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「オネアミスの翼」押井守は、これをナウシカと同格に並べて絶賛

今回は、「王立宇宙軍/オネアミスの翼」について書いてみたい。
これは言わずと知れた、ガイナックスの処女作である。
というか、ガイナックスという会社自体がこの作品を作る為に設立されたという経緯で、本来、映画が完成した後は解散する予定だったらしい。
ところが興行的に映画は大コケし、多額の借金を抱えたことで解散するわけにいかなくなり、借金返済の為に「トップをねらえ!」等のOVA制作に移行していくこととなる。
まぁ、そういう意味で日本アニメ界のひとつのターニングポイントになったともいえる一作だね。

「王立宇宙軍/オネアミスの翼」(1987年)

興行的にコケたとはいえ、業界的にはめっちゃ評価された作品である。
何が評価されたかって、それは冒頭10分見ただけでも一目瞭然、画が80年代のレベルを完全に凌駕してるよ。
そのクオリティは、はっきり言ってジブリと同等か、もしくはそれ以上

まず、一番不思議なのはガイナックスという新興の会社がいきなりこの映画を作れてしまったという背景である。
当時の彼らは、いわゆる「セミプロ」、同人サークル「DAICONフィルム」出身の新鋭クリエイター集団に過ぎなかったんだよ。
まずDAICONをよくご存じない人は、こちらをどうぞ↓↓

聞けば、この「王立宇宙軍」はバンダイがスポンサーだったらしい。
実は当時、バンダイは社長の代替わりがあったようで、創業者の息子として山科誠さん(その頃まだ30代)という人が新社長になったばかり。
いわゆる、ボンボンの二代目ですな。
しかしこの山科さん、なかなかのワンマン社長っぷりを発揮したらしくて、その一環が「王立宇宙軍」への出資だったんだろうね。
ボンボンで怖いもの知らずのワンマン社長でもない限り、ガイナックスとかワケ分からん会社が作る映画にいきなり数億ものおカネを出さないって。
そういう意味じゃ、ガイナックスってホント運が良かったのかもしれん。

お陰で数億という潤沢な制作予算を得ることになったんだが、そのおカネの使い道として、まず音楽を坂本龍一に依頼したというのが凄いじゃないか。
この「王立宇宙軍」が公開されて間もなく、彼は米アカデミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞など様々な賞を得ることになったわけで。
あ、受賞は「王立宇宙軍」じゃなく、同年公開された「ラストエンペラー」の方なんだけどね。
そっちのインパクトに隠れて「王立宇宙軍」は教授の仕事として目立たない扱いになってるものの、でも彼がアニメ音楽を手掛けることってレアだし、非常に価値あるものだったと思う。

私、この映画のオープニング部分が大好きなのよ。
主役の森本レオさん独特のモノローグから静かに始まり、そこから坂本龍一っぽさMAXのOP曲に入っていく流れが実に秀逸。
もう、このOPだけで「この映画、普通のアニメじゃないな」と理解をできる仕組みになっている。
まず、曲を聴いてもらおうか。
有名な、クライマックスのロケット打ち上げシーンも入ってます↓↓

いや~、やっぱいいなぁ!
ロケット打ち上げシーン、やっぱイイ!
このクライマックスシーンを描いたのは、庵野秀明である。
こういう言い方はあれだけどね、当時のガイナックスにとって最大の武器は何だったかというと、それは庵野さんの画力だったと思うのよ。
事実、バンダイがスポンサーについたのも庵野さんのジブリでの仕事が一番の決め手になったみたいだし。
じゃ、その「最大の武器」をどう使うかがこの映画のキモだったわけで、逆にいえば「ロケット打ち上げシーン」を庵野さんが描くことがまずありき、そこから逆算して全体観が作られていったんだと思う。
爆発、混沌、そういうものを描かせたら庵野さんは狂気を発動し、当時から業界でもピカイチのレベルだったようだ。
なんせ、宮崎駿の弟子板野一郎の弟子だからね。

「王立宇宙軍」の礼服は、こんな独特のデザインだった

あとは、この作品で重要なのは「世界観」。
これはロケットや飛行機やバイクが出てくるものの、一応「異世界もの」である。
この作品世界の設定については、監督の山賀博之が独自の作家性を発揮したというわけじゃなく、ガイナックスのみんなで詰めていったものらしい。
それも尋常じゃないところまでこだわり抜き、設定を煮詰めたものっぽい。
たとえば、私が面白いなと思ったのが、この世界の宗教だね。
この世界にも我々でいうところの聖書創世記っぽいものがあるようで、そこで語られてるのは
人類の始祖が神から火を盗み、それによって呪いを受けた
という、我々の世界と酷似した「原罪」の認識がなされてるのよ。
我々の世界では「知恵の実を食べた」という「原罪」だが、構造はほぼ同じだろう。
「王立宇宙軍」の世界でも我々の世界でも、神は文明を否定してるんだ。

