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「教えて、釈先生!子どものための仏教入門」を読んだ~仏教用語と藤井風

ここ数年間、藤井風をよく聴いています。楽曲を聴き込むうちに、歌詞にみられる哲学的・宗教的な言葉や思想がどこから来たものなのか、そのルーツにも興味を持つようになりました。

「音楽」「歌」「踊り」「祈り」は切っても切り離せない密接な関係があります。これは洋の東西を問わず、世界中で同じような文化・行事が伝えられていることからわかります。藤井風に関しても「祈り」は欠かせないもののようです。


「愛のメガネをかけて世界を見る」

藤井風はMUSICA5月号インタビュー紙面

「愛のメガネをかけて世界を見る」


と話しました。
現時点で彼は自身の信仰の対象を明言していません。ですが、彼の発言や歌詞は、仏教の教えにかなり近いものがあります。歌の内容も特定の対象を限定せず自由な解釈ができるため、多種多様な宗教観に囲まれている日本人にとっては、とても親しみやすいと感じるのです。


わたしは「メガネ」「先入観、価値観、偏見(考え方の偏り)をオン・オフできるレンズやフィルター」だと仮定しました。この記事では、その「メガネ」に着目して、仏教や日本人の信仰、及び藤井風の発言と絡め考察していきます。


「教えて、釈先生!子どものための仏教入門」


は仏教を軸として、日本人の信仰がどのようなものなのか、子どもにもわかりやすい対話形式で書かれています。

仏教からきた言葉には「上品(じょうぼん)」「旦那」「利益(りやく)」など、生活に浸透しているものも多い。普段は意識していなくても、仏教は日本人の日常と共にあるようです。


「悟り」の第一歩は「自分の都合メガネ」を外すこと


「わたしたちの世界は、人によって見え方が違います。絵をそのまま見たときと、色付きのメガネをかけたときでは見え方が全然違うでしょう?それと同じで、わたしたちはみんな、『自分の都合』というメガネをかけて、世界を見ているんですよ」

「教えて、釈先生! 子どものための仏教入門」

「意見がちがっちゃうのは、かけてるメガネが人によって違うから、ですか?」

「その通り!意見が違うと腹が立ったり、どうしてわかってもらえないのかって悲しくなったりするでしょう?これは『自分の都合メガネ』を掛けているせいなんです。ほかの人とかけているメガネが違うので、同じようには見えないんです」

「好きなものをほかの人に全然ダメって言われると悲しくなったり、反対にきらいなものをすごくいいって言われるとモヤモヤしたりします……。それも『自分の都合メガネ』のせいなんですね……」

「そうですね。ほかの人をうらやましく想ったり、くやしかったりするのも『自分の都合メガネ』のせいです。そういう苦しい気持ちは『因果応報(※)』でお話した『悪いこと』のひとつなんです。でも『自分の都合メガネ』を外してしまえば、腹が立ったり辛くなったりすることもなくなる。生きていく上での苦しみがすべて解決された状態が『悟り』なんです」

※因果応報……いいことをすれば、いいことが起きる。悪いことを売れば、悪いことが起きる。やったこと、話したこと、考えた事は、必ず何か次の結果を生み出すという考え方

「小さな悟りは数知れず」つまり、『自分の都合メガネ』を外すのは毎日、何回でもありますが、大きな悟りは一生のうちに十八回と言われています。「悟り」に到達するには『自分の都合メガネ』を外すから仏さまになるまで、だいぶ幅があるんですよ。
『自分はなんというメガネをかけていたのだ』と気付いたり、『やっと、自分の都合メガネを外せた!』と強く感じたりすることは、なかなか難しいでしょうね」

仏教という言葉にはふたつの意味があります。ひとつ目は『仏さまになる教え』です。どうやれば『自分の都合メガネ』を外せるのか、どうやったら『仏さま』になれるのか、ということをわたしたちに教えてくれます。

道しるべみたいなものですね。どの方向に向かって、どこまで歩けば、どんな光景が見えるのか。そこまでいくにはどんなことをいすればいいのか。詳しく教えてくれるんですよ。

もうひとつは、『仏さまになった人の教え』です。実際に仏さまになった人の教えですからね。悟りを開いた人が、苦しみ悩む人たちのために、どうすれば解決するのか、という教えをまとめてくれたんです。

まずは『自分の都合メガネ』を自分もみんなもかけている、と覚えておくだけでも、ずいぶん違うと思いますよ。ほかの人と意見が違っていた時に、自分だけが正しいとは思わなくなるでしょう?仏教は、わたしたちがどう生きていけばいいのかというヒントにもなるんですね。


釈先生は、子どもたちに対して、その人特有の「考え方」や「価値観」『自分の都合メガネ』と例えて話しています。

「メガネ」はものを見る際のレンズであり、フィルターでもあるのでしょう。

「メガネ」を「偏見や価値観をオン・オフできるレンズやフィルター」だと仮定すると、藤井風もインタビューで釈先生と同じようなことを語っています。

(彼の場合は「メガネを外す」ではなく「メガネをかける」という表現)

「誰もが愛のメガネをかけて世界を見たら、そこには愛だけが見える、みたいな……そういうものが音楽でも表現できてたら素敵だなと思ってて。実際にどんなことが起きていたとしても、あくまで自分の見方、自分の意識を正常に保つというか、正常に整えることが大事だと思うし、一人ひとりがそういう意識を忘れずに持てたら、少しでも世界がよくなっていくんじゃないかなと思いますね」

「MUSICA」2022年5月号

どうでしょう。彼の言う「愛のメガネをかけて世界を見る」「自分の(ものの)見方と意識を正常に整える」という考え方は、釈先生の『自分の都合メガネ』を外して、悟りへと近づこうというとても仏教的だと思いませんか?


