【95】【2万字】横顔は、英語で言えばprofile

プロフィールを書きます。ショートver.(≒プロフィール)とロングver.(≒来歴)があり、後者が前者を大幅に補完します(が、後者については長いと感じられる方もいらっしゃるはずので、興味のある人のみどうぞ)。当然のことですが、どちらにも(致命的でない範囲で)嘘が含まれます。隠す部分や大げさにする部分が含まれます。皆様のプロフィールや自己紹介と全く同じように。

★ショートver.(約1000字)★

東大の学部を出た後、東大と仏国某大学で修士号を取得。フランス在住。博士課程在学(専攻は西洋思想史)。万年筆とクラシック音楽を愛好(就中バロック、及び現代の管楽器のための室内楽曲)。外国語は英語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語、ロシア語、ルーマニア語、ラテン語、古代ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語、アラム語、ベンガル語、サンスクリット等を学習。オタクとして精神を傾けている対象は、『文学少女』シリーズ、『アイカツスターズ!』、『リズと青い鳥』等、また少女小説一般。研究の傍ら、アシュタンガヨガやイラスト作成に足の指の先を突っ込んでいます。

※私を監視するためのdicordサーバーがあります(参照:【392】限界大学院生@フランスの部屋を映すdiscordサーバー、始まりました)。ご自由にいらしてください。

この場での主たる関心は、複数の言語を用いて筆者が遂行している研究と、研究を含む個人的生活の、極めて非・学術的な、実践的かもしれない派生物を書き留め、提供することです。

研究は、性急に有用性を議論すべきものではありません。とはいえ研究を行う者の生活の余白において、我田引水的な、学術的に不正確な「読解」の作業も行われているからには、その帰結は書き留められて、「性急」かつ素朴に役立てられてもよい、と思われるのです。

そうした裂け目のような可能性があることを踏まえるなら、いつ嵐が襲ってくるかもわからぬまま庵にこもって、内心ヒヤヒヤしながら「人生そんなもんだよ」と悟ったふりをして本に没頭してみせるのはやめにしたい。いや、庵に籠もる時間はどこかで必要になるけれど、外に出て、生きることにも、出会うことになる人にも、泥臭く取り組みたい。

……翻って、読んで書くことしかしてこなかった私が、どのように社会に関わり、息をできるのかと考えると、ひとえに「読む」「書く」技術の実践と伝達によってである、と考えられるのです。

生活や仕事や性格が人それぞれであるとはいえ、私たちは言語を通して(広い意味での)世界を解釈し、世界に関係してゆくほかない以上、「読む」ことと「書く」ことは、善く生きるために不可欠です。であるから、恐らく人よりは広く・極めて深く・様々な仕方で「読ん」できた私は、広い意味で「読ん」だことを、噛み砕いて様々に加工して「書く」ことで、社会と、人間と関わってゆけるのではないか、と思われるのです。

解釈されていない現実やテクストを、あるいは誰かが示した解釈を、場合によってはもう一度解釈して都合よく、役に立つかたちで示す。また、解釈して示すための技法を伝える。そうした「解釈問屋」としての挑戦を、毎日配信しています。

こう書くと極めて「ポジティヴ」な、人生楽しい人間の言葉ととらえられるかもしれませんが、寧ろ私が開きたいのはバックドアです。つまり或る意味では自己啓発の裏面を覗くことをひとつの方針としています。この点、詳しく見たい方は、以下のロングver.をお読みいただければと思います。

あるいは以下のような記事には、単に「ポジティヴ」でない、裏面を覗こうとする態度を読み取っていただけると思います。
【23】借り物の言葉で借り物の人生を生きる皆さんへ
【40】恥の観念を強く持つ思慮深く高貴な方々への、心からのお願い
【47】書かれなかったものに触れる
【48】表現の庭を整える
【92】男性が髪を伸ばすこと(について語ること)と、カオスからの決断
【124】「自分の人生」なる幻想に別れを告げる
【128】救済は避けがたく到来する(かもしれない)ことを念頭に置く:『ゆびさきミルクティー』を経由して
【135】厭世思想家・マインレンダーの賭け:嘘から真を出せるのか



★ちょっとロングver.(15000字over)★

言うまでもなく以下に示す来歴は一個のフィクションですが、それは言語的表現の全てが確実に現実から隔てられている、という意味においてそうなのです。長いので、興味のある人のみどうぞ。


■幼少の頃

悟ったかのように原風景を語るという作業はどこか滑稽で、いささかの無神経、ないしは精神的な堕落のしるしと言えなくもないのですが、なにはともあれ幼少の頃を思い起こすと、人の本心が、規範の求めるところがわからずに戸惑う場面ばかりが思い出されます

たとえば、誕生日に何が欲しいのかと親に問われて混乱し、喉の奥が焼け付くように感じられた場面。

たとえば、悪いことをして叱られて、反省していないのに反省したふりをしなくてはならなかった、しかし周囲の同い年の子供が完璧に「反省して」いた場面。

たとえば、「素直じゃない」と笑われて、肺の奥に冷たい空気が流れ込むような居心地の悪さを感じた場面。

……こうした「原体験」は、露悪的な、ときとして悪辣だった幼少期の振る舞いにも繋がるようです。良い子のごとき振る舞いをしていても必ず「そうではない!」という精神の叫びをどこかしらに書き留めたがる、そうした子供でした。今なおそうしたところがあるからこそ、隠し立てもせずに書いている、というところは否めないでしょう。

一方で、比較的裕福な家庭に生まれ、比較的熱心に教育されていたからか、中途半端な秀才として育ちました。5歳で九九を言えたとか、そういう平凡な秀才ぶりです。そんな「よくある」力しかなくても、公立の小学校に入ってしまえば「できる」ことになってしまい、運動が苦手ではなかったこともあり、増長するばかりでした。

