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A Course in Miracles 取り組み方と秘訣

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A Course in Miracles を学んでいく上での重要なこと、注意すべきこと、知っておいたほうがいいこと、などについてのコラム
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#コース形而上学

ケネス・ワプニック博士の教材で学んだとしても、私たちはコースを歪曲する

ケネス・ワプニック博士の教材で学んだとしても、私たちはコースを歪曲する

それが難解で地道であったとしても確実な道を歩むべきですコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学ぼうとするとき、誰もがその教えの難解さにぶつかるといえます。

そんな私たちにとって、コースの思考体系(形而上学)を理解していく上でもっとも助けになるのが、ケネス・ワプニック博士の教材だといえます。

とは言いましても、実際のところ、ケネス・ワプニック博士の教材ですらも理解するのが難しいと言わざるを

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コース形而上学を理解することなしに、コースの実践などできるのでしょうか?

コース形而上学を理解することなしに、コースの実践などできるのでしょうか?

コースの学びを通して悟りの境地に至るコース(奇跡のコース/奇跡講座)の形而上学を理解することなしに、コースの実践などできるのでしょうか?

当然、そんなことはあり得ません。

まともに考えても、普通に考えても、そうであることは当たり前なことです。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の形而上学を理解していないなら、「赦し」が何なのかも分からないわけで、ならば「赦し」を実践していくことなどできるわけが

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コースを教えるティーチャーによっては、その内容は似て非なるものである

コースを教えるティーチャーによっては、その内容は似て非なるものである

ケネス・ワプニック博士の教材でコースを学ぶコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいくうえでは、ケネス・ワプニック博士の教材を使って学ぶことが有益だと私は感じています。

いわゆる、FACIM(Foundation for A Course in Miracles)が提供する教材がコース学習をとても助けてくれるということです。
(もちろん、JACIMサイトも利用させていただいております。

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どのようにして私たちはわが家に帰るのか?

どのようにして私たちはわが家に帰るのか?

通ってきた道をたどってわが家に帰るそもそも一なる神の子であった私たちはどのようにしてこの幻想の夢の中に閉じ込められてしまったのか?

ワプニック博士が解説する教材でコースを学んでいくとき、そのプロセスを神話として理解することができます。

いわゆる、「分離のプロセス」を理解することができるtということです。

言い換えるならば、もしワプニック博士の解説がなかったならば、分離のプロセスについて理解す

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コースは「気軽に」「気楽に」学んでいけるようなものなのか?

コースは「気軽に」「気楽に」学んでいけるようなものなのか?


このコースは多大な意欲と努力を要する霊性の道であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を「気軽に」「気楽に」学んでいくことはできるのか?

ということで言うなら、

コースを真摯に学んでいきたいのなら、そして本当にコースを通してこの世界の夢から目覚めていきたいのなら、それは大きな勘違いだと言えるでしょう。

厳しい言い方になりますが、コースは「気軽に」「気楽に」といったような、そんな生半可

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「赦しのやり方がわからない、赦しのやり方が知りたい」と思っているコース学習者への助言

「赦しのやり方がわからない、赦しのやり方が知りたい」と思っているコース学習者への助言


赦しをやり方やテクニックとして捉えているなら学べないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びはじめというものは、とにかく赦しの「やり方」を早く知りたいと思うものです。

コースの実践は「赦し」をしていくことだというふうに学んでいくので、それは仕方のないことだといえます。

それゆえに、つい、私たちは「赦しのやり方、方法が分かりたい」というふうに安直に学ぼうとしてしまうのもやむを得ないことだといえま

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赦しがやり方やテクニックといったものになってしわないように

赦しがやり方やテクニックといったものになってしわないように

「赦し」の目的と手段についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学習者である私たちは、その実践として「赦し」をしていくわけです。

ただし、「赦し」といっても、

赦しとは何なのか?
赦しとはどういうものなのか?

その形而上学的な理解の土台がなければ、「赦し」の実践もあり得ません。

さらにいえば、赦しのやり方やテクニックをいくら学んでいったとしても、そもそもが何のための実践なのかが見当

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この世界を死によって去るのではなく、真理によってこの世界を去る

この世界を死によって去るのではなく、真理によってこの世界を去る


コース学習者のジレンマコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践として「赦し」をしていけばいいのだということは分かっていても、その「赦し」をどうやってやればいいのか?がよくわからない、、、

といった具合に、コースを学ぶ多くの学習者がそんなジレンマを感じているといえます。

コースを学んでいるつもりではあるけれど、日々のコースの実践がまったくできていなかったり、学んでも学んでも、コースが教

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なぜ、コース形而上学の学びと理解がそれほどまでに重要なのか?

なぜ、コース形而上学の学びと理解がそれほどまでに重要なのか?

今回は、

なぜそれほどまでにコース形而上学の学びと理解が重要なのか?

ということについて、私の学びと実践において実感しているところから書いてみようと思います。

なぜ、コース形而上学の学びが重要なのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の概要だけを分かっているだけなのに、コースを理解したつもりになっている人たちがおられたりします。

そんな彼らがよく抱きがちな疑問と質問が以下のものだと

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コースでいう「自学自習」の意味について

コースでいう「自学自習」の意味について


教えているのは誰か?学んでいるのは誰か?私たちはスピリチュアリティ(霊性の道)の道を歩むときに、自分の外側に教師を作り出す、ということをします。

それがいけないということではありませんが、私たちはそのことについて充分に注意する必要があります。

とくに、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は自学自習(独習)で学んでいく霊性の道であるからして、気をつけなければならないことだといえましょう。

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巷のコースの簡易本、簡略本、関連本でコースを学ぶことができるのか?

巷のコースの簡易本、簡略本、関連本でコースを学ぶことができるのか?

コースを正しく学んでいくための注意点現在では、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)に関する関連本がたくさん存在しています。

その中でも、ゲイリー・レナード著書の『神の死者』はとても有名だといえます。

彼の著書をきっかけにコースを学びはじめた方もけっこうたくさんおられるのではないでしょうか。

もちろん、私もその一人です。

彼の著書はとてもありがたいものであることにはちがいありません。

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何度も繰り返してコース形而上学を学んでいくことがとても重要です

何度も繰り返してコース形而上学を学んでいくことがとても重要です


コースは私たちが思っているようなものではないもし、「自分はコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)をもう理解している、自分はコースがどういうものかを分かっている」というふうに思っているとしたなら、

むしろ、その自分はコースをまったく理解していないと思ったほうがよいでしょう。

なぜならば、コースが教えていることが理解されていくならば、コースについてそんなふうには決して思えなくなるからです。

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「自分は分かっている」と思っているかぎり、けっして学ばれることはない

「自分は分かっている」と思っているかぎり、けっして学ばれることはない


自分の狂気さ、無知さ、愚かさを自覚するコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、あるいは、コースの学びを深めていく上で、もっとも気をつけなければならないのは、「自分はコースを分かっている」という想いだといえます。

ようするに、「自分は分かっている」という想いが、逆に、コースの学びを邪魔するということです。

「自分は分かっている」としているなら、コースが学ばれていくことはけっ

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コース学習の一番の近道は?

コース学習の一番の近道は?

コースが教えている内容を理解できるようになるためにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は実践的、実用的な霊性の道だと言うことができます。

ただし、その実践をしていくためには、コースの形而上学(理論)を理解していないかぎり、その実践などできるわけがないということは言うまでもありません。

コースが教えていることを理解することなしに、どうやってコースの実践ができるというのでしょう。

当然なが

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