「未来少年コナン」子供に教えるべきことは、全てここにある
今回は、「未来少年コナン」について書きたい。
というのも最近の私は「アニメの原点」漁りがマイブームであり、その中でも本作は特に重要だったからね。
さすがにこれは、見たことない人はほとんどいないだろう。
日本人の7割ほどは見てるんじゃないか?
制作は1978年、監督は宮崎駿。
他にも、制作スタッフには大塚康生や吉川惣司等レジェンド級の名がある。
これはTVアニメなんだが、まぁ正直いって宮崎駿はTVアニメに向かんだろう。
なんせ作画にコダワリを発揮しちゃう人だから、毎週締め切りに追われてさっさと仕上げなきゃならんやり方を許容できるわけないし。
実際締め切りには間に合わず、そういう時はNHKが特番を流して凌いでいたそうだ。
で、肝心の視聴率はどうだったかというと、これが大してよくなかったらしい。
なるほど。
「コナン」以降、巨匠がすっぱりTVアニメから足を洗ったのも納得である。
これの原作は、「残された人々」という米国のSFらしい。
「コナン」とはだいぶ内容が違っていて、かなり暗く鬱な作品とのこと。
よく考えれば、子供向けアニメに「核戦争で人類がほとんど滅びた世界」というのはエグすぎるよね。
それまで「パンダコパンダ」とかやってた人がいきなりディストピアって、あまりに落差がありすぎる。
でも、ホントはこういうのこそ、やりたかったんだろう。
後の宮崎作品を見ても、そのメッセージ性はほとんど「コナン」で語られたものばかりなわけで・・。
毎回冒頭ナレーションは、この暗い画から始まるんだよね↑↑
幼い子供には、トラウマになりそうな画である。
いやいや、巨匠は子供相手だろうが容赦せず、戦争とそこに絡む人間の業をきっちりと描いてしまう。
「子供だまし」という概念がない。
厳密にいうと、当時の子供たちは他のアニメも見てるから「悪者」に対する耐性は普通にあったのよ。
しかし、他のアニメの悪者といえば大体こんな感じ↓↓である。
もう見るからに悪い奴であり、異形でもある。
だけど「コナン」の悪役はこれだ↓↓
見た目は、割と普通のオッサンである。
こういうオッサン、地下鉄でよく見かけるよ。
肩書は「部長」で、やや小者臭がするのは否めないけど、それでもめっちゃ悪い奴なんだ。
支配欲、権力欲の権化であり、自身の欲の為なら人を殺すことに何の躊躇もないタイプ。
これ、それまでの既存アニメを見てた子たちからすれば、大きな衝撃なのよ。
だって、普通の見た目のオッサンが悪者で、しかも自分の担任の先生と微妙に似てたりするわけだから。
当然、担任のあだ名は生涯レプカになるよね。
しかし、当時の子供たちはこうやって社会の仕組みを学んでいったわけさ。
・悪い奴⇒顔の半分が男で、もう半分が女という見た目⇒そんな奴おらん
・悪い奴⇒常にマスクを着用していて素顔が分からない⇒そんな奴おらん
・悪い奴⇒見た目は割と普通で、肩書は「部長」⇒そういう奴いるいる!
そして問題は、こいつら↑↑ですよ。
こいつらはレプカの配下で、彼らもまたレプカ同様に人を殺すことに躊躇をしないタイプ。
だけどこいつらは、一応そこに大義があると思ってるわけよね。
①人類は生き延びねばならない
②その為には太陽エネルギーが必要で、それを開発できるラオ博士の協力が必要
③ラオ博士が見つからんので、よし、博士をおびき出す為に孫のラナを誘拐しよう
④しかしコナンらハイハーバー島の連中が邪魔してくるので、そこは武力で制圧し、強引に支配下におこう。
⑤最悪、言うこと聞かん奴は殺そう
ハッキリ言って、上の①②まではいいのよ。
でも③④からおかしくなってきており、⑤ではもうどうしようもなくなっている。
だけど彼らのロジックは、①②の大義の為の③④⑤であり、つまり③④⑤は正義の執行だと思ってるわけさ。
ここが難しいところだね。
「綺麗ごとだけでは物事は解決しない」というオトナ特有の便利なフレーズもあるわけで・・。
部隊のリーダー格のモンスリーは、武力制圧の際にこういう発言をしている。
「戦争を引き起こしたのは、あの時オトナだったアンタたちじゃないの!
私たちは、まだ子供だったわ。
子供が生き残るのに、どんなに苦しい思いをしたか、アンタに分かる?