他方で、誰もわかってはくれないし、自分が誰かを理解することもありえない、自分が自分を理解することさえもありえない、という緩慢な絶望は、学級会における裁判や、早くも始められていた恋の鞘当てを傍観するにつけ、いっそう鋭く研ぎ澄まされたものです

■中学生の頃

「恥の多い生涯」はこうして始まりましたが、こうして育った少年には、道化に成り果てる勇気もありませんでした。そんな少年が、次第に自分の置かれた環境から孤立していくような思いにとらわれたのは当然でしょう。

中学受験を経て県下の私立に通いはじめてから、もちろん友人はでき、忙しい吹奏楽部に入って、サボることもなしに生活していました。とはいえ、特別仲の良い相手も、特別な執着を抱くことのできる相手も、特別尊敬できる相手もないままでした。人が向けてくれる気持ちを蔑ろにしたり、自分の気持ちをおざなりにしたり、そうしてぼんやりと軽薄に生きていました。

「本心から」語り合える友人など、自分が自分の「本心」を知る余地がないからには、ありえなかった、というなりゆきです。

娯楽に叩き込むほどの金もなく、大人気なゲームセンターやカラオケが面白いとも思えず、買い食いをする気も起きない。月1000円の小遣いは、楽器用品とか、本とかに消えました。

ぼんやりと「もっと金があったらなあ」と思って、わけもわからずビジネス関係のメールマガジンに無差別登録をはじめたのはこの頃です。

■弥縫策としての東大受験を決意するまで

フィクションと音楽が、ほぼ唯一と言ってよい友でした。向こうから接近してくる人間はいずれも、私に興味を示して、ことによると、外形の不確かな好意を求めてくる。楽しいこともあるにせよ、人付き合いは大いに不安を誘う、苦手なものでした。これに比べれば、私に興味を持たない存在は、実に気楽でした。こうした気質があってこそ、ずっと昔に書かれたものを読む道を半ば消極的に選びつづけてきた、という側面は否めないでしょう。

芥川龍之介全集を読みきったのもこの時期のことでしたし、三島由紀夫や谷崎潤一郎にハマったのもこのあたりの時期でした。太宰治はそこまで好きにならなかったけれども、『人間失格』や『斜陽』を読んでいた記憶はあります。美しい文体に触れる快楽は時間つぶしに最適でしたし、思うに、何らかの意味で屈託を抱えている人間がどのように生きることができるのか、あるいは死ぬことができるのか、その方途を探していたからこそ読まれた作品も多かったように思われます。

オタク街道を歩みはじめたのもこの時期です。中3のときに後輩が貸してくれた『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ローゼンメイデン』から入って、『灼眼のシャナ』『魔法先生ネギま!』『マリア様がみてる』など、健全に(?)オタク文化に染まってゆきました。或る意味では闊達を極めるキャラクタから、何かを学び取ろうと必死だったのかも知れませんが、それでも涼宮ハルヒを演じた声優・平野綾や、『マリみて』の藤堂志摩子を演じた声優・能登麻美子の演技には率直な感動を覚えました。こうした文化に染まったために知り合えた友人は本当に多いものですし、当時から繰り返していた意地の悪い(笑)深読みの習慣は、古い時代のテクストを読むにあたっても保たれているものです。

幼少からやっていた音楽はと言えば、真剣に取り組んでいましたが、これは精神を慰謝するものでも、楽しいものでも、やすらぎをもたらすものでもありませんでした。音楽は私に関心を持たないからこそ、関わるのに気安い、しかし或る種の信仰の対象でした。実力の方はともかく、ただ美しいものを、という極端なスローガンを心に、恐らくは最も真面目な部員として演奏していましたし、能う限りの努力をしたつもりでいます。

そうする中でほのかに浮かび上がりかけた進路が、音大というものでした。長らくこのオブセッションは消えませんでしたし、高校に入ってもしばらくは一生音楽をやっていきたいと思う(あるいはそのように言う)期間が長かった。もう時効でしょうが、小遣いだけでは足りないので、闇のバイトめいたことをやって少しく金を得て、プロの先生のところに通うこともありました。

しかし、高1の夏にプロの先生方が教えてくださるキャンプに数日参加したことが、或る種の転機となりました。知り合った学生たちの圧倒的な財力(と演奏技術と無邪気さ)を見せつけられ、やってゆく気持ちが大いに揺らいだのです。

思えば自分は勉強ができるし——という自信があったのです——、今はしていなから成績が良くないが、ちょっとやる気出せば一瞬で東大くらい受かりそうな気もする。そのほうが絶対に効率良く戦えるし、儲かる。

音大などと言っていたのも、何もやりたくないという恐るべき事態から目をそらすための弥縫策にすぎなかったのではないか? 何もやりたくないなら、儲かるほうがまだ良いのではないか?

考えてみれば、親が私のキャリア構想について否定的なことを言っていたのは、キャリアが、というよりは、物質的生活が不安定になることを見越してのことでした。実に優しい親心です。あるいは教育投資の費用対効果を考慮したのかもしれません。逆に言えば、一生余裕を持って過ごしていけるだけの金融資本を用意できる立場であれば、きっと真面目にとりあったのではないかとも思われます。

今でこそ、家庭や子供を持つ気は1ミリたりともありませんが、そのときは、配偶者と子供を持つ一般的ハッピーライフを漠然と思い描いていたものです。そうして自分に子供ができたときに、子供にほんのわずかでもいらぬ苦労をさせるということは、私にはありえない選択だった。子供が学びたいことを全く自由に学べるような環境を用意できなければ、それはとてつもない罪であるように思われた。だからこそ、稼げなくてはならない、と漠然と思うようになったのです。 

つまるところ、ここにも一つの弥縫策があります。自分が何をしたいかということはわからない、というより考えなかったから、自分以外の人間(=子供)が自由に選択できるような状況を作れなくてはならない。自分に何もやりたいことがないのなら、せめて子供にやりたいことができたときに、確実にできる状況を整えておくべきではないか?