藤井風「へでもねーよ」にみられる7つの敵と大罪


仏教用語に「三毒(さんどく)」という言葉があります。三毒とは仏教において克服するものといわれている「貪瞋痴(とんじんち)」です。

・「ローバ」貪(とん)貪り(むさぼり)、欲、執着を意味します。必要以上に求める心は苦しみの原因となります。

・「ドーサ」瞋(しん)怒り、憎悪、不安や悪行の原因です。

・「モーハ」痴(ち)愚かで真理を知らないこと、おろかさはすべての迷いの原因となります。

詳しくはこちらの記事で


キリスト教には「七つの大罪」(暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・嫉妬・傲慢)があります。

仏教においても(病気・飢え・裏切り・嫉妬・欲・老衰・死)は「七つの敵」とされています。

藤井風の「へでもねーよ」という曲にも注目してください。

MVでは
仏教における「七つの敵」
(病気・飢え・裏切り・嫉妬・欲・老衰・死)や、
キリスト教における「七つの大罪」
(暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・嫉妬・傲慢)
に扮(ふん)したとも思える彼が現れます。

洋の東西を問わず敵は7つ。戦う相手はあくまで自分自身の内面です。人間は生まれてから死ぬまで、これらの「自分の心の弱さ」と向き合い、戦い続けなければならないのです。

藤井風の世界観を読み解いた記事はこちら ↓



仏教は『自分の都合メガネ』を外すヒントをくれる



お釈迦さまが大きな悟りを開いて広めた教えが仏教です。
お釈迦さまは『自分の都合メガネ』を外し、生きる上での苦しみや悩みの原因と解決法を見つけた人なんです。
悟りを開いた人=仏さま。その教えだから『仏教』ですね。



「七福神」の神さまたちには、いろんな宗教の要素が入っている!


七福神のメンバー


毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、寿老人(じゅろうじん)、恵比寿天(えびすてん)、布袋尊(ほていそん)、大黒天(だいこくてん)の7人も、それぞれ出身は異なるようです。七福神は、さまざまな国の文化がミクスチャーされた、まさにグローバルでボーダレスな人種のるつぼなんですね。

日本で親しまれている「七福神(しちふくじん)」。そのうちのひとり、「大黒さま(大黒天)」はもともとヒンドゥー教の「シヴァ」という神さまと神道の「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が混ざった神さま。

「弁天さま(弁財天)」もヒンドゥー教の「サラスヴァティー」という女神が、神道の「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」や仏教と混ざったもの。
「布袋(ほてい)さま」は禅のお坊さんです。日本の神さまである「えべっさん(恵比寿さま)」以外は、ほかの宗教と混ざってできた神さまなので、調べてみるとおもしろいかもしれない。


お仏壇に飾られているお位牌について


亡くなった人の戒名(仏の弟子になったことをあらわす名前)や俗名(生前や仏門に入る前に名乗っていた名前)、死んだ年月日が書かれたもの。もともとは中国の「儒教」という思想・宗教から来ている。

日本の仏教と神道の信者数を足すと日本の人口よりも多くなる


文化庁が毎年それぞれの宗教に所属している人の数を調査、発表している。日本の人口は約1億二千四百万人(2018年)だが、神道の信者数は約八千七百万人で、仏教の信者数は約八千四百万人。足すと1億七千万人以上になる。キリスト教やほかの宗教の信者を足す前に、すでに日本の人口を超えている。

つまり、仏教徒神道、両方でカウントされている人がたくさんいるということ。この数字を見ると、仏教と神道が、わたしたちの宗教文化の大きな土台になっていることがわかります。

特定の信仰はないけれど、日本人は宗教性にあふれている!


