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大学の話

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大学に関することのあれやこれ
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#エッセイ

動点

年度始め、移動制限や緊急事態宣言が出て、あれはどうするんだ、これはどうするんだ、という戦いを経て、遠隔授業になり、前期の後半から対面に戻って約半年。もう前回の宣言への対応のときの議論や慎重さや対応がどうだったのかをあまり覚えていない。過去の資料や書いたnoteを見返して、そういえばそうだったな、と思う。すべてが遥か遠い昔のことのように思えてならない。

11月ごろから、今年度の終わりに向けての業務

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落穂拾い

有名な絵の話ではなく。

落穂拾い的な仕事というのがある。

全ては締切内に手続きすることが大前提ではあるものの、何らかの事情で締切後に処理しなければならないもの。複雑な話が絡んでいるものや、あとから何かが修正されるようなもの。
そういうのが、落穂拾い的な仕事。

事務処理をどれだけ自動化・システム化したとしても、それは手で刈り取るのをコンバインで刈り取るような話であって、どうしても落穂は出るし、

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判子と紙

大学に勤め始めて最初に衝撃を受けたのは、判子文化だった。前職ではほとんど判子を使用することはなかったが、現職では判子をなくすと仕事にならない。
(※この判子文化の度合いは、かなり大学による。上に行政畑の人が多いと判子文化が強くなると思われる)
昨今の流れで手続きの書類に判子がいらなくなるのはよいと思うが、その先の業務から判子をなくすのは至難の業ではないかな、となんとなく思う。人の習慣や常識を変えよ

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謝礼の値付け

考えたって仕方がないことなのだが、謝金の精算というのはいつもなんだかなという気分になる。

大学では(だいたいどこもそうだと思うが)講師謝金の単価表というのがある。
どういう人にゲストで講義・講演を頼んだら時間単価(上限)いくら、という基準の表だ。
これは相手方の職業・職位に応じて区分けが決まる(※勤め先の大学では、の話)。
話の中身や、要求することの難易度によるのじゃない。お礼とは所属と肩書で決

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休むのは難しい

緊急事態宣言のころに発生した休講などで、今年は前期の期間が大幅にずれている。
通常ならお盆から学生は夏休みに入るが、勤め先の大学ではまだあとひと月ほどは授業期間だ。

しかし後期の開始は待ってくれないので(なぜなら卒業をずらせないため)、どうなるかというと、9月にやたらめったらいろんなことが詰め込まれることになった。
いやー大丈夫なのかな、となんだか他人事のような気分でいるが、9月はほんと、想像も

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Liberal Arts についての雑駁な思考

仕事柄、教養教育を扱っているものだから「教養」ってなんなのかをずっと考えていて。
別ラインで人生哲学として「詩」のことをずっと考えていて。

そうしているうちに、大学の自由七科がなぜ自由七科なのか、なぜ自由なのか、なぜあの七科なのか、ぽろっとわかったような気がした今日。
そういうことか、と思うけれど、うまく説明はできない。勘違いかもしれない。
ちょっとしばらくもぐもぐしたい。「これ」をしばらくどう

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脆弱性を守れるか

まったくなんともならないこと、簡単には行かないこと、というのはあるものだ。

たとえばハラスメント系の問題。
一般的な職場としてよくある対処方法としては、所属替えをして当事者たちを引き離すとか、仕事を外す、などだと思うが、大学だとその難易度が一気に上がる。
科目はその教員本人とその教員を含めた人員ありきで組まれているので、人を外してもその人を置く先がないし、外した穴を埋める人もいない。
代替教員で

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詩と大学と私、そのorigin

高校のころ、私にはやりたい学問があった。

大まかに言うと、ある文化圏の古典の詩について。どういうことを意識して過去の人は詩を作っていたのか。「いい詩」というのがあるとすれば、それはなんなのか。そういうことに興味があった。
私が、いいな、好きだな、と思ったことの必然性というか、理由みたいなのを確かめたかった。

きっかけはとある外国映画で、物語の核として詩の朗読シーンがあった。吹替版でもたしかそこ

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休暇の予定

4月にはどうなるかわからなくて真っ白というか灰色だったスケジュールが、だんだん確定事項で埋まるようになってきた。先が見通せるようになってきたことは純粋にうれしい。
打ち合わせ、会議、委員会、試験、入試、その他大学っぽいこと、それに付随する諸々の締切。
スケジューラーに書き入れながら、山ほどある休暇(休出の振替、年次、夏季休暇等)をどこにねじ込むべきか、思案する。

こういう類のものは、取れたら取る

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かたくていたい

もういい加減首肩が限界で、平日だが外のお風呂に入りに行くことにした。
お湯にいろいろ溶かす。首のコリも、過去との対話も、仕事のことも。

仕事では、混乱に乗じて起こる様々なイレギュラーをどう扱うのか問題が、目下かなりの難問。いままで考えなくても良かったこと、無視しても許されたこと、当然としてきたことが、今はかんたんにひっくり返る。世間のバッシングがこわくて、至極真っ当な話を口にするのだって及び腰だ

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何だかな

うれしい話はプライベートのことであって、仕事の上では毎日何だかな、はぁ、というような話が続いている。あまりに落差がありすぎてどちらも現実とは思えないような感じがしてくる。

ここ最近は問い合わせ対応のみならずパトロールみたいな業務が増えた。放っておけばいいような気もするが、割れ窓理論でどこに火がつくか分からないので無視できないという。

こんなことはしたくない。こんなことで疲弊したくない。どうか誰

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組織疲れ

なんだかな。
いつも疲れているけれど、また疲れてしまった。

勤め先の大学では、立ち入り禁止は全面解除、授業に関しても対面に戻す決断がされた。
それには本当にいろいろな意見が来る。

何をしても、しなくても、何を決めても、決めなくても、批判や反対意見やどうしてくれるんだという補償の話は、発生する。
みんなが納得してみんなが満足する結果には、ならない。
結局、諦めがつくかどうかでしかない。

組織と

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たとえ話 その2

先生方の今の苦境をたとえると、年越しそばの注文がたくさん入っている年末に店舗が全壊した老舗蕎麦屋、というような感じだと思う。

継ぎ足し継ぎ足し作っていた秘伝のかえしを失い、作り直さないといけない。
店舗が無いので出前配達をしなければいけないが、原付きの運転はしたことがない。鍵はこれ、エンジンここ、運転はこうやる、などの説明を矢継ぎ早に受けて、すぐに行かされる。
仕入れや麺を打つ時間もない。しかし

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憂い取り

どうにかこうにか学内はなだまってきて、悩みは具体的なことに移り変わってきた。こちらの精神疲労も少し落ち着いた。たぶん防衛反応としての遮断や拒絶だったのだろうと思う。

いまは連日、即席サポートデスクみたいなことをしている。おかげで本来の仕事は捗らないが、担当とか役割とかいうのはもうどうだっていいことだ。予定なんてとっくに消滅しているし、ちょっとのことで誰かの憂いが消えてなんとかなるならそれでいい、

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