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「鬼滅の刃」は本当にジェンダー差別なのか?

✔アニメとジェンダー問題

 昨日もジェンダーテーマで記事を書いたのですが、「鬼滅の刃・無限列車編」の凄まじいヒットに伴い、様々な人が様々な立場で意見を述べられることが増えました。その中でも、モヤっとするのが、ジェンダー視点で鬼滅の刃を批判している記事の類です。

 「いろんな方の様々なご意見があっていい」というのはもちろんなのですが、みみのすけは、好きな作品を、映画だけしか見ていない方に曲解して的外れな批判をされてしまうのは、ちょっと、黙ってはいられない性格なのでございます。

 鬼滅の刃が映画の大ヒットで認知度が上がるにつれ、様々な意見が散見されますが、特に引っかかる記事が、「鬼滅の刃のジェンダー感が時代遅れで、その古い価値観に子供たちが毒されるんじゃないか」と過度なジェンダーフリー志向の方々が心配されているようです。

 ちなみに「男だから身体が大きくて、腕力があって、責任感が強くて、能力が高くて、リーダーに向いているのでしょうか?(煉獄さん(CV:日野聡)のことかな?)」と問題提起されているのもありましたが、鬼滅の刃という作品は、そんなこと一言も言ってませんし、表現してもいません。

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 昨日の記事でも書きましたが、鬼滅の刃に限らず、最近のアニメは、男性至上主義、男が強い!男こそリーダー!という考えはなく、むしろ主人公よりも、才能豊かで強い女性キャラがいる方が多く、組織のトップに女性がいる設定も多いです。むしろ現実世界よりも、女性の社会進出が進んでいるといってもいいでしょう。

 鬼滅の刃でも、栗花落カナヲ(CV: 上田麗奈)は炭治郎(CV:花江夏樹)よりも才能に恵まれ能力も高いですし、鬼殺隊最強の柱には、胡蝶しのぶ(CV: 早見沙織)、甘露寺蜜璃(CV:花澤香菜)と、女性が2人います。鬼側にも上弦の鬼には女性が2人います。

 それを「少ない!平等にすべきだ」という意見もあるかもしれませんが、そもそも鬼滅の刃は「週刊少年ジャンプ」掲載の少年向けの作品なので、男女比にそんなにシビアになる必要はないと思います。

✔禰豆子は守られる女の子の象徴ではない

 「女だから、体が小さくてか弱くて、守られたくてサポートにむいているのでしょうか?」という問題提起もありました。映画だけしか見ていないとしても、変な固定観念のフィルター通さずに、ちゃんと見れば分かることですが、決して禰豆子は、守られるだけの存在としては描かれてはいません。

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 むしろ禰豆子(CV: 鬼頭明里)は、炭治郎よりも誰よりも強いです。鬼なので。映画でも、禰豆子はガンガン戦ってましたが、善逸に助けられたシーンのことであるなら、それはおかしいです。

 男性キャラでも、助けられるシーンはありますよね?それなのに、女性キャラが助けられると、それは「守られたい、か弱い女の子」を助けるというシチュエーションになるのでしょうか?

 映画において明確なシーンは少なかったですが、煉獄さんが炭治郎に「あの少女が血を流しながら乗客を守るために戦っているのを見た。鬼から人間を守るために戦う者は、鬼殺隊の一員だ」というセリフがちゃんとありますので、禰豆子は守られる側ではなく「守る側」だということは、映画の中だけでも分かります。

 さっきも書きましたが、今の漫画・アニメの女性キャラの多くは、とても強くて、「ただ助けられるだけのか弱い存在」と言ったピーチ姫キャラはほとんどいません。(↓女の子に足蹴にされている主人公貼っておきます)

スクリーンショット かなをとたんじろう

 「映画を見た少女が、私は女の子だけど鬼と戦いたいと言った時、否定しない」という方がいましたが、大丈夫です!ご安心ください!鬼滅の刃メインの女の子キャラは基本的に鬼と戦ってますから!

