこの世にたった一人のあなたは、無理に笑うことはありません。

Spotifyポッドキャスト『叶姉妹のファビュラスワールド』より

100万人に比べたら、全校生徒の人数なんて微々たるものです笑。
笑える場所に行きましょう。笑いは多分、人生をお得でお徳にします。
笑えない学校で学べることなんて多分、微々たるものです。



質問のやり方はこの記事にメソッドをまとめました。
どうすればいいか分からない!という方はぜひご参考に。
(目次の『ボリュームたっぷり回答を得る最強メソッド』から記載)


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