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コラム

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限定的な愛

限定的な愛

愛は、大きく分けて自己愛と他者愛がある。

名義上、2つに分けているが、両者の境界線を厳密に引くことはできない。

これは、「自己」と「他者」は互いに干渉し合い、私は貴方の一部分となっているし、反対に、貴方も私の一部分となっている。という命題に近い。

しかし、やはり「私」と「貴方」には明確な差異があることは認める必要がある。

以上の事を踏まえると、自己愛は他者愛にもなりうる。

ただ、究極的な

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黒い海に溺れた意識

黒い海に溺れた意識

僕はある日の夜、海へと出かけた。時計の針は22時を回っていた。

海そのものは、車で10分もあれば行けてしまうのでそれほど新鮮でもない。

けれども、時期はまだ5月の中旬。しかも夜中に一人で海へ行くというのは案外エネルギーがいる行動だ。

それなりに強い動機がなければ、わざわざ行こうと思わないだろう。

例えば、長く付き合った彼女と別れたとか、親友と喧嘩したとか、夢への旅路で足を挫いたとか。

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雉に連れられ社会の外へ

雉に連れられ社会の外へ

連休明けの憂鬱に、どうにも著者 (哲学者:ドゥルーズ=ガタリ) と距離を感じてしまう書物から離れ、大学の裏山へと出向いた。

十日間もご無沙汰にすれば、この時期の森にとって、桜が散ってゆく悲しみを克服するのには十分すぎるようだった。

対人での陽気な会話は些か億劫で、書物に腰を据えて故人と面するには、思考の深みが足りないような気分の私にとって、緑しかない世界は居心地がよかった。

なんとも拍子抜け

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チューリップの華々しさ

チューリップの華々しさ

チューリップ(Tulip); ユリ科

1970年までは、“ぼたんゆり”という和名だったが、現在では“鬱金香”というそうだ。

普段は、幾つかの茎に枝分かれし、また密集して生息するため、愛らしい出で立ちをしている。

しかし、今朝見かけたチューリップは、一輪だけ広い草原に咲いていた。

段々と温度を上げる陽光に照らされ、草原はいつもより黄金に輝く。

また、チューリップの赤は魔力的な華々しさを兼ね

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妄想、そして逃走

妄想、そして逃走

GWの10連休も折り返しとなってきた。

ちょうど気温が高まり、春というよりは初夏を感じる。

長めの休暇を与えられた市民は、羽根を伸ばすというより、ある種の戸惑いがざわめく。

一方、中世のヨーロッパでは、貴族にとってこの連休は日常である。

彼らは、誇り高き文化の中に使命を見出し、小鳥が囀る初夏の朝に心を踊らせていた事だろう。

現代に、そのような文化的素養があるだろうか。

休暇と言えど、仕

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【自己 - 他者】,  そして自己.

自分の持つ美意識を知るには、一人のままではいけない。

しかし、他人の意見を軽々しく聞くことも許されない。

要するに、「自分らしい」と、自分で思っている内は全然ダメだって事だ。

セルフイメージの積み重ねで出来たモノは、案外自分らしくない。

それよりかは、もっと色々な人と出会い、経験をする事だ。

そこで、心臓から血の滲むような経験をしたり、今までの自分は何をしていたのかって思うほどの絶望を

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独学の魔力

この世界は遊び場で、人間はホモ・ルーデンス(遊ぶ人々)だ。

 夢に向かって頑張っている事以外で、ちょっとやってみたいなぁと思う事は、誰にでもあると思う。

 例えばTOEICの勉強中でも、芸術家やアーティストを見て、憧れを感じたり、嫉妬したりするなら、それはやってみたいと思っている証拠だ。

 あ、でも、アーティストを見て「大勢の人に支持されて、日本中・世界中で有名になりたい」と思うのだったら今

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今日も変わらない街並みを嫌って

私にとって、普遍や不変、安定とは退屈そのものだ。

都会と違い、どうも田舎の街並みは移り変わりが少ない。

ただ、問題なのは街の新陳代謝の速度ではない。問題なのは、街の景色や友人関係に慣れてしまう「私」である。

変わらない街並みを嫌うのは、内部変動が失われた「自分」に対するコンプレックスの表象だ。

そう考えると、環境の充実感や友人関係の多忙さに感けて、”内部変動”の緩やかな衰退を見殺しにする人

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