遊布野ユフ

京都の片隅で伝統工芸に関わりながら、仕事と職人の二足のワラジを履いて暮らす和歌山育ちの…

遊布野ユフ

京都の片隅で伝統工芸に関わりながら、仕事と職人の二足のワラジを履いて暮らす和歌山育ちの28歳。 エッセイ・旅日記・創作など思いつくままに綴りつつ、3日に一度は竹工芸の発信をしております。 妹とドタバタの2人暮らし中。 けっこう楽しい毎日の、お裾分けを。

マガジン

  • なんでもやってみよう

    季節を感じながら生きたい姉妹の日々。   いろいろと思索したり挑戦したり作ったり遊んだりばかなことしたりしています。

  • UNTITLED

    私はいつでも旅ができます。 記憶という草原を。 想像という海原を。 表現という大空を。 出会いという町角を。 それは足掻きであり、諦めであり、羨望であり、力であり、希望です。

  • ねぇ、たびのひと

    どちらかというとつぶやきに近い、あした笑うための言葉たち。

  • 妹が、家に居ないでと言ったから。

    まじか、から始まる初心者ライダーのあちこちお出かけ日記。

  • 私のてしごと。

    私の作っている、ちょっと変わった竹工芸品。 製作と研究の記録。どなたでも、ごいっしょしませんか。

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失われ「かけた」伝統工芸

もう誰にも作れない。作り方がわからない。そんな伝統工芸品、実はたくさんあります。私の作っている竹工芸品もそのひとつです。 正確には、「でした」。 今回は私の関わっている伝統工芸品と活動について少しだけご紹介します。 京都のある神社に伝わったもので、年に一度八朔の日(8月1日)に、朝廷に献上されてきた竹籠です。 秋の虫をとってきて音を楽しんだり、軒先に吊るして目で楽しんだりしていました。 関連文書によれば、最低でも室町時代にまで遡る、非常に古い工芸品です。 明治維新による社

    • あなたが朝を歌ってくれたから

      どこで生きていても、どう生きていても、私はいつも同じところで躓くのだなあと思った。 理解することができない、決して悪い人じゃない人がいて、必ず支えようとしてくれる人がいて、小さな約束や、小さな先の楽しみを積み重ねて、ようやっと倒れ込まずに地面を踏みしめて、ここに今居る。 どこでどう道を選んでここへ辿り着いたのか、自分でもわからない。やり直したところで、きっと私はここに辿り着くと思う。 生きてなくてもいい。そんな思いをずーっと抱えてここまできた。ずいぶん小さい頃から、自分を

      • 新しい約束の生まれる日。

        もう、旅はできないかと思った。 スピッツの「僕はきっと旅に出る」を弾き語りながらその日を待った。 不安すぎて、そんな歌すら歌えない夜もあった。 そんな日々を越えて、私は今海の向こうにいる。 飛行機が空に飛び立った瞬間、すべてが報われた気がした。 3年前にこの国で聴いた曲たちを、ドミトリーのベッドの上でかけてみる。 懐かしい君たちを、またこの気持ちで聴けて嬉しいよ。 やりたいことができる時代に生まれてよかった。間に合ってよかった。 野生の世界なら私はきっと淘汰されてい

        • 無題

          そんなに、私は人の気持ちがわからんだろうか。 勝手なことをしただろうか。 どうしてこんな思いして泣かなきゃならんのだろうか。人の気持ちがわからないのは、本当に私だろうか。自信もない。私が悪いで、間違っていないのかもしれない。 自分が何が見えていて、何が見えていなくて、何に気づけていないのか、わからなくて不安になる。 自分が苦しいと言っているということを、いちばん信じられていないのは自分だし、自分が頑張っているということも、きっといちばん信じていないのは自分だと思う。

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        失われ「かけた」伝統工芸

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        記事

          僕はきっと旅に出る

          心は既に、遠く会いたい人たちのもとに。 会えたらきっと泣くのでしょう。 3年前の自分に、「やっと願いが通じたよ」と、心の中で呟くのでしょう。 『僕はきっと旅に出る。 星のない空見上げて溢れそうな星を描く。』 どこにも行けなかったあの日々に、そう歌って耐えた。   続く灰色の未来の気配に、その歌詞すら哀しさになって、歌声が途中で涙声に変わった。   それでも少しだけ気持ちの明るい日を見つけては、希望をメロディに乗せた。   また会いましょう、を現実にできるなら、私は喜ん

          僕はきっと旅に出る

          ぼくらは、自分が見えていないことを知ったほうがいい。 この世界のことは、どこまで行こうと、何を見ようと、わからないままなんだ。 それでいいんだ。それがいいんだ。

          ぼくらは、自分が見えていないことを知ったほうがいい。 この世界のことは、どこまで行こうと、何を見ようと、わからないままなんだ。 それでいいんだ。それがいいんだ。

          心を海に置き忘れて

          「貝殻を耳に当てると波の音がする」 小さいころ、そう聞いた。 信じて耳を澄ませても何にも聴こえなくて、「嘘じゃないか」とがっかりした。 海を離れて、波の音を聴かなくなった。 水切りをすることも、シーグラスを拾うこともしなくなった。 私は海のない町に来た。 朝の天気予報を見ていても、キャスターは波の高さを伝えない。夏になっても、海へ行くとなれば一日がかりの小旅行だ。嫌なことがあったり、疲れて波の音だけ危機に自転車を走らせていたあの時間がどれだけ自分に必要だったかを、そ

