仲間がいることの強さ。
みなさんには「仲間」はいますか?
あえて家族や友人、恋人、同僚といった言葉での表現をしていないのには、理由があります。
「仲間」という言葉に対するイメージは、極端な話ですが、命を預け合う間柄くらいのイメージです。(もちろん、本当に命を預けているわけではありません)
とにかく信頼をおける人たち。
命を預けあっている人間にとっては、言うまでもなく信頼が重要です。
「同じ窯の飯を食う」だったり「盃を交わす」だったり「裸の付き合い」だったりといった言葉がありますが、この言葉の通りで、共に色々なことを経験していくことで、互いの信頼関係というものは強まっていきます。
強い信頼があれば、ちょっとやそっとの失敗では、簡単に縁が切れるようなことは起こりません。
そういう人たちだからこそ、自分をさらけだして弱さを見せることができるし、なんでも相談できるし、助けたいとも思える存在です。
こういった仲間意識が相互扶助の心を生み、仲間がいるコミュニティ内で好循環が発生していくのだと思います。
言いたくないことを言ってくれる存在。
時には、自分にとって耳が痛いことを言ってくれる存在。
それも仲間です。
先ほどは違いを助け合う部分について触れてきましたが、自分を真の成長に導いてくれるという側面を持っているのが仲間という存在です。
相手にとって耳が痛くなるようなことを伝えるのは、容易なことではありません。
時には相手を傷つけてしまう可能性もあるし、自分は相手のことを嫌っているという印象を与えかねません。(まあ、伝え方次第ではどうとでもなると思いますが。)
とはいえ、人に指摘をしたり、悪い部分を伝えることには、結構な心理的負担がかかります。
それがすんなりと言い合える存在も、仲間です。
仲間であれば、相手が本気で言っているということがわかります。
さらに、自分を深く知ってくれている存在でもあるため、今の自分には何が必要なのかを分かった上で伝えてくれる存在でもあります。
そして、時にはぶつかり合うこともあるでしょう。
ですが、互いに本気であるからこそ、譲れない部分があるし、違いの考え方をぶつけ合うことによって、新たな考えが生まれていくわけです。
ぜひみなさんも、友人でも家族でも恋人でも同僚でもない。
「仲間」という関係性や存在について考えてみてください。
間違いなく、人生をよりより方向に導いてくれる存在であるはずです。