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佳野
2023年3月30日 23:27
―恋は盲目。―茅尋は私が思っているよりもあっさりとその言葉を肯定した。自分から言った言葉なのに、肯定されたことに対して居場所のない不快感が熱を帯びる。「ねぇ、茅尋。」駄目、君だけは。もう狡い私を捉えてしまったんだから、君だけはちゃんと私を見て。視て。お願い。「一緒に、」「嫌だよ。」茅尋が言葉を遮る。寄せては返す波の音が僅かな沈黙を作った。「…まだ何も言ってないじゃん。」
2022年8月1日 21:30
国道112号線を走る。視線の先には太陽の光に照らされた青がどこまでも広がっていた。頬を撫でる風は少し痛いくらいで、茅尋の背中の温度に妙に安心感を感じるのはきっと冬の寒さのせいだ。駐車場にバイクを停めて、近くにあった自販機に百円玉を二枚落とす。ボタンを押すとガコンという音がして、私は二人分の缶飲料を取り出した。プルタブを開けて口に含むとカフェオレのほろ苦さが口に広がって吐き出した息がほわっと白
2022年5月7日 17:46
これが優しいおとぎ話だったなら、ハッピーエンドが決まっているような物語なら。…なんて。そんな不毛な想像をしてやめた。僕を信じると言った彼女の声は少しの痛みと優しさが混ざって、重ねた唇の冷たさがハッピーエンドなんて存在するわけがないと現実を突き付けている。数回触れた唇がそっと離れる。「キスって甘いんだね。」そう言って少し目を伏せるようにしてはにかむ彼女はさっきまでの涙を忘れてし
2022年3月14日 23:54
痛む心も濡れた手も、いっその事全部海に溶かしてしまえば楽になれるんだろうか。愛する事も愛される事上手く出来ないまま、深海の底から揺らめく何かに縋りながら息をする。僕達はつくづく不器用にしか生きていけないだなと思った。これが現実逃避にしかならない事はちゃんと分かっている。それでも、彼女が少しでも僕の手を受け止めてくれるのなら僕は最期まで君の為に生きていたい。そう願った。「私、弱虫でだめだ
2022年2月28日 05:11
苦しい、悲しいと叫ぶ彼女の透明な声が僕の胸を刺した。無力なこの腕は、今はただ彼女が泡になってしまわないように抱きしめることしか出来なかった。代替品の僕では君を救えないだろう。心の中のもう一人の僕がそう言っている。もしかしたら僕の想いは君の負担にしかならないかもしれない。だから、これは傲慢なエゴで自己満だ。「それでも僕は要の事が好きだよ」「…駄目だよ、そんなの。」「駄目な
2022年2月9日 00:20
「茅尋。」ぎゅっと掴まれた右手が少しだけ痛い。「…」何も言わず離れた手。薄らと残った体温だけがそこにあった。「ちゃんと話すね、私のこと。」そう、ちゃんと話さなければいけない。きっと私はまた彼を置いて行ってしまうから。「もう気付いてると思うけど、私も同じ病気なの。」「…いつから」「茅尋に出会う前だから5年くらい前から、かな。」きっともう会うことは出来ないであろう幼馴
2022年1月23日 23:36
バレてしまった、それもよりによって茅尋に。薬もちゃんと飲んだのに何でこのタイミングで発作なんか起こすんだろう、ついてない。本当に。床に散らばった紫色の"ソレ"だってもう見られてしまったからどうやったって言い逃れは出来ないし。嫌な沈黙が少し流れて、茅尋が動揺を隠せない様子で私の顔を見た。「何だよこれ、何も言わなかったじゃないか、こんな事一言も…」「…。」何も言えるわけなかった。
2022年1月12日 16:41
映画が終盤に差し掛かったと同時に穏やかな時間は終わりを告げる。「ぅぇ、けほっげほっ…」さっきの雨に打たれたせいなのか要が咳込み始めて止まらなくなった。僕は毛布をかけて彼女の背中をさすりながら治まるのを待つしか無かった。それから落ち着くまでに十数分時間を要した。「大丈夫…?今、水持ってくるから」要は咳が治まってからも苦しいのか蹲ったまま黙っている。当然ながら返答はない。新しいマグ
2022年1月8日 13:00
「どうしたの、ずぶ濡れだけど…」「急に雨降ってきちゃって。」部屋にいて気が付かなったけれど、たしかに外からは雨のサーサーと降る音がする。「待ってて、今タオル取ってくる」「ごめんね。」脱衣所にある収納ボックスからバスタオルを一枚取り出して玄関に戻る。「はい、これ」「ありがとう。」「もし必要なら洗面台の所にドライヤーとタオル置いておいたから使って。それと僕のしかないけど着替え
2022年1月5日 21:09
要と再会して3日が経って、僕は熱を出した。生え変わりの影響で熱が出てしまうことがあるらしいと前にサイトで見た気がする。頭はぐらぐらして喉は焼けるように痛んで食事もろくにできない。鱗に触れると一枚、また一枚と剥がれて床やシーツにパラパラと落ちた。(古い鱗ごと心につかえているものが一緒に剥がれ落ちてくれたらいいのにな。)そんな事を思いながら僕はそれを拾ってゴミ箱に放り捨てた。体調もあ
2021年11月30日 00:25
喫茶店を出て、商店街を抜けた先にある海の見える公園に着く。この街の唯一のシンボルだが、天候の影響のせいか人は少ない。僕らは自販機で飲み物を買ってからベンチに腰掛けた。「今まで何してたの?」先に沈黙を破ったのは僕だった。「彼のところで一緒に暮らしてたよ。茅尋だって知ってるでしょ。」「街を出てからずっと?」「うん、つい最近まで一緒に暮らしてたよ。今は1人だけど。」「なら、その傷だ
2021年11月19日 06:13
「茅尋、やっぱりそうなんでしょ…?」要が顔を歪めて僕を見る。その表情は何だか痛そうで辛そうな感じで今にも泣き出してしまいそうだった。素直に明かすしかないんだろう。中途半端な嘘をついたところで彼女にバレて詰められるのが目に見えている。それに、そんな苦しそうな顔をずっとさせるわけにもいかなかった。「そうだ、僕は人魚症を患ってる。」「いつから…?」「2年前。」「え…」「要が
2021年11月10日 22:18
要が入ったのは若者に人気のありそうなカフェではなくて、そのいくつか隣にある喫茶店だった。いわゆる純喫茶のような雰囲気の漂う扉を入るとどこか懐かしい匂いがした。「マスター、こんにちはー。」「やぁ、いらっしゃい。」店主に挨拶を済ますと、迷うことなく店の奥のテーブル席に座った。「ここのコーヒー美味しいんだよ。」「そうなんだ。」店員が来てオーダーを聞いて去っていく。少しして運ばれてき
2021年11月5日 01:26
幻だと思った。目の前の光景を現実だなんて思いたくなかった。「し、の…?」「久しぶりだね、茅尋。元気にしてた?」「…は、」「おーい、聞いてるー…?」「……」呼び掛けに応えなければと思うのに言葉が出てこない。鼓動が早くなっているのが分かる。思考も全く追いついていない。どうして要がここにいるんだろう。「ねぇ。」「あ、えっと…」「無視されると悲しいんだけど。」「ご、ごめん」