はらはらと浮ついた気持ちで高1の秋を過ごしてゆくなかで、同じように音大進学を言っていた年上の人間がいつしか一般大学を受験する態勢に切り替えたことに気づいて、冷めたような心地になり、とうとう高1の冬には東大受験を決意します。東大を選んだのは、チンケなプライドと、「稼いでいるやつはだいたい東大だろう」という安直な発想ゆえです。

この時期の進路調査票に書いた希望職種は「社長」でした(笑)。「何を売るかを考えなければ社長ということはありえない」「企業経営は手段にすぎないだろう」と、はじめて現実的な進学先を示した子供を見ていささか満足げな親にも、本当にお世話になった担任の先生にも言われましたが、私からしてみれば、職業の名は重要ではありませんでした。

……私はとにかく、猶予と選択権が欲しかったのです。

あるいは、何もやりたくない、ということをごまかすためにこそ、全てを繰り延べたかったのです。決定の瞬間を繰り延べて、しかるべき時に好ましい決断を行うための猶予が欲しかったのですし、そのためにはおいおい「カネ」がいるだろう、ということでした。選択権は金銭と時間を重要な要素とするものであり、基本的に一定の量を超えた金を個人的水準で動かせるのは経営者ですから、「社長」と書いた、というだけのことです。この漠たる態度、意味のなさ・欲求の不分明さは、繰り延べることへの或る種の執着は、後々にも尾を引く心理的条件でした。

■華やかな(?)受験生時代

とはいえ、やると決めて勉強に取り組みはじめたこの時期は、実に楽しいものでした。

受験勉強というものは、ハマっていても誰も文句を言わない。上手くいっても褒めてくれる人は少ないけれど、ゲームとしてはよくできているものです。やれば成績は上がりますし、しかも数ヶ月の短期集中の勉強でも容易に逆転できる。模試でいい成績を取れば、予備校によっては図書カードをくれる(模試の受験料より安いので、黒字にはなりませんが。笑)。

クラスも部活も充実しており、自分の受験マシーンとしての能力の高さにも気づきましたし、成績はうなぎのぼりでした。進学校ではよくあることですが、高2の冬の時点で「今試験受けても受かるわ(笑)」と増長していました。

仮初のものであるとはいえ、生活に意味がありました。

人との出会いも実に素晴らしいものでした。

高2の冬から通いはじめた予備校での友人との出会いはとても素晴らしいものでしたし、幾人かの予備校講師は本当に多くのことを教えてくれました。とりわけ英語については、講師がおおいに尊敬できる人でした。

1年独習して、定期試験や模試でちょっといい点をとってできる気になっていた私の鼻っ柱を完全に叩き折ってくださいました。外国語をやるからには原書を読めなければ意味がないと思うようになったのも、ものを厳密に読むことへの執着を身につけはじめたのも、彼との出会いのおかげです。

そうして英語については、(英作文込みの)ペーパーテストであれば学校にも多くいた帰国子女たちをなぎ倒せるレベルまで引き上げることができました。

高3では受験対策はあまりやらず、寧ろサマセット・モームやオーウェル、フィッツジェラルド、またキッシンジャーやカー、ハンナ・アーレント(ときには背伸びして、カーライル)などの原書ばかり無茶苦茶に読んでいましたが、センター試験は満点前提のタイムアタックと化し、実際10分そこそこで解いて満点をとりましたし、東大の試験の本番でも8割5分の点をとれました(もっとも、東大の英語の試験問題は、純粋な難易度で言えばそこまで高くありませんが)。

受験のはるか遠く、抽象的な能力を追求して培った英語運用能力は、大学受験の後にも、高校の補習や予備校のアルバイトで大いに武器とすることになります。英米文学を専攻する東大の院生に混じって入試問題の解答や解説を作成することになっても、こと読解にかけてはまったくひけをとらぬ自信と実力を発揮できたのは、もちろん大学に入ってからの読解力の涵養の成果でもありますが、受験期の修行の成果という面は強いと言えます。

……東大志望の同級生と喫茶店で雑談をするというはじめての機会もあり、何も知らない高校生同士で交わす空虚な会話は実に楽しいものでした。同じ学校の、一度もクラスが同じになったことのない人との接点ができたのも、東大志望であることをさかんにうたっていたからです。

今でもお付き合いのある——というか、こちらがちょこちょこ動いてなんとか視界に入ろうとしている——、なんとも肩書きのつけづらい、ビジネスの領域で活躍されている某氏と初めて顔を合わせたのもこの頃です。ビジネス系のセミナーは概して高価なのですが、学生団体がやっている安価なセミナーの情報が流れてきて、勉強にも部活にもそれなりに余裕のあった私は「よっしゃ、行っとくか」と足を向け、そこでお声掛けいただいた、という成り行きです。

若い、というか幼いとさえ言える人間が場違いにいたら、心配するにせよ、面白がるにせよ、声をかけるものです。特に、一定の水準で社会的成功を収めている人であれば、縁というものは大切にするものですし、年次が下の人々から様々なものを取り入れるものです。私は何も持たない若者でしたが(いや、今も若いのですが)、そうした若者としての地位を無意識に利用して、相手の懐に入りこんだ(?)という成り行きです。

何にせよこの頃の経験や出会いは、色々な考えが随分変わった今日に至るまで、効くものであったように思われます。

■大学と、意味のなさと、高跳びと

勉強をすすめる中で歴史学に漠たる興味が湧いたこともあり、高1の頃に考えていた文二(経済系)でもなく、高2の頃に考えるようになった文一(法・政治学系)でもなく、文三(文学部系)を受験し、現役で合格しました。この頃には、勉強自体が(暇つぶしとして)面白かったこともあり、「稼ぐぞ!」という気概はかなり薄れていたように思われます。

