2024-04-08の日記(視野は狭い広いではなく、近い遠いであると思う)

 僕は誰かが生きるために何かできているだろうか。
 あなたは見返りは必要ないという。本当に?それで何も変わらなくても?変わることは、見返りでしょう。あなた、本当は何か変わると期待しているんでしょう。
 かつて僕の行動に対する見返りは本当に少なかった。いちにちじゅう寝ていて、たいてい何も変わらなかった。そんなこと期待もしてなかった。
 でも、最近は働いている。僕はゲームのデバッグをしている。見返りは、ひとまずお金だ。でも、お金よりも一番大事なのは、僕が見返りを求められるくらい世界を変えているということだ。ゲームのよくないところを見つけて、なおしてもらって、そのゲームが人々を喜ばせているらしいと聞く。
 働いているだけで、遠くの人のために善いことができる。善悪の射程が、遠くに伸びる。遠くの善悪に、ピントが合う。目の前の善悪が、ぼやける。
 視野が広いとか狭いとかいうけれど、それはちょっと違う。それらは遠いか近いかだ。同時には、どっちも見ることはできない。
 望遠鏡で遠くの画用紙の色を見たあとに、手元にある画用紙を見ても、隣に並べることができないから全く同じ色であるということはできない。
 いちにちじゅう寝ているときの僕の視界は、とても至近距離にあった。そこには確かな善悪があって、僕は孤独に泣いたり笑ったりした。僕は今働いていて、そんなに近い距離のものにピントが合わなくなった。考えなくなった。僕は今、皆と一緒に暮らしている。皆と一緒に、泣いたり笑ったりしている。
 今は何も悲しいことはない。でも、ぼやけてよくみえないけれど、不安がどこかで視界を狭めていっているのも、きっと確かだ。

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