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きっと私たちは贅沢になったから

「彼だって、たまたま割り当てられた仕事がシステム系だっただけのことでしょう」
いつだったか、職場の先輩がそんなことを言っていた。
私たちがバックオフィスの業務を"たまたま"割り当てられたのと同様、彼もシステムの仕事を"たまたま"割り当てられた。
当時私たちがいたバックオフィスの部署に、彼はシステム部門から短期間限定で派遣されていて、一定の期間が終わったらまたシステム部門に戻る予定だった。
就活の時期、"たまたま"通った会社に入社して、"たまたま"配属された部署の仕事を覚えて、また次に"たまたま"割り当てられた新しい仕事を覚えて、そうやって年功序列の人生は進んでいくんだろうか。
そう思ったら、私たちは贅沢になったんだろうなと感じた。

転職が以前よりハードルの低いものになって、得られる情報量が格段に増えて、副業も解禁され始め、社内でも希望を出せるようになって、選べると感じられる選択肢は物凄く増えている。
一度入った企業に定年まで勤めあげることが最適解だった頃に比べると、そうでない生き方は最適解じゃないというわけでもなくなって、自分がどうしたいかをより重視できるようになってきた。
主体性やコミュニケーション能力が重視される今、私たちはきっと、やりたいことをやることやなりたい姿を手に入れるハードルが低い時代を生きている。

「こうしたいけどまぁ言っても仕方ないし」ということが減って、「こうしたいならそのために何をしようか」ということが、前よりも言っても大丈夫な時代になってきたんじゃないだろうか。
納得していないまま積み重ねられた"たまたま"よりも、納得して自分で手に入れた仕事を、やろうと思えばやれる方法がたくさんできてきた。
「こうしたい」がある人はそれに近づく行動ができるし、それがなくたって今おかれた場所で咲くことは物凄く価値があることだ。

「どうしたい?」に悩むのは、選択肢が増えて私たちが贅沢になってきたからなんだと思う。
それはやさしいようで時に厳しいけれど、問いに答えられないからいけないわけじゃない。

贅沢に生きる私たちは、行きたい場所があれば行けばいいけど、行きたい場所がなければ行かなくていい。
目標や行動、主体性が重視される今、"そうじゃないからいけないわけじゃないよね"ということも、同じくらい大切にしていきたいと思う。

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