          心を海に置き忘れて

          そんな夜もあっていい。

          どうしようもなく、自分が嫌になって、自分が今いるここを壊したくなる夜があることを知っている。自分を、自分自身の言葉という鋭利なナイフで傷つけてしまう、そんな夜のこと。 そんな夜は思い出すのだ。 カンナやノミや、小刀を操っていたじいちゃんのこと。 山で狩りをして撃ってきたイノシシを捌いていた故郷のおいやんのこと。 じいちゃんの作ったおもちゃを手にして喜ぶ私を、じいちゃんがどれだけ優しい目で見ていたか。 おいやんは言っていた。 「どれだけ上手く捌くかで、肉の味は決まる。こ

          そんな夜もあっていい。

          今日の切手はどれにしましょうか

          友だちにふらっとハガキを出すのが好きだ。 旅行先から送る絵ハガキのときもある。 が、だいたいは休みの日にふらりと入った喫茶店でしたためた手描きのハガキである。 身近に起こったおもしろいできごとや、新しく知ったおすすめの映画や本や音楽や、ちょっと心にしみた言葉や、そんななんでもないことをイラスト入りのハガキにして送る。 そんなお手紙関係の私の最近の趣味は、切手を選ぶことだ。 散歩で郵便局を通りかかると、吸い寄せられるように切手コーナーに入り、気に入ったのがあったら買うのだ

          今日の切手はどれにしましょうか

          空の傘といっしょに

          だいぶお久しぶりのNoteです。 みなさまお元気でしょうか。 遊布野家にはカエルが戻ってまいりました。 遊布野姉妹は毎週のように酒盛りだのお料理だのお出かけだののイベントをしております。 さて、もうすぐ梅雨。 お出かけの予定がなければ雨も大好き、けれどさすがに毎日のようにしとしとと降る(昨今は親の仇かのように土砂降る傾向)のはちょっと気が滅入るなあ…と思っている。 遊布野は傘をさすのがヘタ(妹談)なので、どこ行くのも濡れる。肩とか足とか。膝なんて、「傘っていったい

          空の傘といっしょに

          PROLOGUE

          なぜぼくがこれを書いているのかって? その中にしか、ほんとうがないからだよ。 気づいてしまったんだ。疑ってしまった、と言い換えてもいい。 今のぼくは、この世界は嘘でできていると思っている。 口から出した言葉が取り消せないのとおんなじだ。 きいてしまった音は、なかったことにはできない。 思ってしまったことを、思う前の時間に戻すことはもうできない。 誰かが誰かの不幸を、自分のために利用する。 利用するために、誰かを不幸にする。 誰もが知ることができるようになった世界は、

          それでも私たちは焼き鳥がしたかった

          やっと寒さが落ち着いてきたとはいえ、家の外にシートを敷いてビアガーデン、というわけにはいかない気温の毎日。 それでも焼き鳥をやりたかった私たち姉妹は、家の中でホットプレートを出して肉を焼くことにしたのだった。 何だか最近ワインにハマっている妹が、白ワインを近くの酒屋さんで買ってきた。チーズにもハマっている妹が、安くておいしいブルーチーズをスーパーで買ってきた。我が家の食は妹が司っていると言っても過言ではない。 そして姉の部屋にテーブルやコンロや炊飯器をセットして宴開始。

          それでも私たちは焼き鳥がしたかった

          弱く小さい者として

          70年は草や木が生えないと言われた地が今は緑豊かな地であるように 焼け跡に新しい町が生まれたように たとえ灰になったとしても、雲になり雨になり水になり 何かに形を変えてこの星を巡る。 いつかどこかでまたきっと、次の命に辿り着く。 この星が寿命を終えるまで絶対に途切れない流れの中にいる、弱くて小さい者を侮るな。 どんな結末になろうとも残っていくのは私たちの方だ。 ヒトという存在が残るなら、思いが遺っていくのも私たちの方だ。 あなた方の思いは体の消滅とともに消える。 ヒ

          弱く小さい者として

          また明日。

          少しずつ仕事に慣れて、久々に「仕事に行くのが楽しい」と言える日々を送っている。 noteにはなかなか顔を出せなくて、もう少し新しい生活リズムに慣れたいな、と思っている。 みなさん、元気かなあ。 なんとなく今日はここに何かを書いておきたいなと思って、もう一つの仕事へ行く前にPCを開いている。 世の中には、人の物を奪いたくて仕方がない、自分が一番でなければ許せない、そんな人がいるのだな、とつくづく思う。 そして、それをできる金も権力も持った人がいるということも。 コ0ナ

          また明日。

          出発の日に。

          今週から新しい仕事に向かうことになりました。 初出勤、とても勉強になることばかりです。 学生時代から、働くという形でこそありませんでしたがとてもお世話になった方々で、仕事内容としても竹に関わるもので、長くたゆたってきた身としては、「何かの流れの中で流れ着いた」と思うところです。 祖父がいなくなるという、ひとつの大きな喪失が、私をここに運んだとしたら(詳しいことはここでは言えませんが、そうなのです)、やはりじいちゃんはまだこの世界にいるのだと思うし、すべては繋がっていて「正

          出発の日に。

          あまりの寒さにコタツ欲しさが炸裂した話

          寒い冬が続く。冬と言えばコタツ。 ミカンなど積み上げて、アイスなど持ち込んで、あったかいおこたの布団にくるまるのが冬の風物詩。 どうでもいいけどさっきから冬って打とうとするたびにユフって打ってて紛らわしい。そういえば小学生の頃、冬休みをユフ休みって書いて私の私による私の為の休暇を作り出したな…まあどうでもよくて。 わかっている。わかっているのだ。 ちょっと近くのニトリにでも行けば、15000円くらいで手に入る極上の品だということは。 でも我が家にはない。 なぜか。 我

          あまりの寒さにコタツ欲しさが炸裂した話