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【考察】男はなぜ不倫をするのかを女目線から考えてみた

※この記事は3分半で読めます

こんにちは。昔から浮気・不倫小説が好きなネクラちゃんです。
「サヨナライツカ」に始まり、「失楽園」「愛の流刑地」「夜明けの街で」「八日目の蝉」「セカンドバージン」など、大学時代読みあさっていたのを思い出したらまた読みたくなってきました。

特に出だしが好きなのが「サヨナライツカ」なのですが、冒頭下記のような詩で始まります。

人は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す

まずここからもう「イヤ----ンちょ・・・も・・・何よ何よ、、、////」と高ぶってきますよね?ね!!!

基本的に「人は●●な人と●●な人に分かれる」みたいなのはあんまり好きじゃないんですが(「二つにわけただけでなにドヤ顔してんねんオラ」と思ってしまう)、この小説に関してはこの詩でぐいっと引き込まれて興奮したのを覚えています。

現実世界で浮気するリスクを背負いたくないから小説の世界で妄想体験したいという願望と、不倫小説の方が切なくてドロドロした人間の黒い部分が浮かんできて、ネクラな私の妄想がはかどることから不倫小説が好きです。

芸能人の不倫のニュースも結構話題になりますよね。
特に清純派タレントの不倫だと、「社会的制裁」ってこういうことかってくらい大炎上しますよね。
皆さんも思わず浮気のニュースやコメントって見てしまいませんか?

かくいう私も、「不倫は二人の問題だから外部の人間に何か言う権利なんてない」と正論を振りかざしながら、「週刊文春」の唐田えりかのスクープ記事を見るために人生初のLINE課金をしてしまった自分のやましさが辛いです。

小説も現実の世界も、浮気や不倫って大体は「男の方がいつまでも中途半端なことを言って奥さんと別れない」っていうのが定石ですよね。
大抵の場合女性が家庭や私生活を捨てても、男の方はなかなか生活を捨てる決心ができないものです。

駆け落ちして一緒になるというパターンもまれにありますが、大抵は不倫関係を長期に強いられた挙句別れるか、良くて心中です。

私はこれについてずっと、「男は快楽、その時の感情にのまれる生き物で、本当に不倫相手のことを大切に愛していないんだ」と思ってきました。

大人になって、独身男性にはめっぽう非モテの私ですが、なぜか既婚男性に言い寄られることがたまにあります。(ドコイッタシングル)
また、時々不倫している人も残念ながら周りで見かけるようになりました。

しかし、ハナから「不倫は火遊び」と割り切っている人を除き、浮気をする男の殆どは私が思い描いていたような「不誠実な人間」ではなく、意外とまじめな人間も多いことに気づきました。
私に近寄ってきた人間も、ネクラに近寄るくらいですから、テンション高い遊び人は皆無で、コミュ障やネガティブ男などジメジメした人種でした。

数々の不倫小説を読み漁り、現実の不倫も色々と観察してきた中で、自分の中で「不倫をする男の心理がどういうものか」について少し仮説が見えてきたので、今日はそれについて話したいと思います。

「女と男では”人格”の単位が異なるだけであって、不倫相手もちゃんと愛しているのではないか」

というのが私の仮説です。

どういうことかと言うと、男性って「一人の男としての自分」「夫・父親としての自分」「会社員としての自分」といった様々な立場における自分という人格をそれぞれ別個に持っているんじゃないかと思うんです。

一方女性はそういった様々な自分が一つの箱の中で優先順位や比重を変えながら交じり合っているのではないかと。

例えば、男性って「会社と普段では全くキャラが違う」ってことって結構ありますよね。
一方女性は会社の人間関係でも、プライベートな人間関係でも話す話題やキャラクターが大きく変わらない人が多いのではないかと思います。

仕事に対して個人的な感情や、性格を持ち込むのも女性が多いですよね。
女性は、「嫌いな人に頼まれた仕事はしたくない」とか「そういう頼み方をされると気に食わない」といった、「普段の自分」が仕事の価値判断にも影響する傾向があるように思います。

また、「母親の顔になった」という言い方があるように女性は子供を産むと優先順位が大きく変わり、性格や思考も変化するように思います。
子持ち女子との女子会は夫の愚痴や子供の話ばかりですが、未婚女子の女子会は仕事や色恋の話ばかりです。
一方男性は結婚しても話題や思考に大きな変化が見られないように思います。

このように、女性は一つのパーソナリティ―の箱の中に自分という人間の種別が優先付けされて詰め込まれていることから、「優先すべき自己がその人のあらゆる場所での性格の主軸になる」という傾向があるのではないでしょうか。

一方男性は、結婚しても「会社の自分」は「父親としての自分」にとって代わることはなく、それぞれ別個に生存しているのではないかと思うんです。
よく「いつまでも男でいたい」なんていう痛いおじさんもいますよね。

▼男女のパーソナリティの持ち方のイメージ

その仮説をもとに考えると、
男性が不倫相手と結婚しないのは当然の帰結であるように思えます。

男性にとって結婚相手は、「夫としての自分が愛すべき相手」であって、「男としての自分が愛する相手」と悲しいことに必ずしも一致しないことがある、もしくは一致しなくなっていくのではないでしょうか。

不倫する男性が言い寄る時って大抵の場合「相手は自分が結婚していることを知っている」ということをしっかり認識していると思います。

それにもかかわらず「奥さんとの関係をどうするか」については全く名言せず、悪気もなく近寄ってくるわけです。
これを誠実そうな男性が普通にやれるのは何故なんだろうと思ってきましたが、彼らにとって「夫としての自分」と「男としての自分」は別人くらいに思っていて、「男としての自分がある女性に行為を抱いている」ことは「夫としての自分が妻を愛している」こととは矛盾していない、という思考が無意識の中にあるんじゃないかと思うんです。

バレたらまずいという認識はあるでしょうが、別の社会で生きる別のキャラクターだと考えると、「夫としての自分」が家庭を捨てるという決断にならないのも頷けます。

皆さんこの仮説、どう思いますか…?
私の中ではなんだかすごくしっくりしてきました。

これからはメシウマ不倫小説も違った角度からみられるような気がします。
また、東出のことも許せそうです。

今も不倫は否定派です。
「夫としての自分が愛する人」になれないことが決まっている以上、初めから負けの見えているゲームなわけです。

でも不倫に袖を濡らす女子に、あなたは愛されていないわけではないんだよとエールを送りたい。
まぁ慰謝料とか請求されるリスクあるし損しかないからやめた方が良いよ。

なんだかすっきりしました。ではではまたね。

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