独学の魔力

この世界は遊び場で、人間はホモ・ルーデンス(遊ぶ人々)だ。

 夢に向かって頑張っている事以外で、ちょっとやってみたいなぁと思う事は、誰にでもあると思う。

 例えばTOEICの勉強中でも、芸術家やアーティストを見て、憧れを感じたり、嫉妬したりするなら、それはやってみたいと思っている証拠だ。

 あ、でも、アーティストを見て「大勢の人に支持されて、日本中・世界中で有名になりたい」と思うのだったら今回の趣旨とは違ってくるけど、、、。

 そうでなく単純に、作品やパフォーマンスを見て心を動かされ、真似事をしたくなるという事は誰にでもあると思う。(今回はそういう人向けです)

私は、その真似事を全力で支持したい。

トップレベルになれるかどうか?というのは本当にどうでもいい。ただ、「私もやってみたい」という気持ちだけが、この世界では大切だ。


例えば、「絵描き」を学びたいと思ったとしよう。

「心理学」でもいい。「料理」や「動画編集」、「音楽」とか人によって色々だと思うが、何かしら嫉妬するほどやりたい事はあると思う。


さて、そうなった時、「今は受験勉強、TOEICや資格の勉強、研究、本業のスキルアップをしなくちゃいけないから。」と思ったり、

あるいは、「やるなら本気でしないと意味がない。」「絵を学ぶためには美大に行かなきゃ。」と思ったりしていないだろうか。

そこに、方法と目的の混同はないだろうか。


最初の目的は、楽しそうだからとか、やってみたいとか、意外とシンプルな動機のはずだ。

なら、紙とペンがあればできるじゃない。

(*もちろん、大掛かりな道具が必要な時は学校に行く必要があるけど、、。)

 そんなんじゃプロになれない…とか、素人がテンション上がってするなんてお遊びだ…とか言う人がいるかもしれないけど、目的はプロになる事なのか。

まず数日だけでもやってみるといいのでは。プロになるのはその後でも遅くない。


それから、独学をする上でのメリットが案外見過ごされていると思う。

以下、三つほど簡単に持論をお聞きください。


一つ、 評価される必要がない

 独学はやりたくてやっているのだから、誰からの評価も気にする必要がない。

 たとえ、効率が悪いとか、学校に行かなきゃ正当じゃないとか、基礎知識が足りないと言われても、「ただやりたいだけなので、大丈夫です。」と言うだけで論破できてしまうのだ。

 案外、有意義な時間の使い方は「評価されない」という事が重要だというのが持論だ。

 自分の活動している時間の全てが肯定され、全てがプライスレスで、全てがお金よりも価値のある時間になってしまう(!!)

 基礎や、効率や、拘りなんかよりも先に、まずは「愛する事」が独学の目標だ。

 その趣味を愛するくらいになれば知らない内に、拘りも出るし、勝手にネットで調べて基礎も理解してるだろうし、もっと上手い人を見て効率よく学んでいるだろう。


二つ、 1秒も無駄にならない

 まず、やる気がなければ独学は続かない。

だから、自然とモチベーションのある部分だけ、さらに自分の集中が続くだけすればいいのだ。

多分、「基礎が身につかなくて遠回り」という反論が返ってくると思う。

でも実は、好きなところから始めた方が基礎も早く身につく。

最初は評価されなくてもいいから、適当に自己満足で始めていても、ある程度続けるとプライドみたいなものが芽生える。

あの人の文体美しいな…と思ったり、youtubeでデッサンの書き方をわかりやすく説明しているのを見つけて、一気に上達したり。


三つ、 幅が広がる

 独学で芸術を学んで見たいけど、TOEICや資格の勉強に集中しなくちゃいけない時期だから、、。という言い訳をする人も多いだろう。

 そういう人にこそ、この私の考えを知ってほしかった。

では仮に、TOEICの勉強をする人がこの記事を読んでいるとしよう。

TOEICを勉強する”理由”は何だろうか?

就職で有利だからとか、転職のためとか、海外で働きたいから、とか色々な理由があると思う。

でも、どんな資格でも、どんな理由でも、抽象化していくと、「自分の人生を豊かにするため」なはずだ。

それならば、「独学をしたい」という想いは、TOEICを勉強する事よりも大事な事なのではないか?

なぜなら、「独学はしてみたい、、でもTOEICのために忘れよう、、。」

と、考えてしまうと、遠い未来の人生に、幸せになれるかもしれない事のために、目の前の幸せを粉々にし続けていく事になるのだから。


これは自制心が足りないようにも見えるがそうじゃない。「今・ココ」での優先度が人生の全てだ。

本当は今、ココで「やりたい」と思った独学を始める事が、一番吸収率が高く、一番身につく瞬間なのだ。

それを無理してTOEICのために我慢したところで、TOEICに対して、本来発揮されるはずの強力な「モチベーション」は働かない。

なぜなら、この時点で既にTOEICの試験勉強は、自分の今・ココで一番やりたい事を邪魔した「やらされている事」になるからだ。

「そんな事してたら、大きな目標は達成できないじゃん。。。」

そんな事はない。独学を本気でやりきっている内に、それでもまだTOEICを勉強したいと思うなら、復帰できるだろう。

ここで、「もうTOEICなんて勉強したくない!」と思ったらやらなきゃいい。

それは、やるべきではない。

 でも、海外に行きたいんだ!等といった強い想いがあれば、またTOEICの勉強に戻ってこれる。

 そして、独学をした後にTOEICに戻ってくると、きっと新たな知見が持てているはず。何も、絵描きを勉強したからといってTOEICの点数が上がる事はないと思う。

 けれども、TOEICを頑張った結果、豊かになる人生は、独学によって選択肢が増えているのだから。


結論

今回の結論として言いたかったのは、コツコツやり続ける事は凄く大事だし、それほどの執念がある事は全力でやりきった方がいい。

でも、その道中で出会った「今・ココ」の衝動に背を向けないで。

その衝動は、コツコツやってきた事と同じ初期衝動だから。

それは、新しい始まりだから。

人生においてどっちがより重要か、なんて考えないで。それは、死んだ時にしかわからない。

今・ココでは、新しい衝動の方が重要なんだって認めてあげよう。

私自身も、何年もコツコツと続けている事(社会学の研究)だろうと、「最近なんか楽しくないなぁ。」とか、「あ、本読むのに努力してる」と思ったらすぐに手を止め、他のトキめくことをしている

まぁ、時間が経つとやっぱり社会学の研究に戻りたくなるから何年も続けていられるんだけど。

でも、ちょっとワクワクがわき道に向いている時に、「本業だから」「将来のためだ」と気が向かない事をするのは効率が悪い。

その瞬間、1番ワクワクした事を生きると、時間は信じられないほど幸せなものになる。

そのために、ワクワクに嘘をつかず、大きな夢の道から寄り道をするための勇気を出そう。

#好きな事で生きていく #とは #私なりの多動力 #コツコツも大事 #自由だよ #コラム

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