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noteに想う

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記事一覧

文章の面白さは、まるで彫刻のよう

文章の面白さは、まるで彫刻のよう

まず、芯になる部分を定める。
次第に肉付けをしていく。
それは彫刻のように切ったり貼ったり、削ったり…
言葉の粘土を一片づつ乗せていく。

そうして仕上がったものを厳しい目で再吟味し、最後に至極のフレーズに置き換えて化粧をする、という感じかな。

さらには、360度から眺め直して
、全体のバランスチェックが欠かせない。

そして“これだ!“っと納得がいった時の達成感こそが喜びの瞬間。

少しの手も

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せっかくの知識はアウトプットして初めて成長につながる

せっかくの知識はアウトプットして初めて成長につながる

ブログ(note含む)において、何かを伝えようとするには、そのテーマについて脳を振り絞って掘り下げる必要が出てくる。
したがってその書く作業そのものがどんどん知力を磨くことになる。
これがまさしくアウトプットの効果だ。

文章を読む(インプット)だけでは
そこまでの進歩は望めない。知識の集積のみに留まり、博識にはなるが、それを活かすための知恵にまでは高まらない。

英会話の習得における対話の重要性

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文章にすることの意味

文章にすることの意味

相手に本当の気持ちを伝えるのは、話し言葉ではできない文章ならではのこと。

ただしそれは、何日もかけて内容を練り、何度も何度も文言(もんごん)を推敲し、書き直し…の繰り返し
という全身全霊を尽くした結果の文章でなくてはならない。

言葉だとその場で考えたことを即座に発しなくてはいけないので、これほど深く内容を練り上げる作業が不可能である。
また場合よっては咄嗟に嘘を言ってしまう可能性すらある。

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noteの世界の暖かさはやはり何ものにも替えがたい

noteの世界の暖かさはやはり何ものにも替えがたい

他のソーシャルメディアには見られない、この最大の魅力は絶対に無くならないでほしい。

そう感じたきっかけとして、最近、私自身初めてヤフコメで傷ついたからだ。

そうした他のSNSでのディスリをきっかけに、トラウマとなってすっかり近づかなくなったという人の話も聞く。
私のケースは軽い一言であったものの、いつまでも心に引っかる。
これが酷いレベルになれば、芸能人らの命を絶つニュースが無くならないのは理

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note 30周連続投稿の知らせをきっかけに、ちょっとまた振り返ってみたくなった。

note 30周連続投稿の知らせをきっかけに、ちょっとまた振り返ってみたくなった。

第一回目の投稿の時からすでにそうだったんだけど、あらゆることを迷いつづけて今日に至ってしまったというのが本音です。

日記風の自分語りにするのか、日常の風景から思うことをエッセイ風にするのか、はたまた上から目線で偉そうにうんちくを披露するのかなどなど。

そして肝心な文体は、である調か、ですます調か。
語りかけ調か、体言止めを駆使した気取り風か。

振り返りの自己分析としては、先に挙げたすべての項

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noteは小説より奇なり

noteは小説より奇なり

小説に感じていたことと同じ感覚、すなわち“人間というものは、なんと‥‥”、をnoteの記事に対してしみじみ感じている。

それも全ての人が、なんと繊細な、心をもっていることか。
自分だけがこんなに考えすぎで、気にしすぎで、と思っていたが、どうやらそれは思い上がりだったようだ。

そして、衝撃だったのは全ての人が大変な才能を持っている…ということを発見したことです。
それは、文章表現能力であったり、

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以後お見知り置きを

以後お見知り置きを

初投稿、緊張の一瞬です。
迷いに迷ったあげく、ついにnoteブログ第一稿めを書いてます。(思い立ってから数ヶ月経過)

アカウントネームで迷い、自己紹介で迷い、テーマで迷い続けてます。
なにしろもともと自分はすごく変わった人間であり、それゆえ他人(とくに身内)には本当の本音などとてもじゃないけど知られるわけにはいかないのです。

このブログでどこまで本音をさらすことができるのか、大いなる挑戦といっ

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50連続投稿。ここらで、ちょっとまた振り返ってみたくなった。

