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モーツァルトはインターネット好きになったんじゃないかな-コンサート制作記⑤

たべもののはなしばかり書く私がコンサートについて考えるようになってから久しいが、本番までいよいよあと2週間を残すところとなった。

これまで、友達をモーツァルトの愛人にしたり架空の人物のコンセプトをめっちゃ詰めたり演奏会のための新曲を作ってもらったりDIY全開の撮影会をやったりしてきたが。

最近は伴走者どころか制作進行みたいになって着々と準備を進めていくなかではあるが、焦るでも緊張するでもなく、あと2週間なのか〜、という気持ちになっている。この演奏会に限らずあらゆるものの「本番」という概念が、こう目前に迫ると実感が湧かないのはいつも不思議である。

この土日は、対訳を表示させるタイミングを楽譜上に記していっていた。

左側にスライド内容、右側に位置指定。iPadバンザイ!マークアップ手書きも書き込めるし別のブラウザも見られて本当に便利だった。

楽譜を改めて見てみると、モーツァルトという人の技に驚くばかりである。国も時代も物語も立場も性別も違う存在の言葉であっても、それがモーツァルトの手がけた歌になった瞬間になぜか理解できる。私に音楽的素養があるとかそういうことではなく、彼の作る音が、物語を伝えるのだ。

私の知る限りのさまざまな「美」のうち、多くは人の手の凄みを思い知らされるものがとても多い。つまりは人工的だったり技巧的だったりする。一方で自然界に存在する美の多様さも知るところではあるが、ただ花が綺麗というところからさらに深く、フラクタル構造であったり物理的にあまりにも美しい法則だったりという根拠が隠れていることもしばしばだ。

何が言いたいかというと、モーツァルトの音楽の美しさは、そういった人工と自然の両側面の美しさが常に存在しているような気がしてならないのだ。人間が作り出した音楽の概念や楽器の音域、鍛え上げられた声帯をこうも美しく組み立てて一切の矛盾がない響きを生み出す。しかしその響きは、なんというか、自然の中にもともとあるもののようにさえ思うのだ。「中世の貴族が身分違いの恋人との別れを惜しむ歌」ではなくて、「目の前に佇むかけがえない相手の言葉、それを聞いた瞬間永遠に別れる運命を自覚し、その瞬間からやけに鮮やかに聞こえる風の音、足音の響き、俯いてポタポタ落ちる涙、を書き留めたらこのメロディーになった」みたいな感じ。

私はこの作業を通して、モーツァルトに元来この世界に存在する美しい音色やリズムをあえて定義して書き記していくことのできるひと、という姿を見た。その意味で彼は、元素を見つけたり数学の定理を見つけたりできる科学者とか数学者みたいだと思った。きっと宇宙のこととかもわかっていたような気もする。恐ろしい解像度でこの世界を見つめていたのではないかな、と思うのだ。

なのできっともし今彼が生きてたらインターネッツ大好きだったんじゃないかな〜と思うのだ。急に俗っぽい話だけど、色んな人の姿が見えて、色んな場所の様子を知れて、色んな音が聞こえて、色んなものを買えて…インターネットには人々の営みがそのまんま足跡として存在するのに、それらのうちのいくつかは現実じゃないというのもたまらない。リアルとファンタジーが入り混ぜで、そんな世界で他者との交流も活発だ。仮面舞踏会とか好きだったならきっとどハマりしそう。

そうそう、準備の上でGoogleは欠かせなかった。スペシャルサンクスと言っても過言ではない。
そもそもメールがGmailなのに始まり、あらゆるファイルはGoogledriveで管理したし、文字情報はGoogledocs、ミーティングはGoogleMeet、チケット予約はGoogle フォーム、表はGoogleスプレッドシート!共有も共同編集もGoogleがいたからできた…ありがとうGoogle…ありがとう…

そのほか、進捗管理にはLINEのアナウンスが見やすかったし、

情報をまとめるにはもうHPを作っちゃえ!ってしたらこれがまためっちゃ便利だったし、

https://yobuonna.wixsite.com/futari-onna

1ヶ月間の配信とアーカイブもYouTubeと勿論インターネットなのだ。
(チケットサイトもsquareのサイトで構築できた!)

疎いつもりでいたが、なんか使いこなしてるっぽくない!?とニヤニヤしながら悪戦苦闘している。

でもその一方でやっぱり紙のものが欲しくて、ヤバでかいポスターをキンコーズで刷ったり

釣果かな?

ハガキDMを作ったり(見てくださいこの美麗デザインを…アートディレクターのなっつん、本当にすごいよね)

なんなら完全受注生産でこの演奏会にまつわる本を作ろうともしている。

ねぇ、モーツァルト。
あなたに恋した2人の歌姫の想いを届けるために…
うちら必死だよ!絶対に見ててくれよな!!!

あとあの…たべものエッセイストの悪戦苦闘ぶりばかりお伝えしていますが、もしよかったらぜひ、こちらの演奏会、ご興味お持ちいただけましたらお楽しみいただけたらとも思っております…!色んなことが初めてで大丈夫かなと思ってしまうこともしばしばですが本当に素敵な時間になると信じて、日夜手を動かしています。

再度になっちゃうんですが告知、させてください!!

『ふたりの女 -愛されたモーツァルト-』

【日時】
2022年4月17日(日)
開場 13:30 / 開演 14:00
(終演予定 15:30)

【会場】
山口県岩国市周東文化会館パストラルホール
(山口県岩国市周東町用田137-8)

【チケット】
来場チケット ¥2500
オンライン配信チケット(アーカイブ1ヶ月視聴可能) ¥1000

【ご予約】
https://yobuonna.wixsite.com/futari-onna

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この記事のおわりに…
こないだの練習の動画を撮ったのですが、少しお時間をいただけないでしょうか。
準備期間にたくさん聞いたこともあり大好きになったモーツァルトの楽曲たち。その中でも特に大好きになった曲を、ほんの少し、お楽しみいただけたらなぁ…と思ってます。良かったらぜひ、ご覧ください。

まずはメゾソプラノ佐々木のレパートリーから、『夕べの想い』

父レオポルト亡き後にモーツァルトが綴った死にゆく者がこの世の終わりに人生を振り返り、遺される者に捧げるやさしい言葉の旋律。
私は、この曲はある意味ではこの演奏会の軸になる曲だとも思っています。モーツァルトの光と闇を誰よりも理解していながら、自身は誰にも知られず歌い続けた美しい「愛人」。架空の存在の彼女に託したおさとの想念すら見えるようで、私はとても大好きな曲です。

ソプラノ近藤の曲からは、『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき』

打って変わってこちらは、嫉妬の炎に身を焦がさんばかりの女性の心です。作風もシチュエーションも全く異なるのに、やはり美しい。
ただの言葉として嫉妬、と言うとネガティブな単語に感じてしまうのですが、諦めずに怒り、きちんと顕にするということの生命力を思わずにはいられないなと思わされるのです。加えてこの歌の主人公の女性はまだ、手紙を書いた主の「男」への想いは途絶えることなく燃え続けている。愛憎入り混じる複雑な心理もまた、生命の炎の姿のようだと思ってしまうのです。

ピアノはどちらもドンまりえちゃんです。

しかし改めて、このふたり、歌が上手い。。
何故仲良くなったんだろう。
音楽がある場所というのはいつだって不思議で、面白くて、愛おしい。


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