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BIG CITY IS A LONELY PLACE

私は歌舞伎町から一歩外の世界に出ることを、「シャバに出る」と言う。なんだか、アウトローであることが前提な言い方。そんなシャバでは世界で1番小さい国がバチカン市国と言われているけれど、私は歌舞伎町だと思っている。大きい街なのに、それでいてどこか小さい国。どの世界からも隔離されているのが、歌舞伎町というLONELY PLACEなのだ。そんな私は5年の時を経て、ついにシャバに出ることができた。

そして、今は某都長の歌舞伎町一掃計画に物申したい気持ちでいっぱいである。「私は仕事ができるリーダーですよ!」というアピールのために、歌舞伎町をプロパガンダとして利用しているようにしか思えない。これが、いわゆる「自分ファースト」っていうやつなのかな。悪く言ったら、歌舞伎町心中かもしれない。

もちろん、様々なルールを設けられた背景には改善された部分も少なからずあると思う。「何か折り合いをつけないと生き残っていけない」という歌舞伎町の民の諦めの念が、結果的にその改善へ導いているのもある。

でも、これ以上歌舞伎町を一掃しようとすると、その小さな世界の民は行き場所を無くしてしまう。ただ歌舞伎町に佇むことで安らぎを感じたり、担当ホストのために頑張ることを生き甲斐にしている民もいる。売掛をしないと働くモチベーションにならないという民も少なからずいる。売掛完全禁止になる2ヶ月後には、彼女たちの心の持ちようはどうなるのだろう。

私は、売掛を返済する度にその担当ホストとの「お金の関係」を顕著にされている気がして嫌だった。だから、ホストに通い始めてすぐに止めたし、ホストが理由で経済的に困窮したことは一度もなかった。使いたい分だけ稼ぎ、また次の「目標」に向けて仕事を頑張るのが好きだったのだ。専ら、その「目標」は高級ボトルを引き換えに大枚を叩くことだけを指すが。

でも、誰にも迷惑を掛けずにホスト遊びを楽しむなら、全然悪いことではないと思っている。「ホスト狂」ではなく、「ホスト遊び」であれば月数千円からでも遊べるし、アイドルのコンサートに行くのとなんら変わりはない。ただ、歌舞伎町の民は辺鄙な世界に佇んでいるというだけで敬遠されているのかもしれない。そこはアイドルがいるようなキラキラしている世界ではなく、人々を闇に誘うような世界だと思われている。でも、そこにしか存在し得ない唯一無二の光は確かにあるのだ。

かつての私も、担当ホストのことで頭がいっぱいであった。生活の一部どころか全てであり、依存という依存の全ての谷を越えきっていたと思う。一般男性に声を掛けられても見向きもしなかったし、恋愛や婚活なんて一切興味を持てなかった。今でもマッチングアプリで出逢った男性と当時の担当ホストを比べては、事あるごとに幻滅してしまう。例え幻想であったとしても、彼らは真のジェントルマンだったと思う。色んな伏線を踏まえての所作や言動、表情。どれも全て、溢れんばかりの耀かしさがあった。そんな閃光的な後遺症を与えてしまうくらい、歌舞伎町と担当ホストたちは私をトリコにさせたのだ。

だから、その世界を完全に消すことで、リアルな世界から消えたくなってしまう民もたくさんいると思う。働く場所、孤独を満たせる場所、自己顕示欲を満たせる場所。それらの全てを失ってしまう。当時の私をリバイバルさせるとしても、絶対にそうだと思う。リバイバルさせるというよりも、まだそこに当時の私が生きているような気がする。耀きを求めているようで、どこか精気を失っている私の魂が、今も尚彷徨っている気がしてならない。時折、歌舞伎町の入口に差し掛かると、そう思えて仕方なくなるのだ。

どうか、歌舞伎町心中は幻で終わってほしい。
誰もが己の命を消してしまうことがないように、「歌舞伎町民ファースト」も少しはあってほしいなと思う。LONELY PLACE の微かな燈火が消えきってしまう前に。

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