私が正気を保てていた理由
家庭内暴力を受けている女性の支援をしていた方と話す機会がありました。
私は自分に起きたことをあまり話すことはないんですが(ママ同士で話していても、エピソードがヘビーすぎて空気が重たくなるので^^;)、そんな背景を聞いたこともあり、家を出てから初めて第三者に詳しく自分の経験を話しました。
その方から、
「その経験からよくここまで色々な意味で回復できましたね」
と驚かれました。
様々な形の暴力を受けて心が病んでいく様を、それこそ山のように見てきたのでよくわかるとおっしゃってました。
心ない言葉や暴言を浴びせ続けられると心がどんどん弱っていきます。
元気がなくなって、生気もなくなってきて、うつ病になってしまう。
病気の母親には任せられないと子どもを奪われてしまうこともあるそうです。
そういうケースは多く目にしてきたけれども、私のように逃げて生活の立て直しを出来ているのは本当にレアだということでした。
もともと自分はボジティブ思考かなと思いますが、それでも夏なのに寒くて震えが止まらなくなったり、過呼吸でパニックになるなど体からも「もう限界だ」というサインが現れてようやく、心もギリギリの状態だったと自覚が出来ました。
ベキベキ星人
夫は結婚前から多少偏った価値観があったように思いますが、当時の私は自分の意見がない人より面白いな、くらいに思っていたんですね。
しかし結婚後はことあるごとに
「こうあるべき」
という価値観の押し付けを感じるようになりました。
夫の「べき論」の内容に自分が強いこだわりがなければこちらも
「まぁそれでいいよ」
と合わせられますが、
「それが当たり前」
「常識」
「出来ないのは甘え」
という枕詞で私自身の行動を否定、変えさせようとするのには辟易しました。
それに私が応じないと、私が折れるまで激怒するというのがお決まりのコース。
一言で言うと、一緒に暮らすには疲れる人でしたね。
しかしもともと他人同士。
100%ストレスフリーのパートナーなんていないんだから、子供をもうけて家族を築いたからには多少の我慢も必要だとも思っていました。
家事と育児は母親の仕事と思っていた夫は、掃除や料理にも口うるさかったです。
家を夫の望むレベルのモデルルームばりにきれいにしておくのは大人だけの暮らしでもそこそこ大変ですが、それに2人の育児が加わります。
本当に昔の自分はよく毎日こなしていたと思います。
その時の起きてから1日のルーティンを動画におさめておけばよかったと思うほど。笑
で、そんなに大変だったのになんで割と元気に過ごせていたか。
2つの秘訣
私が思う理由は2つ。
うん、やっぱりこの2点に尽きるな、と思います。
それぞれ詳しく説明しますね。
1: 「今」に全力投球
産後はホルモンバランスが大きく変わって心が不安定だったり体を借り物のように感じたり、全く動きたくないこともありました。
ソファにじーっと座ったまま、
「あそこにホコリがあるなー」
と思っても、そのホコリをきれいにするために動くことがどうしてもできないこととか。
頭の働きも緩慢で、体はバッテリーの切れた人形のようになることが度々ありました。
自分の希望はただただ壊れた人形としてそこに横たわっていたいんです。
「『産後うつ』になる人もいるって」
と言うと、体を硬くして嫌悪感を見せる夫。
「やらないことの言い訳だろ」
物事が自分の思い通りにいかないことが大嫌いな夫。
そのために働く人が動けないのは、シンプルに怠慢になるのでしょう。
「甘えた発言をすると面倒くさいことになる」
「最初から文句を言われないようにした方が楽」
そう理解した私は、
「とにかく、やるしかない」
というスイッチが入りました。
子どもが外遊びをする頃には毎日、朝起きた瞬間から夫が帰宅するまでにすることを逆算していました。
ベッドから飛び起きて台所に移動するまでに布団を綺麗にしてモップをかけながら階段の上り下りをし、トイレは床から便座までさっと拭いておきます。
移動の道のりに「ながら掃除」を入れることで、少しでも効率的に家事をこなしていきます。
私は子供が小さな頃はあまりテレビを見せていなかったのですが、朝のNHKはつけていました。
ひとつの番組が大体15分。
「15分、私ヨーイドン!」
と、その間にするべきことを出来るだけ片付けるよう全集中。
5分しかないと思って動くと、5分で出来ることの多さに気付かされます。
朝出かける前に行っていたことは
・化粧、身だしなみ
・朝食作り
・お弁当の用意
・夕飯の下拵え
・自分のコーヒー作り
・麦茶作り、水筒準備
・朝食片付け
・子供の着替え
・持っていくおもちゃの準備
(子供の着替えやタオル一式も)
・子供の歯磨き
・掃除機をかける
・棚の拭き掃除
頭の中で次の動きを考えながら、合間にオムツ替えをしたりグズる子供の相手やこぼした牛乳の後始末など。
子どもはすぐに飽きる生き物。
テレビは助かりますが、何時間も持たない。
テンポよく進めないとグズって結局自分がしんどくなる。
タイムリミットがあると、その間「しかない」と思えるので、とりあえず目の前にあるこなすべき事柄に集中してどんどんこなします。
朝公園に出かける時には、夫が突然帰宅してもいいくらい部屋が片付いていることを意識していました。
ここまでお読み頂いてわかると思いますが、朝起きてから家を出るまでは1分1秒無駄に出来ない自分との戦い。
何かを思い悩む時間は少しもありません。
出たら出たで、靴を履かせることに始まり自転車に乗せる、怪我をしたら手当、他のお友達とのやりとりなど、子供から目が離せません。
帰宅したら手足を洗い持ち出したおもちゃをしまい、洗濯機を回して夕飯準備にお風呂と寝るまでも全力です。
特に夫が帰宅する直前は緊張マックス!
