ある

日々の白々しさをつらつらと。         (役立たずの味方/ sociologis…

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日々の白々しさをつらつらと。         (役立たずの味方/ sociologist.)

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  • コラム

  • 下手くそデッサン日記

    ただデッサンの趣味を日記にしている。 高校の美術の評価は2だった。 義務教育の音楽・美術・技術が嫌いだっただけという事に気付き、21歳から完全に独学で始めた。 出来るだけ時間を取って描いている。 今は本当に基礎デッサンだけど、そのうち心の琴線に触れた印象をパパッと描いて載せたい。 もしよかったら応援のメッセージを頂けるとモチベーションが上がるかも………

  • 詩的散文

    私の書く文章に、主人公は必要ない

  • 短編小説

    普段はあまり書こうと思わないが、いつかまた気が向いた時のためのマガジン。

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黒い海に溺れた意識

僕はある日の夜、海へと出かけた。時計の針は22時を回っていた。 海そのものは、車で10分もあれば行けてしまうのでそれほど新鮮でもない。 けれども、時期はまだ5月の中旬。しかも夜中に一人で海へ行くというのは案外エネルギーがいる行動だ。 それなりに強い動機がなければ、わざわざ行こうと思わないだろう。 例えば、長く付き合った彼女と別れたとか、親友と喧嘩したとか、夢への旅路で足を挫いたとか。 でも、僕の場合は違った。ふらふらと綿毛が風下に流される程度の斥力で、なんとなく海へ

    • 雨と花の連弾

      微かに光の差す春の午後、 無限に咲き誇るかに思われた 幾千の花弁は終わりを告げ、 気まぐれにやってくる旋風によって、 瞬く間に薄紅色の衣を剥がされる。 ぼたぼたと音を立てて弾む結晶は、 地に溜まりやがて萎れ、姿を消すだろう。 悪戯の風に手を貸すように、 慈悲の雨粒は春の魅力を道連れにして 美しい表装を身に纏い落ちてくる。 小鳥たちはそれぞれの劇場で低く飛び交い、 時には交錯し、雨と花の連弾を連れ去るように、 木々の合間を縫っていく。 劣化したナイロンの糸の外套に、 春露

      • 右手の瓶

        午前中は、いつものように、大学のカフェテリアの、いつもの席で勉強した。 区切りのいいところで本を閉じ、遅めの昼食をとる。 脳の疲労と、お昼ご飯の消化がはじまって、白昼夢に誘われる。 15分のアラームをセットして午後の微睡みに耽った。 ちょうど現実と夢の狭間で、意識が空中散歩しているとき、雷鳴のようにアラームが鳴った。 望まないタイミングで起こされ、寝覚めが悪く、頭がぼうっとするので、売店へ行ってジュース瓶を買った。 そのまま階段をのぼって、いつものデスクに戻ろうか

        • 18:08。

          なぜ、今日がその日だったか僕にはわからない。 ここ1週間くらいずっと、人生の目標や歩くべき道を見失っていた。 11:27。  その日は昼近くに起きて朝食を食べ、しばらくスマホを眺めたあとに、朝食を消化する間もなくすぐに昼食をとった。何かしなくてはと思いながらも、うつ伏せになった体がいうことをきかない。なんて生産性のない午前中だったんだろう。 14:54。  やる気の起きない体を休めるためにベッドへと潜る。今朝からの生活を省みて、貴重な若さと時間を無駄に浪費している自分に

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        黒い海に溺れた意識

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          秋の予感

          もう炎天下の日々は来ないような気がする、そんな大人びた涼しさが漂う午後。 蝉のフォルテッシモは止んで、鈴虫と力弱い夏虫の二重奏が聴こえる。 夏空の若さは消えていた。触れたら壊れそうな淡い水色の大気の上に、純白なうろこ雲と灰色の雨雲が入り混じった空。 小鳥たちは、水中を自由に泳ぐ魚のように舞っている。 秋は、もうすぐそこに。

          秋の予感

          もらい物。 選んだ物。

          今日の午後は今年一番の大掃除だった。 暑くなってきたし、季節が変わって部屋の模様替えをするにはちょうどよかった。 本当はそんなに本腰を入れてするつもりはなかったけど、やっていくうちに段々と手が止まらなくなってついには家の物全部を仕分けした。 大学に入って4年目にしてここまでの大掃除は初めてだった。 なんだか自分の大学生活を洗い出して、整理をつけているような時間だ。 中には、一年生の頃に活動していた記録や、ニュージーランドのホストマザーとの思い出まで。 時間の経過と

          もらい物。 選んだ物。

          5月21日

          日記を書こうと思う。 なぜ書くか?  自我の追跡とでもいうのだろうか。 私はこの頃、あまりにも散乱し過ぎている。 そのうち、自分がどこからきてどこへ行こうとしていたのか忘れてしまいそうだ。 今はまだ、社会的な繋がりを持つ事に対して憧憬を維持できている。 これがもし、プツンと切れてしまったらと考えると、、、。 自分の一番深いところを模索するとき、一人でいる方が都合がいいだろう。 なぜなら、隣にいる奴の気楽な笑い声や、なんの気ない雑談が癪に障るから。 こういった

