精神病院物語第九話イメージ

精神病院物語-ほしをみるひと 第九話

「私だってそんな顔良いわけじゃないけど、イケメンの旦那ゲットしたもの。それに自分を卑下するなんて、自分を大事にしてくれる人たちに失礼だと思わない?」

 煙草部屋に屯す人たちを眺めながら、今日もホールで一向に上手くならない絵を描いていた。
 まずマンガを描きたいのであれば、それなりの絵が描けねば始まらないと思っていた。ストーリーが湯水のように湧いてくる、という程でもなかったが、少しでもできるよう、できるように上達していきたかった。
 主人公のビジュアルは特に格好良く描きたい。さらさらの髪を繊細な線で表現したい。目には強い力を宿し、いざというときには鬼神のごとき活躍を魅せてやりたい。
 ヒロインは可愛く、華奢で、胸は小さい。それをコンプレックスに思っていて欲しい。主張するところは主張して、時に主人公を食うくらいの活躍を魅せてやりたい。
 ライバルは最早人間ですらない。俺は気味が悪くなるような魔物を描く画力もないし、異形の怪物だって描けやしない。描けるように描いてもあまりの拙さが嫌になってくる。主人公もヒロインも理想のイメージには程遠い。
 細やかに鉛筆を動かしてみたが、やはり今日もかっこいい主人公、可愛いヒロインは描けなかった。鉛筆を細かく動かした分、線が拙くなるだけだった。
「絵、描いてるんですね」
 若い女性の声がして顔をあげると、狐目の、小柄な、同い年くらいにみえる女性が立っていた。確か、僕が気になっている娘とよく一緒にいる娘だ。
「私も絵、描いてたけど、こんな上手くは描けなかったな」
「描いてらっしゃったんで?」
「高校の時イラスト研究部だったからね。今じゃもう描かなくなってしまいましたが」
 そういうとその娘は置いてあった鉛筆を持って、僕の紙に女の子の絵を描いた。確かに上手くはない。しかし溢れんばかりの個性を見いだせた。描かれた女の子は、今にも飛び跳ねそうなくらい生き生きとしていた。自分のなんの個性も感じられない絵より、何倍も魅力的だと思った。
「これは、いいですね」
「褒めてくれるとは思わなかったな。でもあなたは毎日絵を描いてて偉いね」
 周りからはそうみえるのだろうか。僕自身は砂の城を造っては崩していくような不毛さしか感じていないのに。
「滝内君っていうんだ。私は江上。あんまりこの名前慣れてないんだけどね」
「というと、結婚されてるんですか?」
「うん、せっかく結婚したのに旦那には迷惑かけてて、早く元気にならないといけないんだけど」
 そういえばたまに見慣れない黒縁メガネの若い男性が病棟を出入りするのを見かけていた。多分あれは江上の旦那なのだろう。
「そういえば、江上さんといつも一緒にいる、髪の長い女の子いますよね」
 それを聞くと江上はピクッと頬を揺らし、にやけ始めた。
「来宮さんのこと? あの娘可愛いよね。好きなの?」
 うっ、と声を出してしまった。さりげなく聞いたつもりだったのに、バレバレだったのだろうか。
「好きだなんて……とんでもないです。僕みたいな汚い顔をした人間が、どうこうできることじゃありませんから」
 トイレの鏡で自分の顔をみると、毎日暗い気分になる。以前はもう少し普通の顔をしていたからだ。つりあがった目の瞼を指で軽くいじったりもするが、なにが変わるわけでもなかった。もう自分はこういう顔なのだと諦めるしかなかった。
 もちろん元の平凡な顔だったとしても、なにができたわけではなかったが。
「ちょっとなに言ってるの? そんなこと言ってたら本当に汚くなっちゃうよ!」
 江上が突然訴えかけるような強い口調で言った。その勢いに呑まれ、僕は椅子に座ったまま後ずさりそうになった。
「私だってそんな顔良いわけじゃないけど、イケメンの旦那ゲットしたもの。それに自分を卑下するなんて、自分を大事にしてくれる人たちに失礼だと思わない?」
 返す言葉がみつからなかった。今まで考えもしなかった発想だが、いわれてみれば全くの正論だった。
 なんという強い言葉だろう。江上のあまりの前向きさに、己の矮小さが恥ずかしくなった。
「すごいですね。僕と同年代なのに、考えがずっと大人だ」
「なに言ってんの、私三十歳だけど」
「三十歳?」
 見かけでいえば僕と同じくらいに見えたが、よく考えたら僕が入院したときに昔の歌をカラオケで歌っていたのは江上だった。
「とても、見えませんね」
「そう? 君は十九歳? 若いね。とりあえず髪伸ばして……茶髪にしよう!」
「茶髪? いや、それは」
 髪を染めたことはない。自分の髪の色が黒以外になっているところなど、想像できなかった。
「茶髪じゃなくてもいいけど、髪型くらいしっかりしないと女の子にもてないと思うよ。人の勝手だけど」
 耳の痛い指摘だった。確かにこんな坊主頭で恋愛をしようというのは無理がある。僕は前提からして間違っているのだ。
「でもね。人生は短いんだ。少年。片思いしてるうちにあっという間に三十になっちゃうんだから」
「しょ、少年?」
 江上は細い目を細め、口元でフフと笑った。
「ちょっと疲れたから私は戻るね。絵、頑張って」
 江上はそういうと鉛筆で女の子の絵の隣に吹き出しを描き「また会おう少年!」と台詞を入れて、病室へと戻っていった。
 ホールに一人残された僕は、新しい絵を描くわけでもなく手持ちぶさたになり、ただ鉛筆をくるくる回していた。
 なんだか、久しぶりに充実した会話をした気がした。江上は病棟の患者とは思えないくらい明るい女性だった。好きな女の子の話ができたことも楽しかった。
 そう。あの娘は、来宮さんというのか。神々しいまでに可憐な彼女だが、名前の響きまでが心地いいではないか。
 少しだけ来宮さんに近づけた気がして嬉しかった。しかしそれが気のせいだと自覚すると、またいつものように暗い気分になった。
 江上のいうように、自分を卑下しすぎるのは自分を大事にしてくれる家族や友達に失礼なことだった。理屈では、わかる。
 だけど僕は自信が持てない。負の積み重ねがそれをさせてくれない。そんな僕が今できることは、一体なんなのだろうか。(つづく)

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