出発の日に。
今週から新しい仕事に向かうことになりました。
初出勤、とても勉強になることばかりです。
学生時代から、働くという形でこそありませんでしたがとてもお世話になった方々で、仕事内容としても竹に関わるもので、長くたゆたってきた身としては、「何かの流れの中で流れ着いた」と思うところです。
祖父がいなくなるという、ひとつの大きな喪失が、私をここに運んだとしたら(詳しいことはここでは言えませんが、そうなのです)、やはりじいちゃんはまだこの世界にいるのだと思うし、すべては繋がっていて「正反対」はあり得ないのだと思います。私はここで生きていきたい、かどうかは言い切れないにしても、生きていこうと思います。
やはり生きるというのは、「自分の為」だけでは成し得ないのかもしれません。生きるのはとてもつらいことが多いからね。自分の為だけに生きていくのはとても難しい。
目まぐるしく世界が移り変わっていくなかで、生きていくということは、常に「明日世界が終わるとしたら私は今日何をする?」の連続であるように思います。
後悔のないようにという意味ではなく、自分がどう在りたいのか、ということです。あるもので居る場所で行ける場所で私たちは生きていくしかなく、自分の努力だけでは分かれ道を行けないことがあり、その先に道があるのかどうかは、誰も知らない。
明日の見えない、ないかもしれない未来の前では、今までの自分も今日私がすることも、何もかもが無意味であるような気がしてくる。
そう思ってしまう自分に、今日自分がすることに意味を持たせることは、私にとって必要なことです。
生まれた意味だの生きる価値だのは知らないし全然興味がありませんが、今日に価値を持たせることは、自分が生きる上で大切で、しかしとても難しいことです。
「明日がなかったとしても、あなたは今日を生きられますか」と言い換えても良いかもしれない。
きっとずっと、私はこんなふうに手探りで歩いていくのでしょう。
そんな今日を続けて、願わくばどうか明日が重なっていきますように。私ののぞむところまで、どうか道がつづいていますように。それでも行ける所まで行くよと、胸を張って言えますように。
出発の日に。
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