合格は既にわかっていた結末でしたが——調子に乗るだけではなく、見合うだけの努力はしたのです——、とはいえ、合格後のことは殆ど考えていませんでした。

漠然と勉強してみたいことはいくつもある。古典語、(複数の)外国語、西洋哲学、近代ヨーロッパの政治史、国際関係論、等。どれにも手を出す。どれもしっくりこない。

やってみたい課外活動はいくつもある。サークルに入ってみる。上手くいかない。茶道やオーケストラに関わってみる。辞める。

原因をひとつに絞ることはできませんが、そもそもキャンパスが遠すぎたのは一つの原因でしょう。キャンパスが遠くてもサークルを掛け持ちして色々やっている人はいましたが、私はそうしたヴァイタリティを発揮できなかった。市民オーケストラにも入りましたが、特に雨の日に楽器をかついで交通の便の悪い練習場まで行くのは苦痛で、半年でやめました。

「ほどほどに」やることがどうにも難しかった、というのも原因だと思います。つまり何かを「両立する」という態勢が全くなかった。趣味として、つまり軽く何かをやるという気持ちもなかった。やるからにはやりぬかねばならぬ、そうでなくては誠実ではない、という或る種の思念がつきまとっていたように思われます。しかし何か外在的な目的のために練習や訓練を調整するのも性に合わない。思えば抽象的な英語力を鍛えるのは、目的がないからよかった。楽器だって、曲を演奏したいとか感動を伝えたいとかいうことはまったくなく、抽象的に技術を向上させつづけることにこそ興味があった(から、「本番」は好きではなかった)。そして、本分としての学業をおろそかにする発想は、もはやありえませんでした。……

やりたいことがまんべんなくあるということは、やりたいことがなにもないのと同じですし、寧ろこの後者の表現がしっくり来たものです。これは激越な苦しみでした。東大受験をする方向に舵を切った時には、私は選択や決断を繰り延べる、という決断をしたのですが、またも繰り延べなければならないと悟ったのです。

何人も新しい知り合いが増えて、これまでよりも語れることが増えて、毎日快い疲労がある一方で、どうしても意味のなさが心を押しつぶすようでした。家にいたくなかったから外に出る、という習慣があって、このおかげで人と交わり、どうにか生きていられていたといってもよいでしょう。

成績はやはり良いままでした。というより、サークルも何もやらず本を読んで勉強(とアルバイト)だけしていれば、悪い成績になるわけがありません。何より、勉強しているあいだは、語学力を涵養しテクストを理解しようとつとめているあいだは、重くのしかかる「意味のなさ」から逃れられているような気持ちになったものです。なにより、テクストには意味があるのですから。大人数の飲み会や恋愛の戯れの類は薄雲のような無意味と絶望で心を満たすだけなので、たまに巻き込まれることはあっても、すぐに本と辞書とノートに心を戻したものです。

語学でやたら点を稼ぎ、ほかもまんべんなく良い点をとり、進学振り分け(専攻の選択)は、どこを選んでもだいたい通りそうな点数であることが予想されました。親からはさんざん法学部に行けと言われましたが、「刑法なんか興味ねえよ」という気分が強く、最初から選択肢に入れませんでした。

漠然と哲学系だろうとは思っていましたが——というより、無意味なもの、無意味であることそのものに触れかけて目をそらさずにいることは、哲学と、或る種の文学にしかできないことです——、他方で語学をしっかりやらなければ文章を誠実かつ厳密に読めないという気持ちもあり、いくつか候補があがりました。しかしどうにも決めかねる。今度は繰り延べるわけにはいかない。繰り延べたら留年するからです。

そこで、六角鉛筆の各面に6つの学科の名前を書き込んで、振って決めました。
(度々驚かれますが、実話です。)

そうして進んだのはフランス系の専攻でした。第3外国語としてやっていたフランス語がある程度肌にあっていたのか、悪くはない選択(というか鉛筆コロコロ)だったと思います。他の外国語の勉強も欠かさず、ひたすら読むだけの毎日を送りつづけていました。

そして、無意味さから逃げるようにしてフランスへの交換留学の推薦枠を勝ち取り、学部3年の夏からフランスに高跳びしました。……

■繰り延べと再・高跳びと、やはり無意味と

フランスで過ごした後、帰ってきて、卒論を書いて、修士に上がって、修論を書ききりました。

就活は一度も考えませんでした。哲学を、思想史を自分が心からやりたいとは思えなかったけれど、少なくとも就活をしている人たちの苦しげな様子を見た限りでは、就活・就職に何か意味があるようには思えなかったのです。だから学部1年の頃から、就活はすまい、という否定的なかたちで、研究者としてのキャリアを思い描くようになっていました。少なくとも大学院に進んで時間を過ごしていれば、決定を繰り延べるための猶予はとれるというわけです。

世にあふれる軽佻浮薄なキャッチコピーにも、それに踊らされる人間にもうんざりしていました。以ってかつてのように「稼ぐ」ことはあまり志向できませんでしたし、どんなに小さくても真摯に生きられればよい、という思いは強くなるばかりでした

かといって、哲学・思想史界隈が、慎重で考慮に値すべき言説に満ちた真摯な空間であるようにも思われなくなりました。もちろん、以上のように私が極めて否定的な・ネガティヴな傾向を持っているからかもしれません。「隣の芝は青い」から、このように思うのかもしれません。ともあれ、よくないところというのは、だんだんわかってくる。

良心的な人はもちろん良心的で、堅実に研究をされています。実に尊い姿です。

しかし、研究を軽視する人事、巧妙な(しかしバレている)学歴詐称、唾棄すべき阿諛追従、チンケなプライドをひけらかすマウンティング合戦、お友だち同士の無意味な褒め合い、いい歳した大人によるいじめやハラスメントや派閥抗争、etc.を見る中で、研究者集団は実に建前以外なにも綺麗でない連中ではないか、という疑いを、憤りというよりは絶望に近い感情を抱くようになりました。