床に落ちていると散らかって見えるので、目に見えるものはとにかく拾って片付けていきます。
「悩みは暇だから生まれる」
と聞いたことがあります。
学生時代暇を持て余していたことがありましたが、本当暇は人をダメにしますね。笑
かといって過労もダメですが、ほどほどに役割があるのは余計な思考に時間を奪われないという意味でも良いことだと思います。
一緒に暮らすには疲れる夫だったことは間違いありませんが、良かった面をあえて挙げるとすれば、
「同じ時間でも最大のパフォーマンスを出そうという工夫」
はこの環境だったからこそ培われた、と言えるかもしれません。
2、たくさんの人と繋がりを持っていた
コントロールに有効な手段の一つが、
「ロスさん(被害者)の人間関係を希薄にすること」。
もしも私が内向的でママ友を作ることやインドアな子育てをしていたら、日中関わる人間はまだ会話のおぼつかない子どもと夫がメインになってしまいます。
そうすると環境も考え方も閉鎖的になって、唯一会話の出来る夫の機嫌を損ねたくなくて思考停止で夫のコントロールにハマっていたでしょう。
思い通りにいかない子供と日中過ごし、帰宅した夫からは暴言を吐かれるような毎日だったとしたら、間違いなく精神を病んでいただろうと思います。
私は割と社交的な人間で、ありがたいことに息子も幼い頃から人見知りのないまま育っています。
公園には同世代の子供だけでなく、健康維持のために軽い運動や散歩をしているお年寄りもたくさんいます。
毎日顔をあわせているうちに顔見知りになり、孫かひ孫世代の息子にたくさんのことを教えてくれます。
子供を見る目が複数あると私の気持ちも楽になるし、世間話や昔話は私にとっても面白いものが多く、そういう他愛のない会話が間接的に私の気持ちを癒してくれていたのだと思います。
子供のためだけでなく、子供を通じて知り合ったママたちは気の合う人も多くて、友達とおしゃべりするのが楽しみな感覚でした。
子供達を遊ばせながらママたちもおしゃべりして大笑いして。
体はクタクタでも、気持ちはスッキリしていたので夫の暴言にも心が折れなかったのではないかと思います。
もちろんそう良い日ばかりではなく、雨で誰とも遊べない日もありましたが、それでも振り返ると本当にたくさんの人とおしゃべりをして楽しい日々でした。
私が個人的にやりたいことや出かけることには否定的な夫でしたが、子供を外で遊ばせることに文句はありませんでした。
夫が在宅している時間と週末は気疲れしていましたが、子供を通じて外にたくさんの繋がりを持てていたことが、私が頑張れた大きな理由の一つだと思います。
今も生きている2つの教訓
今回ご紹介した2点は、今でも大切にしています。
目の前のことに集中する時間を積み重ねられると、振り返ったときに
「おぉ、これだけやったんだ」
という満足感も得られますし、挨拶程度でも生活圏内に知り合いがいると、二言三言会話を交わすだけでも気分転換になるものです。
もちろん性格は個人差がありますし、人との距離感を取ることが苦手な方もいると思います。
そういう場合は子供を介してとか、あとは犬を散歩している人と話してみるというのもおすすめです。
子供や動物を介すると人は警戒心が弱まるので、自然と会話がしやすいんですよね。
相手を見るのが苦手でもワンちゃんを見ながらなら会話のハードルも下がります。
うつになってしまったらどちらも難しいですが、八百屋でも薬局でも、顔見知りの人を近所に作っておくことは意外と精神安定状効果的なんじゃないかと思います。
今回のお話が何かの参考になれば嬉しいです😊
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