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安分守己ーー結局、私は私にしかなれなかった
(887字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)
【安分守己】
[日:安分守己(あんぶんしゅき)]
ピンイン:ān fèn shǒu jǐ
意味:身の程をわきまえること。己の本分を守ること。
『結局、私は私にしかなれなかった』
結局、私は私にしかなれなかった。
思い返せば、10代の頃は学校の先輩や同級生を始め、テレビの中の有名人達によく憧れていた。
「あのようになりたい」、と。
気に入った相手がいれば、話し方や身振りを真似した。
服装も趣味も、その人に合わせてみたりした。
そうしていくうちに、まるで相手そのものになれたような気がして、不思議と得意になったものだ。
「自分も、彼らと同じようにかっこよくて素敵で、輝いている」、なんて思いながら。
でも所詮、ただの真似事だ。
現実の私はダサくて、無知で、幼くて。
ただハリボテのようなお飾りだけが、うるさくじゃらじゃらと音を立てていて。
十分に発達していない内面を、大き過ぎて見合わない外見で無理矢理包み込んだようで。
不自然で、ぎこちなくて、そのうち疲れてしまって。
そしてある時になって、そんな自分自身の姿に恥ずかしさを覚え、「物真似ごっこ」もパタリとやめた。
地味に悲しかったのを覚えている。
「ああ、自分は彼らのようにはなれないのだ」と。
「似通っていても、私は偽物でしかない」と。
今思うと不思議だ。
何故、当時の私は「私のままでいること」こそが「本物になれること」だと気付けなかったのだろう。
何故、先輩や同級生、芸能人らが素敵に見える本当の理由はーー
「彼らは思いっきり自分らしくしていたから」
なんだと気付けなかったんだろう。
当時の私がダサかったのは、「憧れの人の物真似」が下手だったからなんかじゃない。
「自分を生きる」ことに一生懸命にならなかったから。
比較ばかりしていたから。
「かっこよさが自身の中にもある」。
そのことを知らなかった上に、信じもしなかったからだ。
結局、私は私にしかなれない。
今の私は、もう真似事なんかしない。
「誰かになりたい」なんて、もう願わない。
代わりに考えるのは、「こんな自分になりたい」と、理想な自分の姿だけ。
まだ目標とは程遠い場所にいたとしても、私は既に大満足だ。
きちんと「私らしく」生きている。
それで十分過ぎる程、私はかっこいいのだ。
📚その人がその人でいる時が、一番素敵!
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