哲学や思想史といった人間そのものを扱う領域の研究を行っていて、しかも客観的に対象を扱うのみならず、ときにテクストを現実に関わってゆくためのよりどころとし、正義や人格の尊重を声高にうたうことさえある人たちが、同僚やあるいは目下の研究者を残酷な仕方で扱い、徒党を組んでセコい利権獲得に汲々とするのです。

現実に適応しなくてはならない以上、現実を踏まえて行動することはよいとして、そうした現実を誰ひとりとして理想に向けて正そうとしない。しかも、テクストを、普遍的に開かれたものを扱うはずの人間が、理想に照らしておかしな現状を指弾しない。否、狂った不正義があることにさえ気づこうとしない。たとえば「言っている人ではなく内容によって判断する」等の学問の建前というものは外ゆきのおめかしであって、学問の家の中では一切脱ぎ捨てられている、そういう印象を受けるのです。

あるいは学問に期待しすぎていたのかもしれませんし、どこの世界に行っても似たようなことはあるのかもしれません。繰り返しますが、私が期待しすぎていただけで、学会には学会なりの、大学には大学なりの、最適化された法・規範があるのだろうと思われます。私が馴染みきれない不適合者なのだと解釈していただければよいでしょう。

いずれにせよ、現代にあっては大学が知を追求するという一点にかけて最良の場所のひとつであることに間違いはありませんが、もちろん完全無欠なわけではなく、よくないところはあり、その点をどうしても見てしまった、ということです。

ともかく、そうこうしているうちに、なにか重要なことを決める前の猶予を求めて大学院にいつづけた結果、現実的な進路が狭まってきました

きっと大学教員になるしかないだろうな、と思いながら、そのための方策をたてることになりました。昨今大流行のアクティヴラーニングの講習を受けて修了証を得たり、一般向けの講演を引き受けたり、見切り発車で論文を出したり。……なるほど、大学教員は、昨今雑務が増えて雇用も不安定だとはいえ、他の職種より休みは多く、社会的地位も(なぜか)高く、知的能力を活かす点で私にあっているかもしれない、とは思われましたが、寧ろそう言い聞かせる面がある、というのもたしかでしょう。


たいしてやらないうちから学会活動に嫌気が差していたこともあり、またやっている分野を日本で続けるのは難しいということもあり、再度フランスに留学しました。

今度は1年で2つ目の修士号をとって、流されるように博士課程に上がりました。ヨーロッパで就職する気はありませんでしたが、留学用の奨学金の年限は続いていて、まだ何かをする気にはならなかったのです。

フランスで博士課程に上がってからというもの、やはり何もできずにいました。論文は読むし、折に触れて、書いては査読に通すけれども、そうした営みの無意味さがこれまでよりもいっそう顕著に目の前に迫るようになったのです。

当然ですが、論文は読まれてしまうもので、読むのは学会の人々で、その人たちのコミュニティは私には必ずしもしっくりこない。であれば私が書いたものは、私が大学教員になろうとして公募に出すときにこそ意味を持つものです。

——しかしそうして、やりたい、と確信することもできないのに大学教員になって、その先には何があるのでしょうか? 「安定した生活」? 大学が、日本が、世界がどんどん不安定になっているなかで、「安定」だなんて、世迷い言の類でしょう。

——権威? 権威は大事だし、先輩ヅラ・教師ヅラしたい人には嬉しいかもしれないけれども、私はそうするのもされるのも嫌でした。教師になるとすれば適切に権威を用いるべきだとは思うけれども、そうしない人が同僚にいるとなれば、それは地獄です。

——研究史上私の論文には意味があるかもしれないけれども、100年後に誰かが読むかもしれないけれども、だから何だというのでしょう。

無意味に耐えられずしかし決断して意味を生み出すことのできない人間、あるいは生命に意味をこじつけることもできずしかし死ぬこともできない人間がやることは、無意味をはっきり意識すると否とを問わず、似てきます。人生を暇潰しに投げ込むのです。暇の潰しかたは人によるかもしれません。私の場合は、やたらにアニメを観て、研究に関係のない本を読むようになりました。人によってはテレビをみたり、ゲームに興じたりするのでしょう。賭け事や酒タバコに依存しなかったのは不幸中の幸いと言えるでしょう。

——こうして無意味に耐えながら生きていくのだろう、でもそれでいいのかなあ、論文書かないと(大学に)就職できないよなあ、めんどくさいなあ、嫌だなあ、死にたいなあ、でも私より倫理的に低い連中とか、私を侮辱したことのある連中とかを全員ぶち倒してからじゃないと、死にきれないなあ。

……こんなことばかり考えながら、しばらく生きていました。

■復活ののろし? 内心と表現の溶融

流されて、繰り延べつづけてきたとはいえ、人生を諦めきっていたわけではありませんでした。諦めるという一点においてさえ中途半端で決断しきれなかった、と言ってもよいでしょう。地獄を普通に生きる覚悟さえつかなかった、ということです。

それに、私が苦しんでいるのは不当だという、怒りにも似た思いがありました。「かくも優れた・高潔な(=自惚れ)私が何故苦しまねばならんのだ?」という、無茶苦茶で傲慢な、しかしそれ自体としては確信に満ちた問いが、常にありました。

そもそも、やりたいことを見つけねばなるまい、否定的決断だけではなく、肯定の道をもとらねばなるまい、という問題意識が高まってきたのもこの頃です。やりたいことがなければ、永遠に繰り延べざるをえない。それもよいかもしれないけれど、やりたいことを見つけられれば、それに全生命を賭けることができる、というわけです。夢を持つという夢を抱いたというわけです。三島由紀夫『春の雪』の松枝清顕が自らの恋心に抱いたような確信を、人生に対して持ちたく思ったということです。