50連続投稿。ここらで、ちょっとまた振り返ってみたくなった。

文章を作ることに快感を覚えてきたようだ。
ピタリはまる言葉を見つけた時のこれだ!という感じ。
どう絞り出そうとしても浮かばず、諦めずに考え抜いてついに見つけた言葉。
後から読み返して、ニンマリと自画自賛することも。

どなたかの記事で、ずっと続けていた投稿を辞めた人の話があった。直後はある意味ホッとした解放感もあったようだけど、しばらく経つと、虚脱感に襲われだしたらしい。
それは居ても立ってもいら

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連続投稿しばし立ち止まって数日経過。

連続投稿しばし立ち止まって数日経過。

続けるためだけを目標にするならいくらでも続くだろうけど。
つい、何か読者の方に残るものを書きたいと思うと、そうもいかない。
時間をかけても自分自身納得できるものだけにしようと常に心がけてきた。

きっと余分なこと考えずにひたすら1年くらい続けると、それはそれで今は予想の及ばない、全く違う世界が見えてるんだろうけど。

とにかく今新しい向き合い方を模索中。

100%ポジティブな記事だけを書けばいい

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noteを8日続けて感じること

noteを8日続けて感じること

実感しているいくつかの点を挙げてみる

•文章の編集力

取り止めのない、脈絡なく書き殴った小節を、推敲を重ねることできちんと道筋のついた文章に仕立て上げる力。
これを養うのに最高の訓練になっている。

•問題解決能力の鍛錬

ある答えの見つからない問題に対して書き始め、
思いつくまま書き連ねていくうちに、ふと答えが浮かんでくるという経験を次第にするようになる

•創造することの喜び

人間は自ら

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noteを迷ってる人に読んでほしい

noteを迷ってる人に読んでほしい

これまで自分が異常に考えすぎなんじゃないかとか悩みすぎと思っていた。
でもクリエイターさんたちの勇気をもって打ち明けてくれる秘密の数々が、そんな思いを打ち消してくれる。
だってこんなにも壮絶な環境で苦悩している人が数多くいることを知ったんだもの。

文章を作るということは言うまでもなく「思考の“文字化“」という現象なのだが、投稿を重ねていくうちにそれを強く実感するようになった。

文字化しないで頭

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noteって、年齢によって利用の仕方に違いがみられるようだ。

noteって、年齢によって利用の仕方に違いがみられるようだ。

毎日noteを眺めていると、なんとなく世代間での違いがあることに気がついた。

仕事の紹介とか、クリエイティブな作品の披露でなく、極めてプライベートな内面のテーマでの投稿における傾向を比較してみた。

若い人の場合、仕事や人間関係で悩んでいるケースが多い 。
診療内科通いをしている、あるいはカウンセラー通いを打ち明けるものが数多く見られる。中にはリストカッターの常習者もちらほら。厳しい社会の荒波

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noteを続けているうちに、大変なことに気づいてしまった。

noteを続けているうちに、大変なことに気づいてしまった。

note にはパーソナルな内容の記事がすごく多い。
一人一人の人間が、こんなにも膨大な思考をし、たいへんな人生を日々送っている様子が、赤裸々に綴られている。

うまれてから家族の中でどんなに大切に育てられてきて、ものすごく愛情に包まれて…
さらにこれから未来にたくさんの夢を膨らませて…
一人一人は小さなことに胸をときめかし、人を思いやり、
たくさんの人と関わりを持ちながら、その相手の大きな手助けに

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noteの連続投稿で二つの大きなことを学んだ

noteの連続投稿で二つの大きなことを学んだ

物事を深く考える力がつく(洞察力)noteを書いていると、一つのテーマについてこれまでのように、うやむやにしていた事柄をそこで終わらせるわけにはいかなくなってきます。
これはうんと小さなことから大きなテーマまでのすべてに言えます。
記事にするための文章としてまとめ上げるためには最後まで考え抜き、結論を導かざるを得ない状況に追い込まれることになるんです。

これを毎日やるとすると、図らずも洞察力を養

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