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「DAICONⅣ」日本のオタク文化は、全てここから始まっている

今回は、日本サブカル史について少し書いてみたいと思う。
まず、「オタク」というのは発祥がいつからなのかという問題だが、これがよく分からない。
おそらく、書籍等を収集する類いのオタクはかなり歴史が古く、ヘタすりゃチョンマゲの時代まで遡るんじゃないだろうか。
しかし、そこまで話を広げるのもさすがにあれなので、もっと単純に漫画・アニメ・ゲームといった分かりやすいサブカルに限定させてください。
そういう意味でのオタクなら、おそらくは80年代が発祥ということになるはず。
なぜって、家庭用ビデオデッキが一般的に普及したのがその頃からだから。
ビデオが普及したことにより、
映像コンテンツを繰り返し何度も見る⇒細かいところまで研究する
という人種が急激に増殖したわけね。

・・じゃ、その黎明期のオタクの実態を最も分かりやすく把握できる資料として、まずはひとつ、「DAICONⅣ」という映像を見てもらいたいと思う。
「DAICONⅣ」とは、83年の日本SF大会(大阪開催)のオープニングで上映された自主制作の8mmアニメである。
これを作ったのは、大阪の同人サークル「DAICON FILM」。
このサークルが後に東京へ拠点を移し、やがてはガイナックスというアニメ制作会社となる。
当時、この8mm制作に携わったメンバーは
・庵野秀明
・岡田斗司夫
・山賀博之
・貞本義行
・前田真宏etc

といったところだろうか。
じゃ、早速その内容をご覧ください。

あ~、なるほどな~、と思うでしょ。
やはり作ったのがオタク集団ゆえ、思いっきりマニアックなんですよ。
バニーガールが闘うという設定からしてあれだし、彼女の身体の動かし方、あとミサイルの軌道、どう見ても金田伊功板野一郎なかむらたかしなどのオマージュだよね。
いや、もちろん、この83年時点で金田さんや板野さんやなかむらさんのことなんて世間一般の人たちが知ってるわけもないんだ。
分かってるのは、おそらく彼らオタクだけ。
「でも、この爆発、いい感じでしょ~?」
と言わんばかりの映像である。
ただ、結果的にこの「DAICONⅣ」は大きな話題となり、彼らの存在が業界で注目されることとなった。
実質、これがガイナックスに繋がる起爆剤だったといっていいだろう。
東映、東京ムービーといった老舗周辺とは全く別の場所から湧いてきた、ニューウェーブの登場である。
しかもインディーズだし、いうなればアニメ界のブルーハーツみたいな感じだったのかもしれん。

当時の庵野秀明(23歳)
後にフィギュア化されたDAICONキャラクター

当時、こういう大阪の同人サークルがそのまま会社になってしまうとかは、まだ常識的にほとんど無かったと思う。
だけどそれが実現してしまったほどに、何か熱いものが当時の彼らにあったということだろう。
なんせ、オタク黎明期である。
まだオタクコンテンツの市場も、今のように既得権益が確定する前段階の話で、いうなれば幕末の動乱期のようなものをイメージすればいいのかもしれない。
東京には東映、東京ムービーなど子供向けアニメを制作する会社ががっつり存在してたものの、それはいわば幕府のようなお堅い権威である。
それに対し大阪の同人サークルなど、幕府の目の届かないところで大言壮語を吐いてた薩長の志士みたいなもんさ。
烏合の衆ともいえるが、しかし腐っても「志士」だからね。
彼らなりに熱いものがあったんだろうし、それは「DAICONⅣ」を見てるとよく分かるわ。
彼らは、子供向けじゃない、自分たちの同世代が楽しめるアニメを志向したんだ。

ということで今回は、この時代の空気を知るのにウッテツケのOVAをひとつご紹介しようと思う。
おたくのビデオ1982&1985」である。

「おたくのビデオ1982&1985」(1991年)

制作はガイナックス。
企画・脚本をDAICONの中心メンバーにして、ガイナックス初代社長だった岡田斗司夫
ある意味でDACON⇒ガイナックスという流れをなぞったといえる、フェイクドキュメンタリーっぽい内容(フィクションだが)である。
オタク黎明期版「SHIROBAKO」といったテイストだろうか。
YouTube等で検索すれば普通に無料動画が見つかると思うので、ぜひそちらをご覧ください。

これ見て、私が真っ先に思い浮かんだのは映画「ソーシャルネットワーク」や「バトルオブシリコンバレー」だな。

「おたくのビデオ」
「ソーシャルネットワーク」(2010年)
「バトルオブシリコンバレー」(1999年)

