見出し画像

フラチトレーション

不埒×frustration=フラチトレーション

不埒でフラストレーションなヴェールに包まれた恋愛を仕向けてくる男に、今まではエクスタシーを感じていた。よくある、相手のエゴを尊重させられる恋愛。尊重させられると言っても自分がその沼にハマっていただけなのだが、正に恋愛オナニーみたいな感じだ。常に男のわがままを聴き、従うような不埒でフラストレーションなオーガズムの大洪水にハマっていた。かつては私も男のエゴを汲み取り、自分に対する好きの尺度を作為的に測っていたのだ。

そんな男は息を吐くように愛の言葉を囁き、まるでその言葉を囁いたことを物ともしない。それ故、どんな魅力的な言葉にも価値を見い出せなくなってしまう。彼らにとっては、「好き」も「嫌い」も、「おはよう」も「おやすみ」も、同じ意味を成しているのだ。そして、息を吐くように嘘を吐く者の上位互換とも言えるかもしれない。もはや、嘘を嘘と思わないタイプ。大抵、そんな独り善がりなオナニーみたいな恋愛をする男は、オナニーみたいなSEXしかしないのだ。

なんてフラストレーションを感じてしまう関係性なんだと毎度のこと思っていたが、そのオーガズムの大洪水から脱出するのはとても困難であった。別れた後、つまり「呪縛」が解けるまでは、その理不尽さに気付くことはなかった。どうか、私をその大洪水から救い出してくれる、ノアの方舟のような神々しい「救急車」が現れないかなとも思っていた。フラストレーションに不埒が加わり、急性フラチトレーションを患った私には、適材適所な応急処置が必要であったのだ。

今でも様々なシチュエーションにおいて、「自分とは何者なのか?」と己の存在意義に疑問を抱くことがある。自分自身に問いかけて完結することもあれば、その時に関わっていた人たちに自分の存在意義の尺度を測ってしまうのだ。あくまでも、相手にその意図を気付かれないように。そんな自分に対しても、更にフラストレーションを感じてしまう。正に、急性フラチトレーションだ。

それを経て、真実を持って愛を囁く人と出逢い、真実を持ってその愛を受け取りたいと思っている。精確に言えば、その真実に「センス」がある人。「寂しい」と「淋しい」は違うし、「愛情」と「情愛」は違う。そんな違いが分かる、センスのある人が良い。「信頼」と「信じる」を履き違えない人もいいな。そんな人が「救急車」に乗って現れるといいなとも思う。白馬に乗った王子様なんて端から期待していない。

相手に何かを期待しようとしても、妄想と空想だけが膨らみ、我に返った時には取り留めのない感情になる。それも不埒なフラストレーションと紙一重だな。自分の機嫌は自分で取るしかない。誰かに幸せにしてもらおうと思っても、ダメ。自分のことを幸せにできる人は、きっと相手のことも幸せにできる。

そうやって過去の感情の大洪水に浸かりながら、明日も前を向いて頑張ろうと思う1日だった。自分で自分を愛でたい。「愛でたし。愛でたし。」と言えるようなラブライフになるように。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この経験に学べ