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noteを続けているうちに、大変なことに気づいてしまった。

note にはパーソナルな内容の記事がすごく多い。
一人一人の人間が、こんなにも膨大な思考をし、たいへんな人生を日々送っている様子が、赤裸々に綴られている。

うまれてから家族の中でどんなに大切に育てられてきて、ものすごく愛情に包まれて…
さらにこれから未来にたくさんの夢を膨らませて…
一人一人は小さなことに胸をときめかし、人を思いやり、
たくさんの人と関わりを持ちながら、その相手の大きな手助けにもなっている。

ようするに一人一人が、大変な歴史と一大人生ドラマを抱えている。
一人一人が、一つの宇宙をもっている。
それぞれがその宇宙の中心に立っている。
いわばその宇宙の創造主なんだ。

だから、目の前のひとりひとりの人間は、地球上で自分と同じ重さを持つ存在だ。
その重さにはまったく、違い、優劣がないんだ、ということに思い至らないだろうか。

これを考えると、喧嘩したり、嫌ってたり、憎んでたりしている相手のことを見る目が違ってきやしないか?
相手に自分の都合のいいように何かを強要する、命令する、操る、おとしめる、
まして、いじめよう、相手に暴力を加えよう、なんて。
どこの誰にそんな権利がある?


相手を言葉で傷つけると、自分自身が苦しくなる。

原爆を落とすと、必ず相手の国も打ち返す。そしてその連鎖で、人類が滅亡する。

相手を褒めると、自分も気分がいい。

何かプレゼントすると、何倍も素敵なお返しがある。

このことから次の結論に至る。
わかりやすくいうと
『与えたものが自分に返ってくる』

無意識のうちに、人間どうし必ず影響し合っている。(*)世界とはこの関係が連鎖しあっている姿だと考えると、1人残らずすべてつながっていると言える。


自分と相手は一つ…
自分は相手。
自分は世界。
自分が世界を作っている。


もう一度くり返したい。
『目の前の人間、そしてすべての人間には自分と同じ重さがある』
地球大の重さ?いや宇宙大かもしれない。

どんな時でも「もし自分が相手なら」と考えよう。
誰しもが本気でそう思えた時、すべての争いがこの世から消えているだろう。


追記
(*)で述べた、『世界中の人間はつながっている』という意味をさらに発展させて、『世界中の人間はすべて一つの存在である』という仮説を以下で検証してみたい。

<量子論より>
…自分が観測した時しか物質(相手)は存在しない。相手からも同様であるとすれば自分と相手は一つのものでは?という理屈が導かれるのではないだろうか。
そしてこの理屈は、自分が宇宙を創造しているという先の理論と同じことを言っていることになる。

これを心理学的表現に置き換えると「自分が見たい部分の情報(物質も含む)しか目に入らない。」これもやはり、相手はアプリオリに存在しているわけではなく、自分が作っていることと同義に解釈できる。

<仏教哲学より>
釈迦がたどり着いた究極の悟り
‥‥単独で存在するもの(物質?)はない。
あらゆるものは関係性にしかすぎない。(諸行無常、諸法無我の悟り)

<また自身の感覚からも>
自他が同一の存在でなければ、相手の心の痛みにこんなにシンパシーを持つことも考えにくい。

#争いのない世界

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