前者がFacebookを作ったザッカーバーグの伝記映画で、後者がジョブズvsビルゲイツを描いた伝記映画だね。
ITベンチャー黎明期の、それこそパソコンオタクがガレージで裸一貫から起業する系のやつなんだが、内容は「おたくのビデオ」とほぼ同じである。
アイデアひとつでとんとん拍子に出世⇒裏切りに遭い没落⇒また再起する、という全く同一の流れ。
混沌の黎明期ってやつは、どの業界であろうと似たような流れになるもんだなぁ・・。
ただ「おたくのビデオ」の中で興味深い設定は、主人公の久保が大学1回生の時点でテニスサークル所属の非オタク男子である点だ。
それが元高校同級生のオタク田中に出会ったことにより、そこからどんどんオタク世界に引きずりこまれていくという展開に。
まずは田中が主宰する同人サークルに勧誘されるんだけど、その時の会話が面白い。

田中「あぁ、(高校の)文化祭の時はよかったなぁ」
久保「そうだな、あの時が一番よかったな」
田中「お前もそう思う?」
久保「あぁ、あの頃に戻りたいな・・」
田中「OK、これからお前をいいところに連れてってやろう」
久保「どこへ?」
田中「毎日が文化祭をやってるようなところだ」

といって連れてこられたのがとあるマンションに一室で、そこではサークルメンバーたちが集まって制作活動をしてたりするわけよ。

その一室には垂涎のコレクションがあったりして・・
趣味をひからかすサークルの面々
当然、コスプレイヤーもいる

なるほどなぁ、と思ったよ。
毎日が文化祭をやってるようなところ」、確かに間違ってない。
同人サークルの活動って、ほぼ文化祭準備と同じだもんね。
彼らは楽しいからやってるんであって、この時点でカネ儲けは二の次である。
ところが、いざこれがビジネスになると利権に目をつけたオトナ(銀行等)が入ってきて、これまで苦楽を共にしてきた仲間が買収されて裏切られたりとか・・。
この作品が制作されたのが91年だとして、この翌年にガイナックスは中核メンバーが大量離脱して新会社GONZOを立ち上げ、一方で社長岡田斗司夫が辞任という事態になる。
あとを継いだ2代目社長は99年に脱税で逮捕。
頼みの綱だった庵野秀明は07年に「エヴァ」の版権と共に離脱し、新会社カラーを立ち上げる。
また、やがて「天元突破グレンラガン」というヒットを飛ばすも、その時の制作メンバーたちがごっそりと抜けて、新会社TRIGGERを設立。
という感じの内紛続きで、まさしく「おたくのビデオ」は予言の書になってしまったわけね(笑)。
いまやガイナックスは、残りカスになっての休眠状態・・。

「げんしけん」

上の画は、大学のアニメ研究サークルの内実を描いた名作「げんしけん」である。
DAICONもまた大阪芸術大学SF研究会のサークルメンバーが中核になってるわけで、まぁ「げんしけん」とよく似たノリだったんだと思う。
そしてサークルのノリでそのまま会社化しちゃうと、ガイナックスのように目も当てられない状況に陥っちゃうわけさ。
当時の大阪芸大の漫研にはあの士郎正宗もいたんだし、よく考えたら、この時代の大阪同人界隈って凄いなぁ・・。
なんせ、「エヴァ」と「攻殻」が大学の同期なんだから。
それこそ東京50年代の「トキワ荘」と同じで、才能というものは同時代の一か所に集約されるものなのだろうか?
少なくとも80年代では、それが大阪だったわけね。
付け加えると、あのCLAMPも80年代大阪同人誌即売会を拠点にしていた。
多分、そこで
ホモが嫌いな女子はいません!
とか言ってたんだと思う。

・エヴァンゲリオン(95年)⇒セカイ系

・GHOST IN THE SHELL(95年)⇒電脳

・カードキャプターさくら(98年)⇒萌え

90年代に一世を風靡したオタク文化の流れは、全てが大阪の同人界隈発祥といっていい。
付け加えると、大阪時代の庵野さんと交流があったのが「少女革命ウテナ」の幾原邦彦(彼も大阪出身)で、彼はアート志向(非オタク)だったらしく同人サークル系ではなかったみたいなんだが、それにしてもこの時代の大阪は熱いな!
そういう系譜を、我々もサブカルを享受してる立場だし、きっちり踏まえておくべきだと思うよ。
ちなみにだが、今回ご紹介した「おたくのビデオ」は結構海外で流通してるらしく、一種のオタクバイブル化してるという話も・・。
それを日本人が知らんというのもおかしな話である。
ぜひ一度、皆さんにも見ておいてほしい。

「DAICONⅣ」は、その後各種作品でオマージュされている


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