見出し画像

わたし。18歳。仕事編。

まずは、すみません。高校編。の終わりに、今後綴っていく予定の目次を書いたのですが、さっそく間違えました。18ー20歳は括り長すぎたので、下のやつ忘れてくださいね。そして、書いてみたら長すぎてヒいたので、仕事編。と、人間関係編。に分けます。勝手にしますね。

======================
18ー20 上京、社会人、吹奏楽団、横浜に移住、はじめてのお付き合い、お金、水商売、アメリカ
======================

この時期は、いろいろとはじめてのことが多かったので、1年ずつ思い出していこうと思います。どうかお付き合いいただけますか?
おいたちから見てやろう、というお方は下記リンクさせておりますので、よろしくお願いいたします!
お時間のあるかたはぜひ、、、何せどれも長いものですから、、、。


はじめました。
わたし。幼少期編。
わたし。中学編。
わたし。高校編。

高校の卒業式は、2月の終わりにあった。
学校は卒業したものの、その年は部活のイベントが3月まであったので、それを終えて、ようやく卒業した。引退した。
上京まで一ヶ月もなかったのだけれど、お金が必要だったのでアルバイトをした。

まずは野球の売り子さん。
野球とは無縁に生きていたので、ルールさえも知らなかった。ただ、制服がかわいかったからやった。あと、家から通うのにちょうどよかったから。
なんとなく見たことのある、ビールのタルみたいなものを抱えてやる、みたいなものではなくて、小綺麗な制服を着て、お席のあるお客様にお酒や食べ物を提供するアルバイトだった。あとは、球団のグッズを扱っているお店にもお手伝いにいった。野球をすきなひとたちの情熱はすごかった。野球に興味もなかったし、制服がかわいかっただけで、お金はそんなによくなかったので、次のアルバイトを始めた。水商売。ホステス。

このタイミングで上京まで残り二週間くらい。なので、お店に在籍することはできなかったので、派遣されるホステスになった。

これが社会か、おとなか、と思い知らされる。

中学から6年間女子校に通って、知らない男性と話すということがなかったのに、接客とはいえ、卒業してすぐに、知らないおとなの男性と何を話せばいいというのだ。うまくいくわけがない。お酒の作り方だってわからないし、お酒はほとんど飲めなかった。
数日間同じお店に派遣されたのだけれど、数日間ほとんど話せず、座っているだけのわたしに、クラブのママは言った。

「座ってるだけでお金がもらえると思ったら大間違いだよ」

もっともだった。めちゃくちゃ悲しかったし悔しかった。
でも、そのときは上京直前だったので、どうにかしようとも思わなかった。
そして、接客が上達することもなく上京した。

高校3年生の後半の時期に就活もしていたのだけれど、就職難の時期だったのと、なんのスキルもないわたしは就職が決まらなかった。制服で就活に行っていたので、セクハラのようなことを言われたこともあって、心底いやになって、諦めた。

最初の家と、仕事は、母が用意してくれた。
家は都心から離れた狭い1Kアパート。仕事は、六本木のミッドタウンの飲食店。ちょうどミッドタウンのオープンの時期だった。そして、ずっと憧れていた吹奏楽団にも入った。この楽団で、たまに出てくる、兄のようなひとにも出会った。

飲食店の仕事も初めてだった。いじわるな先輩がいて、すごくいやだった。接客がこわかった。注文をとりきいくのが、本当にいやだった。泣きながら働いたときもあった。
あまりに向いていなさすぎて、仕事の間に就活も再開した。土日お休みの仕事がよかったので、会社の事務を希望していた。

運良く、上京2週間くらいで採用された。いじわるな先輩ともう会わなくていいのも嬉しかったし、なにより採用されたことで、社会から認められた気がして嬉しかった。

会社は新宿だった。IT系の小さな会社だった。
めちゃくちゃブラック企業だったけれど、社会人としてやることは、この会社の研修で学ばせてもらった。電話応対、来客応対、パソコンのやりかた、その他働くのに、ある程度必要な知識など。

そして、お金を稼ぐ必要があったので、会社が終わってからは、他のアルバイトにも挑戦した。

まずは家の近所のハンバーガーショップ。接客が怖くてできなくて2日で辞めたくなった。夜中のキッチン清掃を希望したものの、それも1週間くらいで辞めてしまった。
次はファミリーレストランのキッチン。これは、最初からキッチン希望で入ったのでそこそこ続いたのだけれど、入ったときからホールのギャルが意地悪で嫌いだった。無視されていたので、わたしも無視していた。キッチンの人たちは、優しい人たちが多かったし、たしか飲みにもいったことがあった。でも、物凄く意地悪なオバサンがいて、ある日何かのときに、殴られたので、それを偉いひとに言ったら、問題になってクビになっていた。なんだか居心地が悪くなってわたしも辞めた。
会社も1年たたないくらいで辞めた。
なぜなら、事務職のはずなのに、プログラミングを学べ、と言われてなぜか他所の会社に出向させられたのだった。出向先が本当にいい加減な会社だったので、わたしは、数日でバックレた。
社会人としてやってはいけないことだとわかっていたけれど、出向先で助けてくれる人もおらず、辞め方もわからなかった。後先考えず辞めてしまったのだが、就活したらすぐに次の会社での就職が決まった。たしか、19歳になる頃だったかな、この辺、曖昧。

思い返してみれば、18歳のときから、ほぼずっとダブルワークをしていた。ある時期はトリプルワークだった。
奨学金の返済に追われていたことも、働かなきゃいけない理由だった。母が払ってくれるものだと思っていたのが間違いだった。
たしか、返せなければ返せないほど、利子もあったはず。本当にお金がなくて苦しい暮らしだった。

朝から会社に行って、夜はアルバイト。寝る間も惜しんで働いても、大したお金にはならなくて、節約節約の日々。もやしと、鶏肉が主食だった。

お金にならないアルバイトが嫌で、ちょっと怪しかったデートクラブ?みたいなところに行ったこともあった。ボックス席みたいなところで、おじさんと会話をして、お互いの条件が合致したら、デートに行く、行った後のことは自己責任?みたいな。
ボックス席で話しているときに、めちゃくちゃ体をさわろうとしてくるひとがいて、もうそれだけで嫌だったので、デートをすることはなかったけれど、あれは本当に怪しいアルバイトだった。生まれ変わったとしても選ばないのアルバイトだ。
結局デートに至らないままやめてしまったので、大したお金にもならず。

その時期の暮らしを思い出すと苦しいけれど、いまはひきこもりニートなので、お金を稼ぐために必死だったことや、ダブルワークや、トリプルワークをしていた時期のことが嘘のようだ。反動で、ひきこもりニートになったのかと思いきや、全然違う理由なのでした。

はい、18歳の仕事はこんな感じだったかなぁ。仕事のことよりも、人間関係のはなしのほうがおもしろいかもしれません。また見に来てくださいませ。

来てくださって、ありがとうございます。なにか感じていただけましたら、今後もなんとなく、ふらっと、見に来てやってください。