記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「ゼーガペイン」世界崩壊、人類滅亡後の青春アニメ

今回は、「ゼーガペイン」について書いてみたい。
これのもともとの本編は2006年制作のサンライズ系TVアニメなんだが、何と今月には劇場版新作が公開されるという。
つまりこれは、サンライズの非ガンダム系の中でも「コードギアス」同様、名作に分類されてる作品ということだね。

「ゼーガペイン」〔2006年)

この作品の画期的な部分は、かなり意欲的に量子力学要素を取り込んだことだろう。
00年代という時代の空気を如実に顕したアニメである。

①「エヴァ」以降、セカイ系がブームに

②99年~03年、映画「マトリックス」シリーズ公開

③03年「ダイバージェンスイヴ」、05年「ノエインもうひとりの君へ」など量子力学系SFアニメの潮流

こうした時代の潮流を受けて、サンライズは

・セカイ系
・サイバーパンク
・量子論
・サンライズお得意のロボット

という、実に貪欲な「ゼーガペイン」という野心作を作ったわけだな。
今思うと難解なアニメだと思うが、この時代はむしろそういうのを歓迎すらする空気みたいなものが確実にあったのよ。

演技のヘタクソが逆に味となっていた、「ゼーガペイン」ヒロイン・カミナギ(cv花澤香菜)

あと、この作品は人気声優・花澤香菜のキャリア初ヒロインの作品としても有名である。
今改めて見るとこの頃の花澤さんって、決してうまくはないんだけど、妙に声がぽよぽよしてて可愛いんですよ。
そう、この人は本来、うまさとかでなく「声質の魅力」で売れた人なんだと思い出したわ。
ところが近年の彼女は、明らかにその声質の魅力を意図的に消しにかかってきてるよね?
一時期は「ヒロイン声の象徴」ともされた彼女が、最近は敢えてキモい声、低俗な声を積極的に使うようになり、芸域を広げてきている。
お陰で「らしくない」役柄が目につくようになったものの、これは十年先、二十年先、三十年先を見越せば正しい判断なのかもしれない。
個人的には「ゼーガペイン」の時のぽよぽよした高めの声よりも、後に多く使うようになったミドルやや低めの声の方が好き。

穏やかな日常のセカイ、妙に人が少ないという違和感・・
謎の敵と闘う、ゲームのようなポストアポカリプス系のセカイ

さて、そろそろ物語の核心部分に入ろう。
この物語の主人公・キョウは序盤、ふたつのセカイをいったりきたりの往復をしている。
それが上の画であり、彼は当初穏やかな日常のセカイを「現実」、敵と闘うセカイを「虚構」のバーチャルゲームと認識してたんだが、その認識が実は間違いだということに気付くまでの過程をかなり尺をとって描くんだよね。
今まで自分が「現実」だと思ってたセカイこそが「虚構」、本当は地球上の人類は既に滅亡してるわけよ。
で、今の我々はコンピュータに保存された人格記憶データにすぎない、と。

うむ、この「人格記憶データ」ってあたりから、「もうついていけない」とサジを投げる人が一定数いると思う。
確かに、ワケ分からんよね。
肉体はとっくの昔に死んでるのに、魂がコンピュータに保存されたってことなの?
まぁ、ざくっといえば、そういうイメージだろう。
割と皆さんは

コンピュータの構造=プログラムの領域
人間の構造=神の領域

と捉えてるだろうけど、実は人間だって構造は分子(量子)の組み合わせで成立してるものであり、ちゃんとプログラムの領域のものなんですよ。
ただ今の科学力ではそのプログラム解明に至れていないだけで、分からないことを人類が「神の領域」として思考停止し、逃げてるだけのことさ。
魂、ゴーストというものもまたそうであり、それを分からないから「科学で説明のつかない何か」ということにしてるんだけど、じゃ、人間の「意識」とは何かって、その本質は大脳の活動が発生させるインパルス(電気信号)であり、そういう信号である以上は完全にプログラムの領域に抵触する話なんだわ。
つまり、「ゼーガペイン」の話は意外と絵空事でもないんだよね。

「ゼーガペイン」に出てきたプログラミング言語、これが「人格記憶データ」であるっぽい

まぁ、ようするに

人間の組成をまるごとプログラミング言語化をできりゃ、コンピュータ内のプログラムとして生きていけんじゃないの?


