渋谷区の探究の取り組みへの反応について、自分なりに意見を整理しました!
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渋谷区の探究が議論になっています!
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渋谷区の探究に対して賛否両論が出ているそうです。これについて自分の思うところをまとめてみました。
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2/10 ABEMAヒルズ
午後は全て「探究学習」の時間! 教科時間は最大1割減の大胆な取り組みに「受験は大丈夫?」「理念はよく分かる」など賛否も
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渋谷区の小中は、探究が午後全て入る大改革なので、賛否の声が出ているようです。反対には、受験を心配する声があるとのこと。
私個人としては以下のことを思います。
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1:世の中には結局、受験をするために学校があると思っている人がまだ多いよね〜
2:受験どうするの?もあるが、個人の関心や興味をちゃんと引き出せてるの?
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順に整理したいと思います!
【1】:世の中には結局、受験をするために学校があると思っている人がまだ多いよね〜
受験指導をすることは学校においては授業などの延長線上にあると思います。
しかし、出口指導をするために学校があるのではなく、「生きる力」を育てるための公的機関のはずです。ましてや探究は「学ぶ力」をアップさせる科目なので、学校には本来とてもマッチするものです。
受験することはもちろん大事なことですが、学校が全ての面倒をみるということは、それはそれで問題があります。基礎学力は大事なのはよーーくわかりますが(探究を好きすぎるあまり、基礎学力の不要論者がいますが、私はその類ではないです)、やはり新しい何かが生まれる時には、学校の本来の意味を問い返しても良いと感じます。学校は進学塾ではありませんから。
【2】:受験どうするの?もあるが、個人の関心や興味をちゃんと引き出せてるの?
受験どうするも大事ですが、個人の関心や興味をどのくらい引き出せているのかを議論していく必要があると思います。何を学びたいのか、社会をどうみているのか、どんなことに関心があるのか・・、そういった観点を欠落させた状態で受験に挑むとあまり良い結果を生むとは思ません。そういう人を私も高校教員としてたくさん見てきました。
受験指導を偏重するあまり、いろんなものを詰め込まれて育つと、大学や社会人のギャップに対応できないという問題が発生しやすくなります。(社会人になってから、学校でそんなことをしてこなかったと嘆いたり、怒ったりしている人と私もよく会います。笑)
これについてはキャリア教育やトランジョン(学校と社会をつなぐ研究)研究の第一人者である桐蔭横浜大学教授の溝上慎一先生の論考がとても参考になると思うので引用します。
溝上慎一先生からの提言
また、大学や学部選択も偏差値順・人気順で選ぶことが多くなりがちです。レベルの高いところで学ぶことは大事ですが、入ってから後悔したり、学部と自分の関心のズレなどが大きくなる確率も上がります。
今回の渋谷区のプログラムでは外部講師などの参加も念頭に置かれているので、魅力的な大人と出会うキャリア教育的な側面にも効果を発揮すると思います。
最近では、探究を重視している中堅私立の中学高校の倍率が伸びてきていますが、それもまさにこの流れを汲んでいると思います。
受験はもちろん大事ですが、受験のために学校があるわけではありません。その受験の前にも、実はやることが結構あります。探究は学部・学科、就職先などの進路選択などにもかなりの効果を発揮します。探究やキャリア教育的な側面が充実してこそ、学びに本気になったり、進路への意識も上がってきます。
ちなみに、勉強をしたいのであれば、勉強の良い方法などを探究のテーマにするのもありだと思います!受験校の調査とか問題の傾向などでも、探究したければ、テーマにして良いと思います。探究と受験は分けなくても良いんです。関心があるなら、それをテーマにすればいい。
探究はやはり奥が深く、いろんな要素を入れていく必要があるし、丸投げではうまくいきません。適切な授業設計や介入の度合い、臨機応変な対応など、それこそ総合的な探究力がないとできないと思います。職場の普段のチーム力が問われると思います。時間はかかるかもしれませんが、それでもこの改革は応援したいなと思っています。
ちなみに探究ができない!と言う先生もいますが、探究は人間誰しもやっているんですよね。何かをうまくなろう・詳しくなろうとして、本を読んだり、アドバイスをもらったり、試行錯誤した経験は誰にでもあるはずです。部活だって、授業改善だって、恋愛だって趣味だって、そのような経験は誰にでもあるはずです。探究は実は誰でもやっているものを、ちょっと勉強っぽくやってみよう!という感じです。
あと誤解が結構ありますが、先生たちの負担にならないような仕組みづくりは、それなりに実現可能です。生徒たちで深める仕組みを作っていけばいいのですが、教員が全て指導をしなければいけないという呪縛から手を離していけると良いなと思います。
いずれにしろ、かなり現場に無理を強いる痛みを伴う改革になるので、先生たちの負担は上がるだろうなと思います。ですが、学びが変わっていく大きなチャンスではあるので、この痛みが最終的にプラスになることを祈るばかりです。
受験か探究かという二項対立になりがちな議論ですが、そうではないので、その辺りも含めて私も今後考えたいと思いました。
以上です。最後までお読み頂き有難うございました!
参考
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