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父親と私の見えない関係性。

RYuJiです。

私と父親の関係において私が小学4年生の出来事は切っても切り離せない事です。

父親は私に進学校に行って欲しいと思って小学生の頃から塾に通わせてくれました。私もその期待に応えようと頑張ったのですが全く結果が出ません。

その中でも毎日勉強をして成績を上げようとしてもいつも結果は同じ…

そうすることで父親は「期待から来る私に対する怒り」をいつも感じていました。

その当時は自分が勉強したいとか良い学校に行きたいというよりも父親を笑顔にした。ただそれだけのために勉強をしていました

しかしこうした状況が続いていくと私のメンタルも小学4年生ではありますが、かなり疲弊して父親に「もう塾を辞めたい」と泣きながらに懇願をしたことを今でも鮮明に覚えています

そこから勉強というものが嫌いになり、でも父親は息子の私には同じ職業について欲しいということで中学校でも高校でも無理矢理勉強をさせようとしました。

その時期は本当に父親と仲が悪かったです。正直関わらないで欲しいと思っていました。

私の中で気持ちの変化があったのは、高校3年生の時に父親は全く納得をしていませんでしたが指定校推薦で大学に私が行くと決めた時です。

そこから私なりに父親に今までの思いや辛かったこと、父親の子どもとしてこうして欲しかったと伝えました。

それ以降私も父親に対して嫌な気持ちなどは本当になくなっていました。

しかしながら小さい頃の記憶はそんな簡単に無くなりません

私が小さい頃に受けたことが今なお自分を苦しめる考えになっています。

それは「自分が頑張り相手の期待に応えなければ評価をされない」ということが自分の中に根深く残っています。

だから、自分が何かをやりたいからする。とか自分の好きなことだからやる。のではなくどこか周りの人に合わせて自分の感情に蓋をしようとしています。

そういったことを乗り越えようと色々な方の手を借り自分と向き合うと1つ見えてきたことがあります。

「個」を見て欲しい。

という思いでした。

・良い成績を取った私。
・賢い学校に通っている私。
・何か資格を持っている私。

そういったことではなく、素の私を見て欲しいということです。

社会は結果でしか人を判断しません。それは当然ことです。過程まで人のことを見ていればキリがありません。

ですが、家族や身近な存在の人には条件付けで人を見るのではなくその人の存在価値としてみて欲しいということを思っています。

私はそこに気づけた時に心が少し軽くなりました。

今までは「個」を見て欲しいと思いながら相手に合わせた人間になり評価されようとしていましたが、

今はどんな自分でもまずは自分自身が心から満たしてあげる

そこからこんな素の自分でも良いっていってくれる方と一緒にいたいと思えました。

私はまだまだ道半ばな状態です。もしかするとまだまだ乗り越えなければいけない壁があるかもしれません。

焦らずに1つ1つ自分の中で消化しながら今後も前に進んでいきたいと思います。

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