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#イギリス
2店舗目(むぎ家)を作ったきっかけ
世の中には拡大路線で店舗の数で勝負する経営者の方もいらっしゃいますが、自分は真逆でした。小さくてもいいからいいお店を切り盛りしてみんなで食べていく。こんな日常を思い描いて7年間毎日店に立ち続けました。正直、売り上げは個人店にしたら悪くないし、返済もあと数年で終わるだろうと思っていました。
以前にも書いたのですが、イエモルトハウスは築95年の5棟長屋の1つで営業しています。
謄本をとってみたら、底地
イエモルトハウスが店燃えたハウスになった時の話(最終回)10
最後の最後に、ファサードを仕上げました。
ファサードは店舗の正面の顔の事です。
燃える前は焦茶のペンキを職人さんにべったり塗ってもらって満足していました。しかし、どうも皆んな通り過ぎてしまうという声が多く、ファサードが暗いので変えようと思いました。出来ればオークとかつかってカッコよくしたいなと思いましたが、予算にかぎりがあるので、そこで、天才前田さんの、アイデアで、オークの突板を貼り付けるというア
イエモルトハウスが店燃えたハウスになった時の話(またトラブル発生)8
燃えてしまった事でいい意味で普通じゃ出来ない思い切った内装の変更をする事ができました。開業当初カウンターで受け渡しの前提で作られた為、受け渡しカウンターの前はスタンディングのための2m程の幅300mm位の折り畳みカウンターを壁面に設置したました。思い切ってビールタワーのL字カウンターを作りました。これにより、出入りが1箇所だったカウンター内の動線が一気に解消して、客席へのアクセスが容易になりました
もっとみるイエモルトハウスが店燃えたハウスになった時の話(窓のガラス)5
取り外した窓枠に新しいガラスをはめる事にしました。ヒビが入っていたりとドアについているものなので衝撃で割れてしまう恐れもあるなと思いました。
海外のパブの写真や画像が当時、あってもいい様なものなのですが、インターネットでも少なく、少ない中でもたまにランダムでハマっているグルグル🌀の窓ガラスが気になっていました。ステンドグラスとかには良く小さいものがはまっているのは見ていたのですが、少し大きいサ
イエモルトハウスが店燃えたハウスになった時の話(ひたすら掃除と塗装剥離)4
解体作業があらかた片付いたので、今度は埃まみれになったり、火事によって煤がついたり灰がかぶっていたりする床やキッチンのレンジフードなどを綺麗に拭く作業を始めました。電気は写真の通りドロドロに溶けてしまったので通っていません。
水道と排水は無事でした。
なので1ヶ月くらい毎日毎日拭き掃除をしました。それこそ床はコンクリートかというくらい灰と埃が積もっていたので全部の床を這いつくばって20-30回位
イエモルトハウスが店燃えたハウスになった時の話(店が火事)1
あれは忘れもしない2015年10月1日の朝7:20分ごろの事でした。オープンしてから丁度2年半の事です。
前の日に近くに住んでいる政治評論家の方に色々なお話を伺い、日本の飲食店ではタブーとされている政治の話をするのが本場のパブっぽいんじゃないかと、さりとて、全く政治に興味がなかったので、来週にでも一度勉強会みたいなのをやりましょうと盛り上がった次の日の朝でした。
寝ていたところ、同じ階に住んで
イエモルトハウスが店燃えたハウスになった時の話(火事当日)2
その日の午前中は取引業者、保険屋、大家さんに連絡し、ことの経緯を説明しました。お昼には全ての連絡を終えて呆然としているなかでもその日の午後うちに実況見分があり、消防からの報告は漏電による出火との事でした。
今後の事を考える余裕もなく、ただただ思いつく事を作業の様に終えて、夜にもう一度店に入りました。
暗い中、まだ火事特有のプラスチックや木が燃えた匂いの中で居ても立ってもいられなく、すぐに家に戻りま