人生に対する最後の求愛、賭けのつもりだった、と書くと大げさかもしれませんが、やたらめったら手を出しました。株式投資のセミナーに行ってみたり、イラストや小説を描きはじめてみたり、カリグラフィの教室に通ってみたり、オカリナを吹いてみたり、Marcel Bitschの作曲教程を全部読んで手を動かしてみたり、ヨガを習ってみたり。……ひとつひとつには面白みがありましたが、どれも人生を賭けるに値するようには思われませんでした。

しかし、何はともあれそうして行ったり来たりしているうちに、だんだんと、意味のある何かをやろうと前向きに・一生懸命に頑張っている人の内面のほうが気になってきました。はっきり言って時間や力を傾けるには馬鹿らしいとしか思えないことをやっている人たちもいますが、ひとりひとり、どう考えても自分のやっていることの価値や、自分の「やりたい」という気持ちを確信しているとしか思えない、そうした、少なくとも見かけ上は純朴な人たちがいたものです。

如何にして彼ら彼女らは、自分がそれをやりたい、という確信を手にしたというのでしょう。……彼ら彼女らは、表立っては語ってはくれない。誰も、「内心」を語ってはくれないのです。

というより、「内心」なる概念の危うさを、ここにきて段々と掴むようになりました。

自分が何をやりたいのか、どうしたいのかということは、結局のところ確信するのが難しいものかもしれない。というより、主観的確信はすべて客観的には不確実なものであるとも言える。それどころか、主観的確信さえも、言語化されて、つまり潜在的には公共性を帯びて、初めて現れるものであるとすれば、「内心」と外的な表現の差異は、口にするか否かという極めて薄い布一枚の厚みの差でしかないのではないか。

簡単に言い換えれば、「私はこれをしたいのだ」という確信はことばとして成立しており、そうでなければ本人には認識されない。このように言語的に成立しているからには、表に出るか・出ないかという一点においてのみ、外的な表現と異なりうる。確信は確信として捉え返される限り、こうして「(内的な)表現」のひとつの形態にすぎない面がある、と言える。……

逆に言えば、表現と、そこから推測される範囲においてのみ、自分と相手の「確信」が問題になるのなら、持ちたい確信を・持っていると思い込ませたい確信を表現して推測させればよいではないか、それ以上の「実態」「内心」など、無意味でないとしても、大きな意味を持たないではないか、と思われるようになっていきました。

相手の確信の表現はさしあたってそのままとらえるほかなく、その限りで見えない「内心」を想定する必要もなく、よし相手の底意を探るにしても、表現から推測できる妥当な範囲に収めるべきではないか、とも思われてきたのです。

これと同様に、自分が確信しているか否かも、畢竟(ブラックボックスとしての「内心」などには依存しない)表現の問題でしかない、ということが浮き彫りになるようでした。

たとえば、何が食べたいのかと問われて、何を食べたいのかまったくわからなくなったとき。

たとえば、悪いことをして叱られて、何がどう悪いのかわからないのに「反省」を求められたとき。

たとえば、「素直じゃない」と笑われてもやもやとしたとき。

たとえば、告白されて付き合い始めた恋人から、本当に自分のことが好きなのか、と問い詰められてうろたえてしまったとき。

適切に振る舞えるかどうか、という点、つまり外的表現の水準にある確信のみが、私の内心に関する問いへの答えとして求められていたのではないか、と思われてきたのです。

つまり、理由はどうあれもう二度と同じことをしない、という外的表現を取れて、そう思い込ませることができるのであれば「反省した」と表現してよいし、反省していることになる。「素直」かどうかは私が決めることではないし、「素直じゃない」と言われたくないなら自分の「素直」な気持ちを表現する必要がある。あるいは、世間が求める「恋愛」の規範の外的要求を満たす目算さえあれば、「好き」だと言ってよい。それはそれで問題ではあるけれども。……

内心も、それが有意味なものとして観念される限りはやはり或る種の表現である、という考え方は、表現が他の表現に対して影響を及ぼしうるということを考慮する際には、次の帰結へと導くものでした。

つまり、「ならば言ったもん勝ちではないか」という帰結です。内的葛藤はあるにせよ、口に出されないものと出されるものとを問わず、複数の表現を争わせつづけるほかないではないか、口に出されない表現を特権視していても仕方ないではないか、という帰結です。

——研究が「役に立ち」つつありました。幼い頃からの漠然とした問いに、解答とは言わぬまでも、ひとつの方針が与えられた瞬間でした。「内心」とか「確信」といった、論文でばらばらにあつかうことのあったテーマが有機的に結び付いて、岩を穿った瞬間でした。否、研究だけではありません。複雑な小説の記述が、西洋古代・中世の哲学や聖書解釈が、教会法学のテクストが、アニメで見たキャラクタの屈託が、安っぽい恋愛群像劇が、刑法に関してつまみ食いした知識が、ローマ法と民事訴訟法の関係を論じた文章を見てひっかかっていた箇所が、「かのように」の哲学の柔軟性が、強固な説得力を持って結晶してゆくのが感じられました。

もちろん、依然答えも、何かを肯定的にやる気も、出てきません。意味作用の、確信のありかたを上から眺めるという作業は、私に確信を与えるものではありません。

しかし、確信なしでも生きてゆく可能性があるかもしれない。そう思われてきました。言い換えれば、意味と無意味の境界に、確信と懐疑の境界に立って、双方を見据えつづけることに対する、(超越論的と言いうる)確信が、朧気に立ち上がってきたということです

絶対的な美としてみずからの生命を抑圧する金閣を焼いたあとで、溝口が「生きようと私は思った」と語ったことになぞらえるのであれば、確信という忌々しい偶像に蹴りを入れた私も、表現を受け取り・発していくことにおいて、せめぎあう表現の力の波間でわずかに「生きよう」と思えてきた、というなりゆきです。

■無意味ヶ淵の番、ヤヌスの横顔(profile)

