【読書ログ】WORK DESIGN~行動経済学でジェンダー格差を克服する~(序章)♯114
私は、子連れMBAというラーニングコミュニティに入って活動をしていますが、このコミュニティには、甲南大学 奥野明子先生をアドバイザーに迎えたゼミも開講されています。(コーディネーター、ファシリテーターはひとむすびさん)
今シーズンは、イリス・ボネット著の『WORK DESIGN ~行動経済学でジェンダー格差を克服する~』の輪読です。
400ページ以上にもわたる本ですが、これを毎月、1章ずつ輪読。
今月は序章でした。私もこの読書会に参加(といっても今月はアーカイブ視聴でしたが・・・)していますので、この読書記録をnoteにも書いていこうと思います。
序章の内容
カーテンの向こうのバイオリン
1970年代後半、アメリカの5大オーケストラでは女性の演奏家の割合がわずか5%にすぎなかった。演奏家の採用試験で、カーテン越しに誰が演奏しているか審査員に見えないよう審査をすることで、女性演奏家が次の段階に進む確率が1.5倍上昇。現在は、演奏家の35%が女性になった。
行動経済のアプローチ
・バイアスの影響を受けずにいられない私たちの脳が、ものごとを正しく認識できるように行動経済のアプローチを図る。
・行動を好ましい形にデザインし、人々の背中を軽く押すことにより、好ましい結果を生み出す。具体的には好ましくない行動を生んでいる根本原因をあぶりだし、それを改めるのに適したデザインを考える。
(例)オプトイン/オプトアウト方式
人は誰もバイアスと無縁でない
・著者ですら、保育所にいた「男性保育士」に対してネガティブな第一印象を抱いた。
・ステレオタイプは経験則を導きだす材料になる。しかし、経験則による判断は、手っ取り早く情報を処理するには好都合だが、間違っていることが珍しくない。
平等はビジネスと経済にもプラスになる
・ジェンダー平等がビジネスに好影響を及ぼす。
(例)1960年から2008年にかけてのアメリカの労働市場で、性別や人種の壁が低くなった結果、生産性が15~20%上昇。
・「女性を排除することは経済的に考えれば理屈に合わない。女性の参加は21世紀のグローバル経済に計り知れない恩恵をもたらす。」(IMF クリスティーナ・ラガルド)
命にかかわる問題
女性の堕胎と間引き、5歳までの育児放棄、性別が原因の暴力、性差別で命を失う女性や女児は2億人
新しいことを試し、失敗から学ぶ
デザインの有効性は、さまざまな戦略を試し、効果を比較すればいい。
(失敗するリスクを恐れず、失敗から学習する)
バイアスを克服するためのデザイン
・バイアスは、ジェンダー、人種、民族、国籍、階級、カーストなどステレオタイプに反する人たちを不利な立場に追いやる。
・直観や非公式の人脈、昔ながらの経験則などの代わりに、計量可能なデータの徹底的な分析を重んじることは、ジェンダーバイアスを乗り越える第一歩。
・効果が実証されている方法論を用いれば、多くの場合は驚くほど小さなコストで、驚くほど速いペースで変化を起こせる。
感想
「女性」であることが不利になる
11月5日アメリカ大統領選挙が行われるが、読書会では、アメリカ大統領選挙が話題にあがった。8年前、敗北宣言で「ガラスの天井」を口にしたヒラリークリントンも、カマラハリスもジェンダーバイアスに苦戦していると。
以前、大統領選挙のテレビ討論会に関する記事で、ハリスが「検察官」VS「犯罪者」の構図でイメージ戦略を打っていたという記事を見、なるほど、大統領選挙で、ハリスがどう自身のイメージをどう打ち出そうとしているのか、その背景を考えると面白い。
また、女性がその会社の本流とされる部署ではなく、女性のイメージで、4R部門(人事:Human resources・広告宣伝:Public relations・経理財務:Investor relations・お客様相談室:Customer relations)に配属される傾向が強いことが、女性の昇進を阻んでいるといった問題も思い出した。
「女性」であることが「壁」になると感じ始めた時期
一般的に好かれる女性は「かわいさ」や「気配り」「やさしさ」「人あたりの良さ」等、男性をサポートする、一歩後ろを歩くような役割を求められがちであるように感じる。