ヒロインのリイクニ(キャラデザ・貞本義行)

で、この作品のヒロイン・リイクニは宗教に傾倒してて、それも原理主義的なやつだね。
だから、文明の進歩を否定する派だ。
彼女の暮らしは電気を止められるほどの極貧なんだが、それを別に構わないとして受け入れてしまっている。
借金取り立て人に家を破壊され住むところがなくなっても、それを受け入れている。
全てを「原罪」の呪いとして受け入れるべき、というのが宗教的には正しいスタンスなんだろう。

そんなある日、主人公・シロツグは欲情して、リイクニを押し倒して強引に関係をもとうとする。

この生々しいレイプ未遂シーン、および全裸シーン、原画を担当したのは漫画家・江川達也らしい

これにリイクニは激しく抵抗し、あげく鈍器でシロツグを殴って気絶させ、ことなきを得たんだけど。
一見、何の非もない正当防衛なんだが、しかし翌日、リイクニはシロツグに謝罪するんだ。
殴ってごめんなさい、と。
予想外に謝られたことで、シロツグは驚愕する。
そうなんだよね。
「原罪」思想のあるリイクニとして

本来なら、レイプしようするシロツグに対して抵抗せず、黙って犯されるのが宗教的に正しいスタンスだったんだ。


それを抵抗するから世界には戦争が起きる、黙って蹂躙を受け入れれば世界は平和なはずなのに・・という、実に宗教原理主義者らしい考え方だね。
彼女のその徹底したスタンスに触れて、シロツグは初めて自身の中途半端なスタンス、テキトーなスタンスを自覚するのよ。
じゃ、俺は今後どうしたらいいんだろう、と。
文明の象徴「ロケット」に乗ろうとしてる現在の自分を肯定すべきなのか、あるいはそれを否定して、文明を否定するリイクニの生き方に寄り添うべきなのか。
かなり、極端な二者択一である・・。
で、それに対する回答が、ラストのロケット打ち上げシーンだね。

ロケット発射直前のシロツグ

この「人類初の有人ロケット打ち上げ」を阻止せんと、隣国軍が基地に侵攻してくる。
さぁ、発射すべきか否かというのがひとつのヤマ場なわけで、これに対して主人公は強引に発射へ動くんだ。
ああ、これは「文明」の肯定、すなわちリイクニとの別離の決意じゃないか。
実際、山賀監督も
シロツグとリイクニは、今後もう会うことはない
と発言したとやら。

この別れのシーン、微妙な空気感だったよね

ただ、先日久しぶりに「王立宇宙軍」を見て、ちょっと私の解釈も変わってきたんだよ。

別に、ふたりが別れる必要なくね?と。


だってさ、シロツグは隣国軍の侵攻に対して闘ったわけじゃなくて、宇宙に飛び立つことで戦闘を避けられたんだよ。
リイクニのやり方と方法論は違えど、少なくとも彼女が嫌っている「戦争」には加担してない。
ただ、彼は宇宙に向けて翔んだんだ。
これは、今まで戦争にしか活かされなかった「文明」の、新たなる可能性である。
そしてリイクニの方も「文明」を否定しつつ、「星の世界」は否定しない子だった。
最後、シロツグはロケットの中で祈りを捧げ、一方リイクニは地上から夜空を見上げるシーンで締めくくられる。

雪が降り、夜空を見上げるリイクニ
空から、祈りを捧げるシロツグ

宗教とSFの親和性について、もうこの頃からガイナックスは気付いてたんだね。
何となくだが、リイクニのメンドくさくて融通きかない性格は、「ふしぎの海のナディア」における、絶対に肉を食わないヒロインを彷彿とさせるものがある。

ナディア

まぁ、色々な意味で、「王立宇宙軍」はガイナックス系の原点なんだろう。

・かっこよくない主人公
・あんまりかわいくないヒロイン
・盛り上がらないストーリー
・ロボットも怪獣も出てこない

こんな条件で、ちゃんと「名作」とされてることが凄いよなぁ・・。
このエンタメ性の薄さ、ちょっと押井守作品を彷彿とさせるものがある。
じゃ、その押井さんがこの作品をどう評価してるのかと思ったら、案の定、絶賛してましたわ(笑)。
本格的異世界ファンタジーとして、「風の谷のナウシカ」と同格に並べてたほど。
そんなわけで、これはアニメファンなら絶対に必見の一作である。


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