岸和田のだんじり祭や初詣には毎年たくさんの人が押し寄せるが、全員が神道の熱心な信者というわけではない。お祭りという非日常を楽しんだり、参加したりする。
決まった教団に所属しているわけではないが、仏教や神道などが混じった宗教的な習慣や行事をたくさんやっている。それが目に見える日本の宗教の様子。

宗教は、「自然宗教」と「制度宗教」、「市民宗教」に分けられる


宗教は大きく「自然宗教」「制度宗教」のふたつに分類される。埋葬という宗教的行為は「自然宗教」 教祖がいるわけでも教団があるわけでもなく、人類であれば、どこの文化圏でも自然と営む宗教的なものが「自然宗教」
一方、わたしたちが宗教と聞いてイメージする仏教やキリスト教は「制度宗教」。きっちり形や教えの決まっている宗教で、信じている・信じていない、信者である・信者でないという区別がハッキリしている。

信者でなければ、「生きていくのに仏教は必要ありません」「キリスト教は必要ありません」と言うことはできる。だが「宗教は必要ない」というのは成り立たない。人類とは埋葬や葬儀といった宗教儀礼をするものだから。人類は「宗教を持つ動物(ホモ・レリギオースス)」とも呼ばれている。

経済学を知らなくても、物を買ったり売ったりという経済活動をするのと同じで、宗教のことは知らなくても、人類は宗教的な営みを続けながら暮らしている。

「市民宗教」とはクリスマスバレンタインデーのように本来は「制度宗教」の行為だったのに、一般に溶け込んで誰もそれが宗教だと思っていない行為のこと。私たちの生活には、さまざまな宗教が本来の意味を失って溶け込んでいる。信仰しているとか信仰していないという考え方で分類できないものがたくさんある。


仏教の大きな行事


日本仏教にもさまざまなイベントがある。各宗派共通の大きな行事は「お彼岸」「お盆」「除夜会(じょやえ)」。
お釈迦さまが生まれた日をお祝いする四月八日の「花まつり」や、お釈迦さまの命日である二月十五日の「涅槃会(ねはんえ)」、お釈迦さまが悟りを開いた十二月八日の「成道会(じょうどうえ)」も大きなイベント。

各宗派独特の仏事もある。
「浄土真宗」では宗祖「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」の命日である一月十六日(旧暦だと十一月二十八日)を意識した「報恩講(ほうおんこう)」がとても重要。

お盆とお正月が大きな節目になるのは、仏教でも神道でも同じ。特に大晦日に行われる「除夜会」は、除夜の鐘をつかない寺でも必ずやっている。年が明けると、「修正会(しゅしょうえ)」というお正月の勤行をする。

神道では、お正月は「歳神さま」が来る日なので、門松や鏡餅など神様をお迎えするための準備が必要になる。これは仏教徒でもやっている人は多く、その辺は「市民宗教」化してきていると言える。神道と仏教は双子のような関係で展開してきたので、かなり融合している。

言葉を調える(ととのえる)と、心と体も調う(ととのう)


仏教は、言葉に対してとても慎重で『言葉を調えていくと、心と体も調う』と考えるそう。「乱れたことがないように、きちんとすること」という「整理整頓」「整える」ではなく、仏教では「調える」の字を使います。

この「調える」「いい感じにする、望ましい状態にする」という意味があるそうです。ウソや悪口は「言葉が暴れている状態」でよくない状態です。人も傷つけるけれど、自分も傷つけてしまいます。


自分が部屋で暴れているところを想像してみてください。暴れると、いろいろなものに体が当たるでしょう?当然、自分の体も傷つくし、痛くなる。なんでこんなことになるんだってさらに腹が立つ。腹が立つからまた汚い言葉が出る。暴れてまた傷つく。そうやってどんどん、悪いほうへ行ってしまうんです。

(中略)

悪い言葉や愚痴を言いたくなったときは、いったん自分を止めてあげてください。感情のまま言葉を口にする前に、深呼吸をするんです。

(中略)

そういうクセをつけていくと心も調ってきます。表情もおだやかになるから、お友達も話しやすそう。楽しそうに思って近づいてきます。反対に険しい顔をしていると、さけられちゃいます。起こる前に少し間を置いたり、深呼吸したりしているので、最近は怒る事も減りましたよ


仏教の教えとリンクする藤井風のことば


これは音楽専門誌のMUSICA5月号藤井風も同じようなことを言っていました。彼の持ち味は平易な言葉でわかりやすく語るところだと思いますが、この発言は仏教の教えにとても近い。それと同時に、普遍的な博愛精神に満ちた哲学的な考え方でもあります。

まずは自分の内側とか、自分のすぐそばにあるものを一人ひとりが整えていくことが重要だと思ってて。まずは自分で自分を愛することができた上で、その愛を徐々に徐々に周りに広げていくことが大事だと思うし、そうやって小さなことから変えていくしかないなと思いますね。

(中略)

あくまで自分の見方、自分の意識を正常に保つというか、正常に整えることが大事だと思うし、一人ひとりがそいういう意識を忘れずに持てたら、少しでも世界が良くなっていくんじゃないかなと思いますね

「MUSICA」 2022年5月号

藤井風に関してはこちらの記事で↓


「今日は花祭りです」

「お釈迦さまハピバ」


とツイートする藤井風のことです。きっと仏教の教えは心に留めていると思うのですが……



「God bless us」(神の恵みがありますように)も、以前からオフィシャルグッズに使うほど多用しています。彼の思想や信仰は、神々や宗派の垣根さえも超越しているかのよう。まさに多様性を尊重する「ボーダレス」なアーティストのかもしれませんね。



参考・引用文献:「教えて、釈先生!子どものための仏教入門」釈徹宗 谷口雅美 


藤井風さんのこと、いろいろ書いています



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