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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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#目覚め

私たちはどのようにして本当の喜びを見つけられるのでしょう

私たちはどのようにして本当の喜びを見つけられるのでしょう

喜びのない場所コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は私たちに何を教えてくれているのか?

というなら、

この世界には喜びも幸せも希望もないということ、
そして、
本当の喜びや幸せはどこにあるのか?

ということについて教えてくれていると言うことができます。

例えば、コースのテキストでは、この世界について「喜びのない場所」というふうに表現しています。

それと同時に、そこで述べられているの

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ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティに迷走する者たち

ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティに迷走する者たち

目覚め、悟り、非二元って何だ?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、「目覚め」「悟り」「非二元」「真理」へと至るためのスピリチュアリティであることは周知のとおりです。

それゆえ、最近では、ノンデュアリティのスピリチュアリストたちの中でもコースに関心を抱いている方々も少なくはありません。

ただし、そこで言えるのが、

そもそも、目覚め、悟り、非二元とは、いったいどういうものなのか?

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「非二元」と「純粋非二元」の違いが理解できますか?

「非二元」と「純粋非二元」の違いが理解できますか?

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は一元論のスピリチュアリティであるということは言うまでもありません。

いわゆる、ノンデュアリティ(非二元)の霊性の道なわけです。

でも、コースの学びと実践を通してこの世界の夢から本気で目覚めていこうと思っているのであるなら、巷の「ノンデュアリティ(非二元)」や「悟り」のスピリチュアリティとは、一線を画する必要があるといえます。

というのも、そこには目

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欠乏のゲーム、孤独のゲームから脱却していくために

欠乏のゲーム、孤独のゲームから脱却していくために

「特別な愛の関係」についてこの世界に居る私たちは誰もが自分は孤独だと感じています。

というのも、私たちはワンネスである神との一体性から分離したと信じているからです。

「私は存在している」ことが、まさにそういうことであるわけです。

私たちは誰もが自分は愛されていないと感じています。

愛がないと感じています。

それゆえに、私たちは愛を求めることに没頭し続けているといえます。

私たちはその欠

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無自覚だったものを自覚していくことが私たちがしていかなければならないことである

無自覚だったものを自覚していくことが私たちがしていかなければならないことである


自覚する、認識する、明らかにするコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践について言えるのは、「見る/直視する/正視する」ということなしには、その実践はあり得ないということです。

つまり、それなしに「赦し」はけっしてあり得ないということです。

コースの実践で求められているのは、「見る/直視する/正視する」ということであり、それは習慣化されなければならないものであり、もっといえば、最終的

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「私」の非実在性を受け入れていく

「私」の非実在性を受け入れていく

「私」の完全なる放棄「私」がこの世界の夢から目覚めるのではありません。

なぜなら、この個別な「私」こそが非実在なのですから。

ですから、「私」にできることは、この「私」と、この「私」が知覚しているものすべてを包含して非実在として受け入れていくことだけです。

つまり、この夢を夢であると認識したところからこの世界の夢を眺めることだけです。

それが夢(虚偽)であると認識できる視点こそが、「赦しの

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「これは夢である」と気づいているだけではまったく十分ではない

「これは夢である」と気づいているだけではまったく十分ではない


明晰夢について明晰夢とは、夢を見ていながらも「これは夢である」と気づいている状態のことを言います。

「悟り」の状態とは、そういうものだと言うことができます。

ただし、「悟り」は、それで終わりではないということも知っておかなければなりません。

さらにその先に、「悟り」の状態を完成させていくプロセスがあるのだということです。

いわゆる、「完全なる悟り」へと至る道があるということです。

そし

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苦しみの原因が理解されるならば、その原因を訂正することができる

苦しみの原因が理解されるならば、その原因を訂正することができる


苦しみからの完全なる脱却をめざして苦しみの原因は何なのか?

その原因が明らかになるならば、苦しみの原因が認識されるならば、私たちはその苦しみを訂正することができます。

そしてそれが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちがしていくことだと言うことができます。

コースでは、それを「奇跡」または「赦し」と呼んでいます。

そして、その訂正(奇跡)によって、私たちは知覚している

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「自分は死ぬ存在である」という前提で私たちは生きている

「自分は死ぬ存在である」という前提で私たちは生きている

本当の安全を求めて~安住の地を求めて私たちは、この世界から自由になることよりも、つまり、この世界の夢から目覚めることよりも、この世界に留まるほうが安全だと信じています。

この世界に安全といえるものなど何一つもないというのに、それでも私たちはこの世界のほうが天国よりもマシだと思っているのです。

なんという狂気でしょう。

まともに考えるなら、この世界に安全などないと分かります。

「自分はこの肉

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もりGのコース経歴

もりGのコース経歴


これまでの私のACIM学習の歩み私がコース(ア・コース・イン・ミラクルズ/ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)と出会ったのは2008年のことです。

『ア・コース・イン・ミラクルズ』(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)というスピリチュアリティ(霊性の道)の存在を知ったときの衝撃は忘れられません。

探していたのはこの(霊性の)道だ!これしかない!

と直感したのと同時に、

やっと見つけた!

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スピ系の「悟り」についてコースの観点から考察してみる

スピ系の「悟り」についてコースの観点から考察してみる


悟り、ワンネスを一瞥しようがしまいが巷のスピ系で「悟り」(の体験)と呼ばれているものについて、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から書いてみようと思います。

結論から申せば、コースの観点から言うと、「悟り」の体験というものは、実相(真理/天国/ワンネス)を一瞬だけ垣間見ただけ、つまり一瞥しただけであり、それが私たちコース学習者のゴールとするものではないということです。

コース学

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