 少女たちの多くは、単にカワイイ女の子だから、女の子のキャラが好きなのではなく、禰豆子もカナヲもしのぶも蜜璃もかわいくて強いから憧れているのです。(この時点では、義勇さん(CV:櫻井孝宏)が一番危なかったのは、鬼と戦った時じゃなくてこの時のはず)

ぎゆしの

✔「長男だから我慢できた」問題

 この炭治郎のセリフは結構物議を醸しました。「特定のジェンダー規範を強調しているからよろしくない」というご意見もあるようです。そもそも、この鬼滅の刃という作品は、大正時代が舞台だということを前提でみないといけないのですが、一般大衆にまで人気が出てくると、普段アニメなどご覧にならない方々が突然ご観覧になり、作品のことをご存知ないまま、あれこれご意見を述べられ、色々と面倒な話になります。

 なので、生粋のアニメファンとしましては、そこそこ(ヒロアカとかワートリ、約ネバくらい)の人気で収まっていてほしいなぁと、身勝手な願望を抱いてしまいます。(鬼滅の刃も、せめて映画公開前くらいの人気でとどまっていて欲しかったです…)

 さて、鬼滅の刃の時代背景ですが、この時代、多くの家は子だくさんで8人、9人兄弟でも珍しくありませんでした。炭治郎は6人兄弟ですが、この時代だと決して多くはないのです。

長男たんじろう 

 この時代以前~戦前の「長男」は、今の長男とだいぶ意味が異なります。ただ「最初に生まれた息子」ではなく、今以上に「跡継ぎ」の存在として、厳しく育てられる上に、職業選択の自由もありませんでした。(今でもそういう風潮が、特に田舎には残っていますが、昔の方がより厳しかったです)

 また、家庭の事情によっては、早くから大黒柱として子供の頃から働いていた人もいます。炭治郎も父親が病弱で早くに亡くなったため、早い時期から「一家の大黒柱」でした。父親の代わりに家族を養い、幼い兄弟にとって、父親代わりでもあったのです。

 このように、父親が病弱だったり、早くから父親を亡くしている家庭では、母親ではなく、子供の頃から長男が、家の全責任を負う存在となります。炭治郎はまさにそうでした。ですので、炭治郎が口にした「長男」とは、「最初に生まれただけの息子」とは、全く意味が異なることが分かります。負っている責任と、家族を守る覚悟が違うのですから。

 その上で、炭治郎のあの発言は当然「世の全ての長男に向けられたメッセージ」なのではなく、むしろこれまで、辛くとも懸命に家族を養ってきた自負と自信によって、自分自身を鼓舞したに過ぎないセリフなのです。

✔アニメの影響はどれほどなのか?

 「たとえ昔の話だったとしても、社会現象になるほどの作品が子供たちに無意識に与える影響は大きい」というご意見もありますが、はたしてそうでしょうか?

 私も昨日の記事で書きましたが、いい意味で作品の影響を受ける子供が増えてくれるといいなぁと思ってはいますが、残念ながら、作品にはそこまでの影響力はないでしょう。

 コスプレで喜び「水の呼吸!一の型~!」とか言っているくらいが関の山で、アニメを見る事で「か弱き女性を守らねばならない!」とまでは思い込む子供は、ほとんどいないでしょう。(逆にいたら貴重…)

 実際、鬼滅の刃が「残酷描写で子供への悪影響が心配」という親御さんもいらっしゃいますが、アニメやゲームが好きな人で、実際に殺人など犯罪の衝動を持つ人というのは数%はいると思いますが、その人たちは、アニメやゲームの影響がなくとも、殺人等の犯罪を犯していた人たちです。

 みみのすけ自身、子供の頃から、北斗の拳を始め色々と「残酷描写」がある作品を見てきましたが、実際に人を殺したいと思った事は、ただの1度もありません。こういう人の方がほとんどです。

  大人になった時、せいぜい「昔、鬼滅の刃大好きだった!」「私も!」「俺も!」「私は義勇さんが好きだった~」「私はカナヲ好きだった!」「俺はやっぱり煉獄さんだな!」…という会話がなされるくらいです。今から大人が心配するようなことはありませんので、ご安心頂ければ幸いです。

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