友達をモーツァルトの愛人にした話-コンサート制作記①

ふだんは好きな食べ物のことばかり書いているわたしがいきなり「愛人」なんて書くギャップに自分自身でエヘ…となっている。

いつもの他愛無いフードエッセイを読んでくださる皆さま、改めてありがとうございます!私事ながらいま、友人たちと作っているコンサートにキュレーターとして参加しています。毛色は変わりますが、私たちが作ろうとしているもののかなり現在進行形の記録をこれから時々書いていこうとしておりますので、よろしければこちらも温かく見守っていただけますと幸いです。

音のそばにいる友人たち

美味しいものを食べることや文章を書くことと同じくらい、音楽や音そのものや音を奏でる人たちを好きでいる。
音の鳴る方に吸い寄せられるみたいに歩んできた人生だったからか、その分野に生きる友人たちにも幸いにして恵まれてきた。といっても普通に爆笑しながら遊んだりご飯を食べたり、時々お互いの作った音を聞き合ったり、といったのが大半で(最高に楽しい)、特に大人になってからは一緒に何かを作るぞー!という機会はとても貴重なものになっていた。

コンサートを作りたい!

そんなある日、そんなかけがえのない友人の1人であるおさとから一本の連絡が入る。
彼女は声楽家で、パートはメゾソプラノ。しっとりと伸びやかな声が美しく、ワインが大好きで妙に色っぽい美女である。

『とおやま〜
コジ・ファン・トゥッテを昨今の事情を含めた演出でやろうと考えてるのね。
そのためにやっぱりセリフとかを新しく作らなきゃいけないから、そういう舞台の台本を書ける人探してるんだけど、、お夕の書くもの面白そうだからお願いできたらなーて思ってるんだけどどうでしょう?』

そんな楽しそうなもん二つ返事でオッケーだよと思いつつ話を聞くと、彼女の地元である山口県でオペラの公演を行うが、せっかく自分で企画から立ち上げられるのでオペラといっても個性があって、好きな友人たちと作っていきたい!ということだった。す、好きな友人!?嬉しい、やります

そこで、10代の頃から集まっては大騒ぎしている女4人でチームを作ることにした。
もともとおさとが声をかけていた彼女の親友でソプラノのお色気満載お姉さんであるまいまいと、美術まわりのアートディレクター兼脚本もわたしと一緒にやってくれる世のあらゆるカルチャー大好きなっつん、そしておいしいものの話をし続けるわたくし遠山。

ちなみに我々は学生時代からの仲だが、わたしが最初に知り合ったのはまいまいで彼女があまりに歌が上手いので思わず「歌ウンンンッッッマ!!!」と叫んだらともだちになった。
それぞれがバラバラに知り合った日のこととごはんを食べた日のことは覚えているけどそこからなんで仲良くなったのかは正直わからない。けれどお互いがお互いの作るものとキャラクターが大好きなので、いつも集まるととても楽しいのだ。

ご時世・ファン・トゥッテ

さてコジファントゥッテをやるとして、まずは作品を知ろうということで4人でまいまいの家に集まり彼女のおすすめキャストのDVDを見た。
キャストの存在感と歌声の素晴らしさはさることながら、文化考証もきちんとなされつつとてもお洒落な美術と照明。総合芸術たるオペラの力を映像からでも感じて4人でうっとりしながら鑑賞した。

コジファントゥッテのストーリーをとても簡単にまとめるとこうだ。

『主役の男性ふたりは自分たちの恋人が浮気しないと言うものの、友人のアルフォンソはそれを否定。そこでそれぞれの恋人が浮気をするか賭けることにした(サイテー!)。
戦地へ赴くと恋人たちに伝え街を去ったかのように見せかけたのち変装して再び現れお互いの恋人を口説く(サイテー!!)。
浮気を勧める女中のデスピーナの進言もあってか、2人の女性は変装したそれぞれの恋人と恋に落ちる。最後に男2人は変装を解き、2組のカップルは再び愛を確認し合ってハッピーエンドでオペラは終わる。』

謎が深い話である。
やばくない!?もし実際そんなことになったら泥沼じゃない!?とか変装わかりまくりじゃない!?とか言ってギャーギャーしながら私たちはどうするか話した。よく言えばこの演目は、演出や解釈の余地がある(後日、ほぼ殴り合いで終わる演出や「劇中劇でした☆」で終わる演出とかもあることがわかり、そのたびにLINEが大盛り上がりした)。

この演目をおさとが希望した理由としては、大好きなモーツァルトのオペラをやりたいこと、男性キャストが不在でも女性の見せ場があることであった。あとは、本来ならまいまいがソプラノの役はメインキャラであるフィオルデリージになるところ、女中のデスピーナとしてめっちゃお色気小悪魔みたいな役をやってみてほしかったなどなど。