以上では、私やあなたを意気阻喪させる、周囲の人々のときに滑稽なまでにあけっぴろげな確信の表現や、果断に富む態度が、言語的フィクションに過ぎない可能性を、つまり彼らの明るい笑顔が仮面である可能性を、強いて暴こうとしました。別にこれは、明るく前向きに、何かを目指して生きている人が嘘つきである、ということではありません。嘘がフィクションならば現実もフィクションであり、常識的には質的な差異を見出すべきであっても、両者は極端に言えば等価です。

内的な確信も、外的な発言も、いずれも言語的表現の水準に留まる限りにおいてはフィクションである、という、或る種過激な俯瞰の作業を行ったということです。これは、言葉になっていないものに対する信頼を相対化する態度の反映です。強いて逆に言えば、
表現に対して誠実であれという、テクスト読解のための——つまり人間が他の人間や世界と関わるための——最低限度の、しかしなかなか満足させられることのない命令を、全生活へと適用する態度の反映です。

あなた自身も同じような外的フィクションを立てられるだろう、と今では思っている。これを、口に出さないフィクションと戦わせられるだろう、と思っている。何よりも私が願うのはその可能性です。つまり、読者がドライに、都合のよいフィクションを書いてゆけるようになってほしい、そうして願わくは、外的/内的フィクションを用いて自分の生活を導いてほしい、ということです。これは私が示す、心からの友愛の表現です。

自分のためのフィクションをたてる技術は、救いようのないほど浅薄な自己啓発書や、哲学や文学の古典を安易に人生に活かそうとする安っぽい書物よりも、ずっと役に立つ技術です。身につけるのは容易ではないはずですが、身につければ相応の効力を発揮する武器です。そのための技術を、実践例とともに示してゆきたいのです。

信じていただけるかどうかは別にして、「役に立つ」ことを書くなどということは、私が蛇蝎のごとく嫌ってきた、下賤な、失笑の対象となる作業です。自分ではやるまい、と思ってきたことです。哲学者の名前を使って出版される皮相的で間違いだらけの自己啓発書も、当該分野の学位さえ持たない非専門家が書いた啓蒙書や入門書をありがたがる空気にも、乗れないところがある。人間の怠惰に擦り寄った無意味な情報を増やすのはよくない、という気持ちすらあります。

それでも私が「役に立つ」ことをやろうと思い至ったのは、

否定的に言えば、人生(をデザインすること)の専門家というものはいないからです。ある思想家の専門家、哲学的問題の専門家、企業経営の専門家はいるし、そうした分野に関する記述を素人が行うのは傲慢であまりにも滑稽で、無駄な情報を増やす(そうして検索効率を落とし、また多くの人を誤りへと誘う)という意味で犯罪的でさえあるから、やりたくありません。

けれども、人生という分野は誰しもプロフェッショナルになりえない、(多くの方にご賛同いただけるかとは思われるけれども)一度しか体験できない分野であって、語ろうと思うなら、どこまで行っても人生の初学者・人生のアマチュアが安っぽい言説を振りかざしつづけるしかない。

誰もアマチュアだと思われたくないから、人生について高らかに語るのは避けがちだし、そうする人を影で指差して笑いがちですが、人生に関する、ときに有用で実践的な語りはどこかで求められている。何より私が求めているからには、日本語を読める人口のうちの1万分の1くらいは、求めていると思われる。恥をおしてやる価値はあると思われるし、世界と誠実につながる方策としてはそこまで誤っているようにも思われない。

積極的な理由も、もちろんあります。

まず、私と同じ経路をたどっているかはともかく、何もやりたいことがないとか、誠実に自分の心理を見つめているとか、そうした状況にあって苦しんでいる人の助けになるならば、それはとても喜ばしいことだからです。

また、前向きにガンガン頑張れている人がさらに頑張れるような、あるいは自分の足元を見つめなおして、より確実に歩んでいけるような観点を切り出してこれるなら、それもまた嬉しいことだからです。

そして、論文以外のものを書かねば学会や大学の外の世界と触れられず、よくていち大学教員として生命を終えることになるからです。「そんなのはいやだ」という思いがあるわけです。

要するに、何をするにしても、どこかしらでは魂を売る必要があり、売りどころを選んだというなりゆきです。

フランス語・ラテン語お役立ち情報とか、フランス生活だよりとか、大学院裏事情とかを書くことは、たやすくできたかもしれない。しかし私はそれをよしとしない。

誰かの役に立つかもしれないけれども、私にとっては暇潰しのネタ・生ぬるい小話にすぎない。そんなしょうもない語りを私は(絶対に)したくない。だからこそ、人生の無意味を前提したうえで人生に仮の意味を付与する、あるいは意味を前提してさらに進んでゆく、あるいは無意味と意味をどちらも見据える、というギリギリの方針を根底に据えて、最大限誠実なかたちで、世界に、それゆえ人間と人間が書いたものに関わらなくてはならない。そう思われるのです。

誰もわかってくれないのが当然であるとして、自分にも自分のことなどわからないのが当然であるとして、何かしらをわからせるためにこそ表現をする。つまりフィクションを立てる。この作業を自分で繰り返しながら、読んでいる方にも都合の良いフィクションをどんどん立てていただきたい。そういうことです。


人生を良くするとか、役に立つとかいうことは、それ自体観念として曖昧ですが、要するに一点に集約されます。よく言われますが、あなたがどう世界をとらえているか、ということです。金があろうとなかろうと、尊敬されようと軽蔑されようと、生きようと死のうと、あなたがどう思うかが大事ですね、ということです。

思想家によっては、神への服従とか、愛の実践とか、道徳律とか、そうした或る種客観的な指標は持ち込める。しかし、とりわけ神のいない時代にあっては、客観的なものを想定するにしても、あなたがそれに主観的に賛同しているか、ということのほうがよほど大切だということです。であれば、納得すること、確信することが必要になる。否、最も重要なのが、納得や確信をでっちあげる、フィクション=表現として立ち上げることである、と言える。