私の話になり恐縮だが、少し自身のこれまでを振り返ると、大学時代を過ごした早稲田には、「ワセジョ」という言葉があり、「ワセジョ」、つまり早稲田の女子学生は、自由、奔放で、行動力、バイタリティがある という意で使われていたため、大学時代、私は女性が少ない大学、学部に所属しながらも、この「ワセジョ」のイメージに救われていた部分があった。(ガンガン好きなことをやって、リーダーシップをとっても、「ワセジョらしい」と好意的にとられていた)
「女性」であることのハンディキャップを徐々に感じ始めたのは、社会人になってからだろうか。
会社員時代、女性の昇進は、社内で話題にあがることが多く、女性であるがゆえの周囲の目の厳しさは感じていた。男性ならば、よほどのことが無い限り、言われないのに、女性だと、「下駄を履かされている」だの「女性枠」だの言う人は周囲にもおり、女性であるがゆえに、このような厳しい目を周囲から注がれることに、会社でキャリアを積むことに、自信を持てない部分があった。
また、「女性」としての生きづらさをより感じたことは、夫の転勤の帯同が続き、仕事を休職せざるをえなかった時期であったように感じる。自分自身は社会とのかかわりを持ち続けたかったし、また働きたいと思っていたが、周囲から「専業主婦」というだけで、「キャリアを諦めた人」「使えない人」として勝手なイメージを持たれたことが、悔しかった。休職は本意ではなかったから特に。そして夫の転勤帯同についても、周囲からは「妻が、ついていかなければならないのは、仕方がない」というような調子で声をかけられることがほとんどだった。
「自己ステレオタイプ」について
ただ、この期間に、さまざまなライフキャリアを歩む女性と出会い、専業主夫の男性とも仲良くなった。またもともと仲の良い友人がLGBTQの当事者だったりもする。そんなこともあって、ジェンダーに関してのステレオタイプは、全くないとは言いきれないが、少なくとも柔軟性はある方だと思う。一方で、ジェンダー以外の部分に関する自己ステレオタイプはあると思う。
例えば、イギリスに駐在帯同していた頃、シリア人家族と仲良くなった。もともと日本にいるとき、シリアは内戦やイスラム原理主義者のイメージが強く、怖い国という印象を持っていたが、実際、シリア人の友人は、ものすごく心根が優しい人たちで内戦前の平和な国のエピソードを聴くと、イメージが180度変わった。
スピーディな判断のためには、経験則からのバイアスを持たざるをえないことも理解している。ただ、あまりにそれを過信しすぎると、見誤ることが往々にしてあるな、と実感する。
ジェンダーバイアスを取り除く必要性
また、本章では、ジェンダーバイアスを取り除くことで、経済面からのメリットを説いているが、組織に変化が必要な局面で、多様性は必要であることは間違いない。
私は会社員時代、組織風土に関する仕事をしていた。当時、私が働いて会社は、組織風土を変えることを世の中的にも求められる局面にあったが、その際のキーパーソンは、他社から出向してきた、自社の社員と全く異なる経験、視点を持った女性で、彼女が、経営陣~現場まで各組織を渡り歩き、対立を乗り越えながら、役員・社員の意識、仕組みを変えて行った過程を見てきた。彼女は「女性だから」というわけではないが、自社になかった考え、価値観をもたらせてくれた。
ジェンダー平等には、もちろん人権の側面からも必要だ。それだけでなく、変化を生み出す局面では、男性だけのホモソーシャルな環境では変化を生み出しにくいと考える。
私は現在、高校で週1回、ジェンダーの授業をしている。
彼女たちは、我々の世代よりも更に柔軟に物事を捉えていて、私の実体験を話すと、「そんな昭和な話、今でもあるんですか?」と言われてしまった(苦笑)!
そんな彼女たちを見ていると啓蒙、教育の効果を実感する。一方で、それらは、時間も労力もかかることを理解している。
これを行動経済学の手法を使って、「仕組み」「デザイン」で変えるといった手法には大変興味がある。
これから章を読み進めていくことが楽しみだ。
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