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コースでいう「自学自習」の意味について


教えているのは誰か?学んでいるのは誰か?

私たちはスピリチュアリティ(霊性の道)の道を歩むときに、自分の外側に教師を作り出す、ということをします。

それがいけないということではありませんが、私たちはそのことについて充分に注意する必要があります。

とくに、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は自学自習(独習)で学んでいく霊性の道であるからして、気をつけなければならないことだといえましょう。

だからといって、コースは独学で一人きりで学ばなければいけないということではないということも知っておくと良いでしょう。

なぜなら、「自学自習」という言葉に惑わされて、コースの学びを深めていく機会を逃してしまうこともあるからです。

ですから、コースでいう「自学自習」の意味を理解しておくことはとても大事です。

コースが教えている内容を正しく理解していくならば、「自学自習」の真の意味は、形態(行動)とは一切関係がないということが分かります。

コースを学んでいる自分とは誰なのか?

その自分とは、「心(の決断の主体)」の自分なわけです。

「自分は心(の決断の主体)である」ことを認識するようになるとき、そこから本当の「自学自習」がはじまると言うことができます。

学びのプロセスのある段階で、ここには他者などいない、つまり、自分以外ここに誰もいない、自分しかいないということが分かってくるわけです。

つまり、教えていくのも、学んでいくのも自分だと自覚/認識されていくということです。

それは実践を通してでしか、教えることも学ぶこともできないということも理解するようになります。

それは形態を超えたところである心のレベルにおいてのみ、教え、学ばれていくものなわけです。

ようするに、「自学自習」の真の意味は、形態とは一切関係ないということです。

もし「自学自習」という形態に囚われて、頑なに一人(独学)でコースを学んでいくとしたなら、コースの学びはかなり困難な歩みとなることでしょう。

その歩みをもっと早めて時間を短縮できるかもしれないにもかかわらず、相当な意欲と努力を要するだけでなく、その歩みを遅らせることにもなりかねません。

私自身の見解からいえば、コース形而上学をしっかりと学んで、理解して、そこから実践している学習仲間と学んでいくことはその歩みを早めてくれるだけでなく、何よりも学びのモチベーションを維持していくうえでも大いにその助けになると言うことができます。

何が言いたいのかというと、コースを実践していくためにもっとも重要不可欠なのが、コース形而上学を明確に理解することだということです。

その形而上学が理解されていないならば、その実践もあり得ないということです。

そして、何度も申しますが、本当の学びは実践を通してしか学ばれていかないということです。

そのためにまずは知的レベルでしっかりとコース形而上学を理解していくことが必須であり、そこからしか本当の実践的な学びははじまらないということを知っておきましょう。

コース形而上学の知的な理解に基づいて実践していくことによって、体験的な理解としてその教えが根付いていくことになります。

そして、それは、個人的実践の中での学びであるわけです。

コースの学びとは、そういうものです。

つまり、コースでいう「自学自習」とはそういうものだということをわきまえて学んでいかれると良いでしょう。


教えているのも自分、学んでいるのも自分

上記で述べましたように、「自学自習」は実践の中で自分で自分に教え学んでいくものであるわけですが、正しい実践をしていくためにも、正しいコース形而上学の理解は欠かせないということです。

ですから、

誰と学ぶのか?どのコース・ティーチャーから学ぶか?

は、とても重要だといえます。

ときに、コースの教えを誤った解釈をして歪曲しているケースもよくあるからです。

コースを本当に理解していきたいのであれば、そして、コースの思考体系を本気で修得しようとするのであれば、

誰と学ぶのか?どのコース・ティーチャーから学ぶか?

を見極めることは非常に重要なことです。

私の経験から申しますと、コースをしっかり学んでいきたいのであれば、ワプニック博士の解説する教材で学ばれることをお奨めします。

もしくは、ワプニック博士の解説する教材で学んでいるコース・ティーチャー、学習仲間たちと学ばれるのがもっとも学びを進めてくれる近道だと思います。

たとえ、ケネス・ワプニック博士の解説が難解そうに感じられたとしても、それでも地道に学んでいくならば、コースが教えている内容が理解できるようになるだけでなく、その教えに基づいた実践もできるようになっていきます。

コースが教えているその形而上学をしっかり理解していくならば、ワプニック博士の解説する教材ほど、コースの学びを助けてくれるものはないと分かることでしょう。

そして、このコースの学びは実践を通してしか、その学びはけっして深まってはいかないということも理解するようになるでしょう。

つまり、自分に教えていく、自分で修得していく、ということなしに学びが深まっていくことはあり得ないということです。

コースの学びが深まっていくならば、世界はない、他者はいない、ということが理解されてくるだけでなく、そのような知覚にシフトしていきますので、コースはそもそもが「自学自習」でしかあり得ないということも分かってきます。

コース学習の歩みはそのようなものになっていくということを覚えておくと良いでしょう。

教えているのも自分、学んでいるのも自分なのだ、というふうにです。

そうなっていくとき、知覚しているこの世界は学びのための「教室」と知覚されていくようになります。

形態レベルにおけるすべての「特別な関係」を、自分の学びとレッスンのためのもの(神聖な関係)としていくようになるのです。

そうなるならば、コース学習において、もはや、教師と生徒というような学びの形態(かたち)は関係なくなり、知覚するものすべてが教師であり、自分はそれらから学んでいる生徒であるというふうになっていきます。

何度も申しますが、その「自学自習」は、この世界における形態や行動とは一切関係ないのだということです。

コースの学びにおける「自学自習」とは、そういうものであることを知っておくとよいでしょう。

以上、「自学自習」についての私の見解です。

本当の意味での「自学自習」の学びと訓練ができるようになるために、お互いに学びを深め合うことのできる学習仲間として、この道を共に歩んでいけたら幸いです。


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