たとえリアクションがなくても、誰かに届くと信じて書いてる
コメントをもらったり、スキがついたりしたら嬉しい。
その数が多ければ多いほど、比例して嬉しさも増していく。
どうして嬉しいのだろう、自分の書いた文章が確実に誰かに届いたと分かるからだろうか。
けれど、実際は、読んでも何もリアクションしない人がほとんどだと思っている。自分の知らないどこかで、自分の書く文章が消費され、自分も知らない何かを感じているのだろう。
時には不快にさせてしまうこともあるだろうし、ほんの少し背中に温もりを感じてもらえる時もあるだろう。ただ、ほとんどの場合それは分からない。
自分自身に置き換えてみると、確かに、Web上のコンテンツに対してリアクションはほとんどしない。
YouTubeのコメントや評価、Twitterのリプライやいいね、noteのコメント、どれもほとんどしない。
それらをしないからと言って、何も心を動かされていないわけではない。
動画や文章、様々なコンテンツのおかげで毎日笑顔になれている気がするし、時には背中を押してもらえることもある。印象に残った言葉や考え方を、忘れないように残しておくことさえある。
きっと、こんな人が大半なのではないだろうか。
心の動きや感情の揺さぶりのアウトプットが、必ずしもコメントやいいねといったリアクションだけとは限らない。
自分の中でゆっくり消化したり留めておくことも、一つの表現だ。
一人でも共感を示してくれたり何かしらリアクションをくれる人がいるということは、決してそれが“一人だけではない”ことを意味している。
最近、自分の文章に対するリアクションが弱くなっていることの言い訳やこじつけみたいなものだけど、きっと、明日も明後日も誰か一人に届くと信じて文章を書いているのだと思う。
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