ということである。
何をバカな・・と思う人も多いだろうけど、賢い人たちはマジでそれを主張してるのよ。
というか、量子物理学者の世界的権威の一部は

そもそも我々人間は実体じゃなくアバターだし、我々が現実と認識してる世界そのものが、人為的なプログラムですよ


と断言しちゃってるわけで・・。

いやいや、だからといって、別にアバターっぽい動き(しかも旧マリオ)を今さらしなくてもいいよ。
仮に我々がアバター、プログラムだったとしても、だからって何かが今までと変わることは特に何もないんだから。

「はっ!明日から毒キノコに注意しなきゃ!」


とかムダに考えなくてもいいんです。

まぁ、こういうのはキリスト教的世界観に近いよね。
プログラマーとしての「創造主」がいて、そのプログラマー側とコンタクトをとることに成功した歴史上の「預言者たち」がいて、そのプログラムにはプロットがあるとする「予定説」があり、いずれプログラムは完結して電源落とされるという「終末論」があるわけよ。
ツジツマは、一応合ってるわな。

こういう話をすると、必ずこういうことを言う人が出てくる。

「ここは虚構のセカイなんかじゃない!
だって、ほら、ちゃんと触れるじゃないか?
ここに、ちゃんと現実があるじゃないか!」


そう言って、オネーチャンのオッパイ触るオッサンをキャバクラで何人見てきたことか・・。

しかしオッサン、よく考えてみてくれ。
あんたはオッパイ触ったと思ってるだろうが、それは「触った」という手の触覚の信号を脳が受信処理しただけのことであり、その信号はちゃんと現実に準拠してるものだと言い切れるのか?
それ自体、単なる信号にすぎないバーチャルだということはないのか?

というか、そもそもオッパイって、実在するモノなの?


そこをまず疑うべきだと思う。
私はそこを疑ってるから、たとえオッパブに行っても警戒心を解きません。
別に、オッパイそのものに興味ないし。
あくまで量子論の検証としてオッパブに来ただけですから、そこはくれぐれも誤解のないように。
そして、私は検証の為に渋々オッパイを触り、こう思うんです。

「オッパイ触る、ゆえにオッパイあり」


量子論は、奥深いですね。
あともう何回か店に通えば、ようやく私も何かが掴めそうな気がします。

ちょっと脱線してしまったので、話題を「ゼーガペイン」に戻そう。
この作品、実は「マクロス」っぽく、三角関係のラブロマンスでもあるんだよね。
主人公キョウは、次のふたりの女性の間で揺れる。

ヒロインA:カミナギ(cv花澤香菜)
ヒロインB:シズノ(cv川澄綾子)

花澤香菜or川澄綾子、なんと贅沢な選択肢・・。
ここで重要なポイントは

ヒロインA:人間の人格記憶をデータ化したアバター
ヒロインB:AIを人格化したアバター

どっちも同じアバターなんだが、出自が全く異なり、少なくともBは人間ではない。
これ、凄いなと思って。
だってさ、ようするにこれ、

人間(女)⇔主人公(男)⇔AI(女)


という三角関係なんでしょ?
つまり、人類をデータ化して仮想現実世界内で生活させちゃったら、もはやそこは人間アバターもAIアバターもオンナノコとして大差ないのよ。
たまに
3次元のオンナノコには興味ない。2次元のオンナノコこそ至高!
という男性が奇異な目で見られてるけど、もし「ゼーガペイン」的セカイが未来に実現しようもんなら、そこは2次元と3次元の壁が取っ払われるということだよね?
遂に、そういう時代が来るのか?

いけるやん?
ピーチ姫、いけるやん?


じゃ最後に、「ゼーガペイン」のOP曲をひとつ、お聴きください↓↓
というのも私、これ大好きなんですよ。
カミナギの謎ステップが妙に可愛いからな~。

花澤さん、今年の新作「ゼーガペイン」、このカミナギのぽよぽよした感じを35歳の今になって再現とか、正直大丈夫なんでしょうか・・?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?