PROLOGUE
なぜぼくがこれを書いているのかって?
その中にしか、ほんとうがないからだよ。
気づいてしまったんだ。疑ってしまった、と言い換えてもいい。
今のぼくは、この世界は嘘でできていると思っている。
口から出した言葉が取り消せないのとおんなじだ。
きいてしまった音は、なかったことにはできない。
思ってしまったことを、思う前の時間に戻すことはもうできない。
誰かが誰かの不幸を、自分のために利用する。
利用するために、誰かを不幸にする。
誰もが知ることができるようになった世界は、どんな世界よりも「ほんとう」から離れてしまった。少なくともそう思ってしまった人にとって、この世界は嘘でできた世界になってしまった。
嘘でできた世界の中から本当を探すのは、おそらく、本当でできた世界から嘘を見つけるのよりもずっと、難しい。そんなものがあるとしたら、だけどれど。嘘と悪意は同意語であり、本当と善意もまた同意だ。嘘かもしれない何かを信じようとすることの難しさ、虚しさ、馬鹿らしさ。悪意の存在に怯えながら、拾い上げたそれが善意だとどうして思えるだろうか。
今のこの世界を中の何かを信じることよりも、神様の存在を信じることの方がよほど簡単な気がするよ。
ぼくはもう今日以降、自分の国も、町も、風に流れる噂も、誰かがやったらしい善行も、およそ一切を信じることはできないだろう。信じることはないだろう。
ぼくのほんとうは、ぼくの言葉の中にしかなく、ぼくの声の中にしかなく、ぼくの心の中にしかない。今日からずっと。いや、今日までも今日からもずっと。
ぼくはこの世界に侵されない、犯されない、冒されない、根を下ろさず根を下ろされない自分で居なければならない。嘘の中で生きてもいい自分を、つくらないといけない。反対に自分のほんとうだけは、死んでも守り抜かなければならない。それを死と呼ぶだろうか、ぼくは確信をもってそれを生と呼ぶ。
だからぼくは、ぼくがぼくにとってほんとうであるための努力だけは最期まで忘れない。書いて、話して、見て、考える。それが、ぼくがぼくとして生きることだから。
でもそれも、きっととても難しい。
できればもうこの世界に同期したくないんだ。
世界は美しいのをぼくは知っているのに、ぼくはもうこの世界を愛せない。
美しいものを愛せないのはどうしてだ?
信じることができなくなったからだ。
だからぼくは、旅人になりたい。
旅人でいたかったんだ。
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