          精神の錨(いかり)

          普段、僕たちは、「自己」を重く繫ぎ留める無数の錨を身体に巻きつけている。 例えばそれは、服装や髪型、部屋の配置や所持品といった「モノ」だったり。 または、職場や学校、交友関係や過去の思い出の先に立つという「コト」だったりする。 僕たちは、常に無数のモノやコトに繋ぎ留められているお陰で、「自己」が広い意識の大海で、座標を失わずに済んでいる。 深い孤独と向き合い思想を広げるとは、錨付きの大きな船「自己」から、小さな「小舟」を出して大海を冒険する事だ。 その小舟も、元の場

          精神の錨(いかり)

          表現、あるいは自傷行為

          人間はだいたい、何かしらの”欠如”を抱えて生きている。 毎日の生活で、その欠如をどうにかして埋めれないかと悩みながら生きている。 表現することや創造意欲の源泉にあるのは、そういった欠如を埋めようとする意図が隠れている事が多い。 それは何も直接的な内容に関わったりするのではなく、作品の雰囲気や構造、言葉遣いなど、様々なところに作者の「色」として散りばめられている。 表現とは、自らの欠如を告白するような、また、コンプレックスを世に公開するような行為なのだ。 クリエイター

          表現、あるいは自傷行為

          愛の裏側

          私は今、とてもじゃないが人を愛せる気分ではない。 あれほど不確かな他人を、自分の拠り所にするなど、今の私には到底不可能だ。 愛も他人も、信じてしまえば嘘になってしまう。 常に付き纏う、疑惑の目。 この目がある限り、確実に、私の心を蝕んでいく。 疑惑の目は、他人だけでなく、自分の存在さえも疑うようになる。 他人以上に、自分が不確かな存在に思えてしまうのだ。 そうして、無神論者は孤独に陥る。 孤独とは、絶望のように仄暗い所在にある。 もう、そこには一切の希望が湧

          愛の裏側

          欲望の散弾銃

          朝起きて深い瞑想状態に入り、とりあえず目の前の僕から離脱してみる。 そして、自分の手元にやってくる思惑たちを観察してみる。 実に多様な来客だ。 ある客は、「夢を達成するために、今日はあれこれをこのくらいしなくては。」と持ちかける。 ある客は、過去にあった自慢できる逸話の、思い出話をしようと言ってくる。 ある客は、明日にやらなくてはいけないであろう嫌な事をちらつかせ、目の前にいる僕を脅かそうとする。 ここで私は、見抜かなくてはいけない。 この途方もなくやってくる来

          欲望の散弾銃

          点描画を描いて生きる

          ジョルジュ・スーラは、19世紀フランスの新印象派の画家だ。 彼の絵の技法は独特で、「点描画」と呼ばれている。 彼は、絵を描くときに線ではなく、点を置いてモチーフを表現したのだ。 僕は点描画のようになりたい。 その意味は、昨日とは違う色で、あるいは違う濃さで、違う座標に点を打って生きていたいという事だ。 毎日毎日、違う日常を送りたいと思うのは、僕が飽き性で退屈をすぐ感じてしまうからかもしれない。 しかし、昨日と同じ所にばかり点を打っていたら、いつまでも絵にならない。

          点描画を描いて生きる

          暗闇に垂れ下がった芳香

          僕はその日、疲れていた。 人間関係のトラブルに巻き込まれてしまい、心身ともに疲弊しきっていた。 トラブルのきっかけは、グループワークで進めていたプロジェクトの中で起きた責任問題というありきたりな話だ。 そもそも僕は、こういう人付き合いそのものが苦手なのだ。 その上、揉め事があるなんて、何のために生まれてきたのか分からなくなってしまう。仕事なんてほどほどにすればいいのに。「責任感を持って、みんなが嫌がる事を引き受ける美徳」とでもいうのだろうか。 正直、そんな事のために

          暗闇に垂れ下がった芳香

          限定的な愛

          愛は、大きく分けて自己愛と他者愛がある。 名義上、2つに分けているが、両者の境界線を厳密に引くことはできない。 これは、「自己」と「他者」は互いに干渉し合い、私は貴方の一部分となっているし、反対に、貴方も私の一部分となっている。という命題に近い。 しかし、やはり「私」と「貴方」には明確な差異があることは認める必要がある。 以上の事を踏まえると、自己愛は他者愛にもなりうる。 ただ、究極的な個としての自分に向けた愛(エゴイズム)と人類や社会内においての自己愛は区別される

          限定的な愛

          マグカップ

          マグカップ

          コウモリ

          夕方の6時、まだ夏を迎えていないこの時期は、すっかり薄暗い空へと模様替えをしてしまう。 なんとなく街からは活発さが抜け、家の電気と街灯が夕暮れと共存している。いっそのこと夜の方が安心できそうな、不気味な時間だ。 日が暮れる速度に、僕たちの目の明暗順応力は追いつけず、視覚を酔わされたような空気が漂う。 遠くを歩く人影が二重にも見える。歩む道は、夢の中の質感にも似た不確かさを兼ねている。 空を見上げると、オレンジと青紫だ。 たまに浮かんでいる雲が、白い布地に、その両方の

          コウモリ