しかしあまりにもストーリーの見方が自由なため本当に色々話し合った結果、なんとなく定めた方向性はこうなった
①不在の理由を戦地へ赴くではなく、感染症が蔓延して不自由な生活を強いられるなかで不在を強く意識する出来事という設定にする。
②女ってホントさぁ…(笑)みたいな元の演目の意図ではなく、女性の自由な選択によって本当にやりたいことや本当に愛したい人の存在に気づくような視点がほしい。

よーし!脚本練ってくぞー!!!となったのも束の間、いわゆるご時世が私たちにも降りかかってくる。

90分短すぎワロタ

「ごめん…みんな…」
夏のある日、おさとが急に私たちに謝ってきた。何事かと思ったら、どうやら予定していた演目だと上演時間が長すぎてしまうらしい。たしかにそうだ、オペラというものは得てして時間もゴージャスだね。それで、何分になったの?と聞くと

「1時間半」

90分!?と全員でずっこけた。
歌だけでなくセリフもありありでやってみようかとなって作った叩き台は、読み合わせしただけでも現時点で2時間半をゆうに超えていた。曲を減らすと本来届けたかった彼女たちの歌がそのまま少なくなってしまう。かといってセリフを省くと普通のコンサートになってしまう。
そのほかにも舞台上の人数や日取りのことなど、当初聞いていたことから様々なことが大きく変わっていった。

私たちは悩んだ。
でも、しばらく答えは出なかった。

本当にやりたいことは何?

そこから少し時が経ち、このままでは公演の方向性が定まらない…というムードが漂うなかで私たちは話し合った。
「コジ、どうしようか。やりたいけれど…」

わたしはずっと思っていた懸念を伝えることにした。

「一番残念なことから考えると、そもそも公演自体が立ち行かなくなってしまうことだと思う。
例えば無理やり、それこそ本来作品が持つ良さも伝わらないくらい短くして練習したところで、この先もっと演奏時間を短くしないと公演できないと言われてしまったら全てが台無しになる。
逆にどうしてもこの演目をおさとがやりたいのならば、それは私たちの手で何がなんでも守りたい。だから教えてほしい、おさとの本当にやりたいことは何?そして、このコンサートの一番の目的はどんなことだった?

すると、おさとは答えてくれた。

「実は、このコンサートは母がもともと提案してくれたものだった。母として山口でやる意義は、私のことを世間に紹介するところにあったみたいで…もともとは私のソロリサイタルをしましょうっていう話だったんだけど、わたしが「いまの私は自分の歌の上手さをひけらかすような演奏会をしてしまう。自発的にリサイタルができるほどの価値はいまの私に無い」て思ってるから、じゃあ私がいちばんやりたい事をやらせてもらおうと思って今回みんなに声かけさせてもらったの。
母にはそれを伝えたら快くOKしてくれた後に「飽くまであなたの紹介が念頭あってほしい」と言われたけど、それはリサイタルであれオペラであれ出来ることだから心配ないよって伝えてる。」

一同、しみじみと感動してしまった。
お母様の深い愛にも、おさとのストイックさにも、やりたいことをやると決めた大切なコンサートに違いないそんな機会に私たちを呼んでくれたことにも。

しかし、次の言葉で一転私たちはめちゃくちゃ戸惑うことになる。

「そんでね、エロい歌をやりたいんよ」

!?

エロい歌とは

「たとえコジができなくなったとしても、モーツァルトで全編行きたいのは変わってないんだよね。彼の曲がどうしてもどうしても好きで」
なるほどね…と思ったが10秒前の衝撃が抜けない。エロい歌をやりたい?

彼女曰く、例えばメゾソプラノがよく演じる少年(ズボン役、とも言うらしい。かわいい)に『フィガロの結婚』のケルビーノという役がある。


「彼の歌う『恋とはどんなものかしら』というアリアの冒頭、「Voi che sapete
che cosa è amor,」ってところを、よく習ったり聞いたりするのは跳ねる歌い方なんだけど、私はすごくねっとり歌いたいというか」

そう言って彼女はふたとおり歌ってみてくれた。
なるほど、確かにあえてつなげることで旋律は妙に耳に残る湿度を帯びる。たとえズボン役の少年と言っても、彼女の目指すところはキュートなおズボンのボーイ☆というよりは、さながらブグローの描くキューピッドや高畠華宵の美少年のような、艶かしさと全てを見通しているような末恐ろしさなのかもしれないと思った。

「ケルビーノって由来は智天使ケルビムから来てると思うんだけど、4つの顔と翼を持ってて全身に目がつけられてるような知の象徴なんだよね。役としての彼は世の女性を惹きつける。若くて溌剌な女中から年上の気高い貴婦人まで、どの女性がどんな自分を魅力的に思うか知っている。なんだか、多分人間じゃないぐらいの見方を、私自身はしている。」

