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夢を見ているように過ぎるベルリンでの日々

ベルリンでの生活が、夢のように思える。最近なぜか、こんなふうに感じる。こんなにも着実に、毎日を過ごしているのに。

週5で語学学校に通い、週5で仕事をする。と言いつつ、最近の仕事は週3〜4くらい。時差と学校があるから、いまは少し仕事を減らしている。

学校での勉強も、友人との時間も、主に週末に行う仕事も、どれも欠かさずに時間を取れている。ちょっとうまく行きすぎているほどに。

この「うまく行きすぎている」と感じるところに、私が「夢を見ているよう」だと感じる理由があるのだと思う。

どういうことかといえば、私はまだこの現実を、そのままに受け取れてはいない。


私はできないという暗示


会社員の頃、私は自分に暗示を書けていた。

私は何もできない。何をやっても、上司の期待以上の結果を出せない。転職なんてできない。私には取り柄がない。

こうやって暗示をかけると、できない自分にガッカリしなくて済んだ。


私は、自分ができない人だと思いたくなくて、暗示をかけていた。だけどその暗示は、「私はできない」という暗示だった。

当時はこの矛盾に気づかなかったけれど。

できないと暗示をかけ続けたらできるわけがないし、私は無意識なこの暗示に慣れすぎた。

コーチングに触れて自分を取り戻しているとはいえ、まだどこかにこの暗示は眠っている。

このまま眠らせておくつもりではいるけれど、いつまた起きるかどうかは私にもわからない。だけど、どこかに行ってもくれない暗示。


受け取ること


この暗示が眠っているいま、私はまだ完璧には、受け取ることができていない。だから、ベルリンでの生活が夢のように思える。

学校も、友人付き合いも、仕事も、こんなにうまくいっていていいのか。これは本当に私の人生に起きていることなのか。

こんなにうまくいくということは、この生活は夢なのではないか。

と、こんな調子。私は私がうまくいかせているものを、私のものとして受け取れていない。


受け取るとはなんとも難しい。ただそういうものだと受け取ればいいのに、胸に抱きしめればいいのに。

長いこと持っていた「私にはできない」という暗示が、無意識のうちに受け取るを拒否する。

拒否されているものから目をそらせないで、私はもう少し過ごしてみようと思う。いつか受け取れるようになるために。

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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️