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記憶の街へ

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50歳過ぎると、記憶の街から、出会った人たちが遊びに来ます。 彼らとの思い出話を書き留めてみました。
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#エッセイ

【記憶の街へ#11】言葉で伝えられなくても伝わっている

【記憶の街へ#11】言葉で伝えられなくても伝わっている

(2501文字)
高校生1年生から2年生にかけて、週に3日くらい千代田区神保町にあったカウンターだけのカレー屋でバイトをしていた。
牛丼チェーン店などでよくある、店員が動くスペースをコの字で囲んだようなカウンター。客席は12〜15くらいだったと思う。
埼玉からわざわざ東京までバイトに通っていたのは、神保町の隣にある御茶ノ水の中古レコード店に寄るためだった。
手渡しだったバイト料が入るとディスクユニ

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【記憶の街へ#9】ボクにできることは何もなかった

【記憶の街へ#9】ボクにできることは何もなかった

(1921文字)

何年か前に、ハワイから帰国した妹と母と話していた時のこと。
「そういえばYさんどうしてるだろうね」
急に妹がそう言った。
Yというのはボクが初めて付き合った女性で、高校生の頃から21歳までの目まぐるしく環境が変わる時期を一緒に過ごした。
なぜ急にそんなことを言い出したのかと尋ねると、そこからさらに6〜7年くらい前に、帰国して母と駅前を歩いていた時に偶然会ったという。
将来は結婚

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【記憶の街へ#7】卒業式、先生の告白

【記憶の街へ#7】卒業式、先生の告白

中学3年生の時の担任は、音楽のS先生だった。
よく通る太い声の40代くらいの男の先生で、スポーツ刈りに少し色のついたメガネという風貌は、ドラマの刑事か犯人かという印象だった。

S先生はその印象の通り怖い先生で、実際にはやらなかったものの、
「爪の下に安全ピンを刺すぞ」
などと脅し文句をいくつか持っていた。
今そんなことを言ったら問題にされるのではないだろうか。

高校受験が迫った1月だったと思う

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【記憶の街へ#5】母親の愛と祈り

【記憶の街へ#5】母親の愛と祈り

彼はゴーグルと呼ばれていた。
なぜそう呼ばれていたのかは覚えていない。
ボクの通っていた中学校には知的障害児の複式学級があり、ゴーグルはその教室の生徒だった。
人懐っこく、休み時間の廊下でボクたちの顔を見ると、手を振りながら駆け寄ってきた。
その度に「ゴーグルが来たぞ〜」などと言って笑いながら逃げてからかったりしていた。

ボクたちのクラスは、遠足などのイベントがあると、複式学級の生徒が一緒に行動

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【記憶の街へ#2】17歳、スピリチュアルな夏の夜

【記憶の街へ#2】17歳、スピリチュアルな夏の夜

高校生2年の夏休み、ボクはトラックの助手という短期アルバイトをしていた。
助手と言っても、荷下ろしの手伝い。
名産地から西瓜を満載してきたトラックの助手席に乗り込み、築地や所沢などにある青果市場で下す。
西瓜は割れやすいので手作業になる。
大きな西瓜がふたつ入った重い箱を、ひたすらトラックから下し、指定されたパレットの上に積んでいく。
シートが取り払われ、11トントラックの荷台に現れる西瓜の箱の山

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【記憶の街へ #1】Kの後ろ姿

【記憶の街へ #1】Kの後ろ姿

ボクが中学生の頃は、まだ女子のセーラー服のスカートは長かった。
Kは二歳上の三年生。ボクは一年生だった。
Kはくるぶしが被るくらいの長さのスカートをはいていた。
いつもそのスカートのポケットに手を突っ込み、ぺったんこの学生鞄を抱えていた。
お世辞にも美人とは言えず、体型もずんぐりしていたように思う。

彼女とはどこで知り合ったのかは全く覚えていない。
しかしなぜか、歳も性別も違うボクたちは、学校か

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