おさとは続ける。
「私的な感覚だとは思いつつ…モーツァルトがメゾソプラノの歌に込めた想いみたいなのってたぶんかなり複雑で、たぶんめちゃくちゃ好きなんだけど演奏するときに伝えきれないような部分なんかもあって。私はそれを私なりにわかった上で届けたい。そうなると、必然的になんというかエロくなるし、私はそれをやりたい。でもそれって、やりたいことというか演奏会のテーマとして成立するのかな…」

私は、閃いてしまった。この子は…
「ねえおさと、それならさ、モーツァルトの愛人ってどう?」

モーツァルトの愛人

「愛人?」
そりゃそうだ、いきなり愛人ってびっくりするし私も唐突だと思う。

「不貞を働くとかそういう意味じゃ全くないよ。要は、彼が誰にも見せずにいたけれど曲の端々にこめていたやや男性的な内面とか、エロティシズムとか、心の深い底にあるような感覚みたいなものをそっと理解して、これまでスポットがメインで当たってこなかったそういう世界を情感を込めて歌い上げる存在としてこの演奏会を組み立てていくのはどう?」

思いつきであったが、想いを口にするにつれて全員の霧が晴れていく感じがしたことをなんだか今でも覚えている。

「そうじゃん。そうだね。愛人…いいね!」
そうして私は友達をモーツァルトの愛人にし、おさとはこの日からモーツァルトの愛人としてプログラムを作り始めることになった。

対をなすものとしてのソプラノ=妻

しかし私はオペラの世界に詳しいわけではなかった。
「ソプラノは、どうすればいいんかな…」

するとまいまいとおさとが教えてくれたのは、こうだった。
「モーツァルトのソプラノの曲ってめちゃくちゃ高くて難曲が多いんだよね!華やかで技巧的でときどき人間離れしているくらい。でも本当に綺麗」
「あとね、モーツァルトの妻はソプラノだったんだよ」

またしても私はひらめいた。
私は、というより私の中にいる深夜の中学生がひらめいた。

「あのさ、一番近い存在でありながら(音楽的)欲求をこれでもかと掻き立てて、全て飲み込み続けたうえで想像を超えた理想に仕立て上げてくる存在って・・・・え、エロくない!?」

一同爆笑。エロすぎ〜〜〜!!!!!すんなり決まって大笑いしてしまった。
そこでまいまいはもうひとりの女・モーツァルトの妻という概念で舞台に立つことになった。私にとっても憧れの歌姫であるまいまい、彼女の華やかな超絶技巧の楽曲たちが今からとても楽しみ。

というわけで

ふたりの演奏会の大きなテーマは、「モーツァルトの愛人と妻」になった。タイトルも決まっていないが、私となっつんと、途中から参加してくれたピアニストのドンまりえも交えて着々と計画を進めている。彼女は遠方に住んでいるのでまだ直接は会えていないのだけど、こうしたやり取りにお互い慣れつつあるのはいわゆるご時世のうれしい副産物だと思う。

もともとは脚本や文章を一緒にやるはずだったけど、運命がかなり大きく変わった今も引き続きふたりは私がこれからのステージに寄り添うことを歓迎してくれた。内容やタイトル、美術などについて話し合うときは一緒に居させてくれる。
コンサートについてあーだこーだいうものの金銭的なことや制作的なことにあまり関われておらず、ナニモンだぁ…?と自分のことを思っていた。けれど、プログラムはじめ展覧会の全体的な体験を設計するという意味ではキュレーターなのだろうか?という想いから、かねてから憧れていたこともありそういった形で携わらせてもらうことになった。尊敬するキュレーター・内田まほろさんはご自身のお仕事のことを「宝探しと自慢」という風に仰っている。このふたりの持つ宝を探し当てて引き出して、自慢するみたいにお客様に届けることができたらいいな、と心から思っている。

でも、もっと正直にいうとキュレーターというよりも、大好きな友達であり素晴らしい音楽家、美術家、ピアニストの伴走者のほうが、しっくりくるかもしれない。
早く行くなら1人で、遠くに行くならみんなで。
遥か遠くにいるモーツァルトと彼の音楽に、私たちはどうにか歩み寄っていこうとしています。

さいごに

5600文字とか出てて震えてる、ものすごく長いのにここまでお読みくださり本当にありがとうございます…!
基本的にはいつもこれからも食べ物の話ばかり書いているのですが、このコンサートの制作記録はマガジンの形にして更新していこうと思っておりますので、よろしければときどき覗いてください!


食べ物の話の方もまとめちゃった、えへへ。

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