戦争を引き起こして野蛮人に成り下がった無責任なオトナのくせに、アンタに偉そうなこと言う資格はどこにもないわ」
そう、彼女も戦争を憎んでいるんだ。
そして、オトナ=加害者、子供=被害者というシンプルな解釈をしている。
そして今は彼女もオトナになり、ラナを誘拐し、コナンを拷問し、それこそかつてのオトナたちと変わらん加害者(彼女が憎んでいた野蛮人)になっているんだが、なぜかその矛盾に対しては不思議と思考停止している・・。
しかし、このモンスリーは物語の終盤、レプカを裏切ってコナンの協力者となる意外な展開に。
なぜ、彼女はレプカを裏切ったのか?
それは前述の①~⑤のロジックで、まずレプカは①の段階からモンスリーと違っていたのよ。
少なくともモンスリーのロジックは
①人類は生き延びねばならない
から始まっていたのに対し、レプカの方は
①自分が支配者になるには、太陽エネルギーを手に入れなければならない
というロジックから全てが始まっており、人類を救おうだなんて全く考えてなかったことをモンスリーが理解したんだね。
ああ、これは大義なんてないわ、ただの私欲だ、と。
こいつに従ってたら、自分もただの悪者だな、と。
そう、彼女は今まで大義だと思ってレプカに従ってたわけさ。
その前提が崩れれば、もはや彼に従う必要なんてない。
そしてもうひとり、強く印象に残ってる悪役はオーロである。
彼は、世代としてモンスリーと同じぐらいだろうか。
ハイハーバー島の住人で、島民たちは皆農業や工業など生産職に従事してるんだが、彼だけは生産に関与せず、若者を集めて武力を保有し、それを背景に税と称して島民から物資を徴収することで生活をしている。
つまり、コミュニティの中で特に何の役にも立ってないヤクザである。
いや、ヤクザならせめて縄張りを外部勢力の侵攻から守る役割ぐらい果たすべきだろうに、オーロはその逆で、むしろ侵攻してきたモンスリーらと手を結び、つまり売国することで自分が中間管理職として島を支配しようとするどうしようもないクズだった。
なんとリアリティのある悪役だろう・・。
こういう奴、普通にどのコミュニティにもいるよね。
正直これを見て、当時の子供たちは社会の仕組みの不条理を学んだんだ。
というのも、オーロはクズだけど、実際はかなりいいところまで計画は成就しかけてたじゃん。
そもそも島民たちは、なぜ島のGDPに何ら貢献しない、働くどころかタカリで生計を立てているようなオーロを黙認していたのか?
それは、オーロが武力を持ってたからさ。
島内最強の武力を有するオーロに対しては、行政の執行力、および警察力はほとんど無効である。
武力=権力
この不条理な社会システムを、「コナン」は子供たちに最も分かりやすい形で教えてくれている。
最終回を見るとこのオーロも改心してるんだが、どうやって改心したのか?
彼はモンスリーほど賢いタイプじゃないので、まずロジックでの説得は無理である。
こういう奴には、肉体言語だ。
巨匠は、決して暴力を否定しない。
言葉が通用しない、理不尽な権力に対抗する手段はやはり実力行使しかないんだから。
それにしても、コナンは強い!
彼の凄いところは、弾丸をかわせるところである。
つまり、銃がほとんど効かない。
個人的には、「リコリスリコイル」千束vsコナンの対決を見てみたいなぁ。
怪力のアドバンテージでコナンが勝つとは思う。
なんせコナンは、足の指のパワーが尋常じゃないから。
まぁとにかく、「コナン」は色々と人生勉強になるんですよ。
そのメッセージ性は明確で、
・行き過ぎたテクノロジーの進歩に気をつけましょう
・自然を大切にしましょう
・自分の上司が信用できるのか、その命令にただ従ってる自分を一度見つめ直しましょう
といったところか。
当時はまだ「キューバ危機」の記憶も新しい頃であり、核戦争への危機意識は今の何十倍もあったと思う。
そして、水俣病や四日市ぜんそくなど、公害問題もまだ深刻だった時代である。
「コナン」のメッセージは、そういう世相を反映したものだったのは間違いない。
とはいえ、普遍性のあるメッセージだ。
そして子供向けアニメとしてはメッセージ性ばかりで話が重くなりすぎないように、ちゃんとほっこりする要素も挿入しており、特にジムシィのキャラはよかったね~。
動物=食べるものとしか認識してなかった彼が、養豚に目覚めて、子豚に「うまそう」と名付けて可愛がってるところとかキュンキュンするよ。
不朽の名作とは、こういうのをいうんだろう。
いやホント、子供向けアニメの教本というべき傑作だ。
最終回のタイトルなんて、「大団円」だからね。
さて、コナンたちは最後にハッピーエンドを迎えることが出来るんでしょうか?
それは教えられません(笑)。