人生に意味がないというある種の確信は、きっと正しい。誰から見ても意味のある人生などない。あなたの人生には意味はないかもしれない。というよりなににも意味がない。絶対的な意味など、人の手では与えようがない。しかし、本来は無意味の意味を問うこと・意味作用が立ち上がりうる瞬間を問うことにしか意味を持たせられない、という現存在であるところのあなたがたが、意味を付与するというかたちで魂を売って良い・売りたいと思えるなら、是非そうしてほしい。

「目標も夢もない」と年少の人びとから言われたときに、何かを悟ったような、年上ぶった予見に満ちた眼差しで「人生そんなもんだよ」などと言ってニヤリとして、酒やタバコやギャンブルで憂さを晴らすような、見下げ果てた大人にはなりたくなかった。かといって、目標を立てろと恫喝したり、騙して目標を設定させるような、単純で卑怯な大人にはなりたくもなかった。

ほのやかに思っていたのは寧ろ、「そうだよね、目標なんてないよね」と言って、殆ど無言で寄り添える人になりたい、ということだったように思われます。それはきっと、もっと若いときの私が求めていた大人です。とはいえ、同じく寄り添うのであれば、まともな反省能力を持った人間には「人生の目標」なんてものを立てることはできないという現状を、世界に意味なんてものはないというこのうえなく確実な真理をはっきり見定めたうえで、それでもフィクションを作るという、さしあたって分裂した生を生きるというオルタナティヴをも、もっと饒舌に与えられる人になってもよい。

何よりフィクションを立てて魂を売るための方策は本当に多いし、ヒントだけはきっと私にも示すことができる。皆さんには、意味の大地へと走り出て、ただひとつの意味の顔を持って、美しい草原で晴れやかに踊っていてほしい。分裂することからはじめてもよいけれど、いずれひとつになってほしい。そうした単純な生き方のほうが明らかに幸せだからです。

私は無意味ヶ淵を覗きつつ、意味の大地で遊ぶ人々をもきちんと見ていたい。淵のへりに、淵と大地の境界に立って、ふたつの顔で見ていたい。見る快楽というものを味わう。監視カメラの快楽、あるいは他人のアルバムを眺める快楽です。自分はそこにいなくてもいい。

とはいえ両方離れて見ているからには、落ちないようにする方策も、淵から離れて、加速度をつけて走っていく方策も、きっと示すことができる。

一方で、既に自分の人生に意味を見出している人とか、見出しつつある人は、こちらから見ていて楽しい。きっと私は、或る種奇妙な知恵を与えられる。知恵というのも傲慢なところはあるかもしれないし、あくまでも非-専門家として書くわけだから(それにしても、人生の専門家などありえないということは、先に書いた通りです)、絶対に私の言うことがいつでも役に立つ、とは言えないかもしれない。けれど、無意味を覗くことの危険はわかっていて、無意味が火を吹く場所も知らないわけではないから、そこから遠ざかるための方向性を与えて、走っていくための有益な何かを示唆できるかもしれない。

他方で、私は人が無意味へと落ちていくのを見たくはない。落ちるのは或る種の誠実かもしれないけれど、身勝手にも、私は見たくないと思っている。無意味に僅かに触れ、しかし意味にしがみつづけている中途半端な私は、人が無闇に無意味に落ちて沈んでゆくのを見ていたくない。

極めて簡単に言えば、元気であってほしいし、閉じこもってほしくないし、ごく具体的な表れとして言うのなら、自殺してほしくないのです。知り合いは何人も自殺してきました。それこそが誠実な解だという可能性はなくもないけれど、無意味へとたしかに向き合う誠実さを持っていて、しかも他の人を敬意を以って遇することを知っている人であれば、どうあっても生きてほしい。恥をおして、中途半端にも生き続けている私と話すために、生きてほしい(これは、きっと必ず。話したければ、コメント欄か、Twitterでご連絡ください。極端に忙しくならない限り、また誠実な態度をとっていただける限り、確実に応答します。https://twitter.com/yomu_ikiru)。

私が何を言っても無駄かもしれない、という思いは常にあります。死ぬ人は死ぬし、生きながらえる人は生きながらえるでしょう。けれど少なくとも、「踏み切って死ぬことができないからにはわずかでも良い人生にしたい」という気持ちがあるのなら、友として生きてほしいし、生きる意味を探せるように、何か間接的に手をお貸しすることができれば良い、と願っています。

私の力の及ぶ範囲で、無意味ヶ淵の周りに、危険を知らせる標識をいくつも立てて、有刺鉄線を張り巡らせて、あるいは本当に微力かもしれないけれど、番として立って追い返したい。そうした気持ちで書くのです。

(もちろん、一緒に番をしたいなら、それはそれで歓迎しますが、「すべての希望を捨てよ!」と言うことになるでしょう。)


私はこんな横顔(profile)を晒さずにいることもできました。皇帝の新しき衣が、世界に顕示される「確信」や「意味」が、輪郭すら持たずにいっさい透明であることを指弾せずに終えることもできました。プロフィールであるからには、私自身の心境の変化に応じて、いずれ隠すのかもしれません。ここに示された肖像(profile)は、少しずつレタッチされてゆくのかもしれません。それでも、今は皇帝が裸であると言っているのです。ここまで読んだ人がひとりもいないとしても、です。

最初から前向きな、ニコニコとやる気に満ちて歩んできた人物像を描くほうが、いくらか商業的には有利でしょう。しかし私は、さしあたってそうしなかった。もしよかったら、こうしたフィクションの立て方についても、数秒でも思いを致してほしい。

本来は見えないヤヌスの横顔は、同じく境界に立つ他のヤヌスでなくては、本当は見ることができない。大地に遊ぶべき人々に見せるべき側面ではないかもしれない。それでも、そうした横顔(profile)を、さしあたってお見せする試みでした。