案に相違して、ピンチに余裕を生む真逆の言葉
また「書いてもいいな」と思うお題が出たので、いつもの『4歳から6歳の子育ての話』を1回だけお休みして「大切にしている教え」の記事を書きます。
変な「教え」なのに、大切にしている「教え」があります。それは、大学受験の思い出と重なっています。私は、大学受験で私立は立命館大学の世界史学科(結果は、この際関係ありませんが、落ちました)を受けました。寒い2月で、立命館の衣笠キャンパスは雪が降っていました。門の近くには、サークルの人達が、合格前なのに部員を募集していました。
その門を潜ろうとしたときに、あまり大きいものではありませんが、立て看板がありました。何気なく読んで見ると
「笑って誤魔化せ自分の失敗!死ぬまで攻めよう相手の失敗!」
と書いてありました。「何だ、これは」とその時は思いましたが、なんとなく印象に残りました。
しかし、この「教え」が、意外と私を救う教えとになりました。なにか失敗したときやピンチのときに、この「教え」を思い出すと、なぜか心に余裕を生むのです。こんな、ピンチがありました。
・障害児の通所施設の職員をしているときに、3歳の肢体不自由児の男の
子を抱っこしていて落したことがある。その子が、急に体を反ったから
です。
・支援学級の先生をしているときに、バギーに乗せていた女子の足を溝で
折ってしまったことがある。その女の子が、急に足をバギーの外に
出したからです。それが、修学旅行の1日前で大騒ぎになってしまいま
した。
・学童の先生をしているとき、夏休みに校庭に入ってきた近所の子達に
「出ていくように言いなさい」5,6年生に指示をだしました。すると、
5.6年生が「どうしたらいいの」と情けないことを言うので「丁寧に説明
してもいいし、きつく怒ってもいいし、砂をかけてもいいし、自転車を
投げてもいいし、なんでも自分たちで考えて、正しい方法でやりなさ
い」と檄を飛ばしたら、近所トラブルになってしまった。5,6年生が、砂
をかけて追い出したからです。
・発達相談員をしているときに、ケース会議をしていたら大勢の前で「こ
いつが、俺をキレさすんだ」とキレられたてしまったことがある。それ
は、相手が知能検査の解釈で間違いを犯したからです。私は、その間違
いを指摘しただけですが、課長に呼ばれて叱責を受けてしまいました。
いずれのときも、心の中に「私のせいではない。相手の失敗が原因だ」という声が湧き上がって来ましたが、同時に「笑って誤魔化せ自分の失敗!死ぬまで攻めよう相手の失敗!」という言葉が浮かんできました。すると、なんだか心に不思議な余裕が出て、結局ごまかすこともなく相手の失敗のせいにすることもなく、周りに自分の非を認め相手に誠意を尽くして謝りフォローすることができました。
だから、ピンチになったら私はこのひどい「笑って誤魔化せ自分の失敗!死ぬまで攻めよう相手の失敗!」という人としての正しい行動とは真逆のこの言葉を思い出すことにしています。
これって「こいつ殺してやる」と思ったら、結構冷静になって相手と対話できるのと同じ原理でしょうか?
【追加】
今回、この記事を書いたあと、気になってちょっと調べた見たら「笑って誤魔化せ自分の失敗!死ぬまで攻めよう相手の失敗!」という言葉は、当時流行っていた大和和紀の漫画『はいからさんが通る』の『今週の御言葉』というコーナーに出てきて有名になったらしい。
ということは、あの「笑って誤魔化せ自分の失敗!死ぬまで攻めよう相手の失敗!」という看板は、漫画サークルの募集の看板だったかもしれない。
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