トラブルと戦争の《沖縄旅行日記》その9
12月28日(木)沖縄2日目 沖縄南部に行こう! 5
「ひめゆりの塔」のことは、小さい頃、映画(1968年の吉永小百合、浜田光夫の作品です)を見て知っているつもりでしたが、何も分かっていないことが分かりました。
ひめゆり学徒隊で看護要員をしていたのは、沖縄師範女子部の先生の卵と女子高生でした。看護の勉強はたった2ヶ月程しかしていないようです。すごい悲惨な出来事です。
当時のインテリ集団の女子が、大量に亡くなっています。降伏した人は生き残ってその後、先生なったようですが、自決などぜずたくさん生き残っていれば、沖縄復興に活躍したはずです(知覧の特攻隊で、当時のインテリたちがたくさん死んだため、戦後の日本の立ち直りに大きな影響があったことに思いを馳せました)。
その生き残った人々の証言は、平和祈念資料館の証言録と同じ形式で資料室に置かれていました。時間をかけて、たくさん人の証言を読みました。洞窟の中での看護は、看護とは言えない酷いものでした。音声でも聞いてみましたが、ただ正面向いて話しているだけなのに、どんな映画よりも迫力がありました。
その後、師範学校女子部全員の集合写真に行き当たったとき、目が吸い付いてしまってしばらくその場を動けないくらいでした。
だだ、このひめゆり学徒隊も、彼女たちの表面的な悲惨さを訴えることで
アメリカだけを悪者にするのが容易になる罠にはまる危険性を感じました。証言録をちゃんと読むと、日本兵の残虐性もしっかり書かれています。誰が悪い、誰が被害者ではなく「戦争をすることが、悪なのだ」と強く感じました。
エネルギーをたくさん使った(特に、証言録を読んで消耗しました)ので、限界です。おなかが、空き過ぎました。晩ごはんの予定地である「やんばる食堂」に急いでいくことにしました。「やんばる食堂」は那覇市内にあるので、車でも30分程かかります。
ナビは正確で、便利です。目的地がどんなにややこしいところにあっても、ちゃんと案内してくれます。でも、店前に駐車場が見当たりません。どうやら、食堂の裏にあるようです。それも、鋭角に右折しなければならずレンタカーなので、擦らないように気を使ってしまいます(余計に腹が減ります)。
いざ車をバックで入れようとしたら、バイクが2台並んでいる狭い間に入れなくてはなず、かなり難しいです。失敗すると、バイクを倒してしまいそうです。ちょうどそのとき、食べ終わった人が一人出てきて、バイクに乗って入り去ってくれたので、バイクが1台になり事なきを得ました。
(食事については、続く)
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