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2024-04-21(推しが卒業する、背後で輝き続ける失われた価値)
https://x.com/nam_mitu/status/1781676843613163588?s=46&t=YLduu8KX7m-f2auJsMo92A 推しというものにようやく辿り着けたと思ったら、すぐさま推しが卒業を発表した。…
2024-06-12の日記(甘くなくて酸っぱくなくて苦くなくてしょっぱくない)
情熱がない。情熱がないなら何があるのかというと、何もない。上昇志向のない人には安定感がある。穏やかさのない人には激しさがある。華美さのない人には、素朴さがある。でも、僕には情熱がないだけ。代わりのものが何もない。
コンカフェの推しが卒業してからもうしばらく経つ。結局、僕は卒業の日にも店には行かなかった。怠惰だったというのではない。それでは僕は行きたいとか行かなければならないとか、あるいは行くべ
2024-05-10の日記(広くもないし狭くもないし部屋でもない)
死ねとか死んでくれとか、独り言がそういう言葉になったが、死んで欲しい人は別にいない。具体性を持って僕は不安になっているんだとアピールしたいのだろうか。
ゴールデンウィークが終わってから、ずっと寝ている。毎日のようにパソコンを立ち上げてDiscord通話をしていたのに、ゴールデンウィーク最終日を境に参加していない。タバコも酒も、ゴールデンウィークが終わってからほとんどやっていない。母親と話すのが
ストリーマーはバニーガーデンをやめろ
怒りを感じている。これはバニーガーデンについての怒りである。ストリーマーたちがバニーガーデンを面白可笑しくプレイすることへの怒りである。
バニーガーデンは女の子とお酒を飲むお店に行くシミュレーションゲームであり、基本的にはリアルに作られているが、ゲームなので下着をプレゼントしたり借金でゲームオーバーになったり好感度メーターを買ったりすることができる。しかし、これはしてはいけない。ゲームだから何
2024-04-30の日記(大人の言うことは聞くな、歩け)
僕は僕の立っている場所からしか世界が見えないが、皆も多分そうだ。だから、他人が僕の現状や行く末を客観視できるとは言えない。客観視と言われる目線は、大抵客観視ではない。大抵のコミュニケーションは主観の交換に過ぎない。
他人のアドバイスは重要だ。でもそれはその人に見えていて自分には見えていない部分を理解するためのもので、自分の目線を否定するためのものじゃない。さらにいえば、他人であることが重要なの
2024-04-27の日記(情熱がない)
万引きをすることはそれほど難しくない。万引きした商品を元の位置に戻しに行くことは、とても難しい。何の例え話でもない。
前科持ちの人間として生きることは、おそらく諦めを知ることだ。僕の届かないところで何を言われようと、嫌われようと、変わろうとしている自分だけを守ることが必要だ。本当にそれだけを守ることが必要だ。
我慢ならない。身体がピクリと動き、声が出る。そこからは、ズルズルと自己弁護の時
2024-04-21(推しが卒業する、背後で輝き続ける失われた価値)
https://x.com/nam_mitu/status/1781676843613163588?s=46&t=YLduu8KX7m-f2auJsMo92A
推しというものにようやく辿り着けたと思ったら、すぐさま推しが卒業を発表した。私はすぐに出かける準備をしなければいけないらしい。
価値あるものが失われた時、すべきことは何もない。あえて言えば、考えないようにすることだ。
価値あるもの
2024-04-19の日記(嘔吐はアウトプットではない)
足して2で割ったものを足して2で割ったものを足して2で割ったものを足して2で割ったものを足して2で割って元の値になる。シラフでいることが辛い。酒を飲むのが辛い。うつ病でいることに甘えている。ctrl+zは効かないようにした方がいい。アドリブで生きられない。責められる要因が多すぎる。常に居心地が悪い。胃の中が気持ち悪い。猫を撫でると毛が散る。桜はすでに緑色である。休学許可証でも年金は猶予が貰える。モ
もっとみる2024-04-15の日記(推しが今日もかわいい笑)
「推し活」というものに順応してきた。あれは個人と個人の間の関係性を指すものではなく、コミュニティ単位で行動するという姿勢のことであるようだ。
推しは個人と個人の間にある繋がりのことではないから、僕と推しの間には何もない。僕と繋がりうるのは、その人を推している人たちというコミュニティだけであり、推しはそのコミュニティと共に、それに向き合ってコミュニケーションを取る。このことが、率直に素晴らしいの
2024-04-08の日記(視野は狭い広いではなく、近い遠いであると思う)
僕は誰かが生きるために何かできているだろうか。
あなたは見返りは必要ないという。本当に?それで何も変わらなくても?変わることは、見返りでしょう。あなた、本当は何か変わると期待しているんでしょう。
かつて僕の行動に対する見返りは本当に少なかった。いちにちじゅう寝ていて、たいてい何も変わらなかった。そんなこと期待もしてなかった。
でも、最近は働いている。僕はゲームのデバッグをしている。見返りは
2023-03-24の日記(多数派の論としての一般論についてと、思想の自由について)
僕は今まで一般論を「合理性、妥当性などの一般性(普遍性)によって全体に正しいと認められると考えられる論」という風な理解で使ってきたけど、昨日もっとシンプルに「多数派の論」という風な使い方をする人と話した。
僕はこの「多数派の論」としての一般論は議論の中では扱わない方がよいと思う。その理由は「多数派であることは正しさを担保せず、ポジショントークを増長させるだけであること」と、「全体が観測不可能で
2023-03-22の日記(時計回りであることをやめ、反時計回りをし出す女性)
最近は週三でアルバイトをしています。ほとんど初めてしっかり働けているのですが、この短期間で魂が右傾化するのをひしひしと感じています。
それがいいことか悪いことかは分からないし、そもそも僕は自分の右傾化についてきちんと話せません。それをきちんと体系的な言語にできるようになろうと思って(これも、何となく保守的ではありませんか)なんとはなしに的中していそうに思うマイケル・サンデルの「公共哲学」を読み
うっせぇわ feat.俺
人はその人の立つ場所からしか正しさや愚かさを見ることができない。でも、その人が言葉を作るのもいつだってその人の立つ場所だ。そこにはその通りの前提と理論と結論がある。だから、その人は正しさや愚かさを、堂々と見せつけなければならない。
小さな頃、僕は優等生だった。そのまま、僕は気がついたら大人になっていた。僕は自分の思考はいつでも正しく、他人を傷つけるものではないと思っていた。大人になった僕は、
2024-02-16の日記(コンカフェのキャストをブロ解した)
コンカフェに行くことに希望を抱けなくなって、X(旧Twitter)でFF関係にあったコンカフェキャストをブロ解した。理由はいくつかに整理出来て、以下の通りだと思う。
1.コンカフェキャストをナイーブに愛している僕は、彼女と近づくことも遠ざかることもないと理解したこと
コンカフェに行っていたのは、一人の女性に狂っていたからだった。僕は彼女のことを本当にナイーブに好いていた。一緒にゲームをした