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お菓子発祥「橘本神社」レアなお菓子の神様!熊野古道九十九王子社【和歌山シリーズ】【和歌山紀中シリーズ】

全国的にも珍しい「みかん」と「お菓子の神様」がいる神社は、毎年4月には菓子まつり、10月に「みかんまつり」が開催されている。1689年創業の京都・八ツ橋で知られる聖護院八ツ橋総本店やグリコも奉献していた。ちなみに、500円玉に、橘の実と葉のマークが入っているのは御存じでしょうか?。

お菓子の神様は次に纏めています!

変更履歴


▼HP▼アクセス

和歌山県海南市下津町橘本779
 ※駐車場あります。道幅が狭いのでゆっくり運転しましょう

▼祭神・本尊と脇時

お菓子の始祖「田道間守(タヂマモリ)」
宮司が説明しているのを抜粋

『今から約1900年前の弥生時代、田道間守という男がいました。ある日、彼が仕えていた第11代・垂仁(すいにん)天皇から「不老不死の果実を探してくるように」との命を受けます。それは橘(たちばな)の実のことで、別名・非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)と呼ばれていました。時を選ばず香る、つまり「永遠に香る」を意味する伝説の果物で、海の向こうの国(中国)にあるのだといいます。田道間守は橘を探す旅に出ます。

田道間守は橘を探すため、荒れた海をわたり旅に出ます。1年たち、2年たっても、橘はなかなか見つかりません。日本を離れて探し続けること約10年。苦労の末、ようやく橘を見つけた田道間守は、喜び勇んで日本へ帰ります。ところが、果実を心待ちにしていた垂仁天皇は、田道間守が帰る前に亡くなっていたのです。田道間守の悲しみはいつまでも癒えることはありませんでした。

このときに田道間守が持ち帰った伝説の果物・橘は、半分は皇太后に献上され、残りの半分は垂仁天皇のお墓に植えられました。橘は、まるで垂仁天皇がおわす空の上へ実を届けんとするように、枝を伸ばし続けたのだそうです』。

やっと約束を果たせると日本に帰ってきた田道間守の気持ちを考えると、胸が苦しくなりますね。「そうですね。でもその田道間守が持ち帰った橘は、温暖な和歌山の地でみるみる育ち、現在のみかんへとつながっています。橘を持ち帰り、みかんを生んだ田道間守は、この史実から『みかんの神様』として崇められるようになったんですよ」。

マイ大阪ガス
お菓子が集まる神社で、「お菓子の元祖」に迫る!

▼見どころ

  • 「きつもと」と読む

  • 橘とはミカン科の常緑低木で、みかんの原種

  • 現代のように砂糖などを庶民が口にできなかったので、実を加工して菓子として食べていた

  • 改良を繰り返し、多くの人々に食べられるミカンになる

  • 創立年代は不明だが、今から850年ほど前にはすでに鎮座していた

  • 熊野古道九十九王子社の1つ「所坂王子」でもあるので古社には違いない

  • 1158年、白河法皇の熊野行脚(熊野詣)で、法皇がこの社で通夜されたという史実がある

  • 通夜とは、神社や仏堂にこもって終夜祈願する事である

  • 1687年、藩主が修繕に手助けしている

  • 1907年、里人の尽力により社殿は再興だが、1437年と書かれた棟札も残っている

  • 「六本樹の丘」がある場所から熊野古道九十九王子の「所坂王子」跡に三座したため、田道間守神と熊野坐大神を祀る

  • 祭神の田道間守は父は出石神社(私のNOTE)に祀られたアメノホヒコの玄孫で、神功皇后の兄


→熊野古道、所坂王子

 熊野参詣道・九十九王子の一つ「所坂王子」の社地で元々は、所坂王子の場所。

→結晶片岩の階段と手水舎など

 手水舎は龍や亀が多いが、ミカンです!?(たぶん)

→橘の木

 階段を上ると田道間守が持ち帰った橘の子孫がいる。毎年冬には「みかん」より小さな実の柑橘ができるようだ。

実がなっている写真は次のサイトにありますね。

→拝殿・本殿


 「六本樹の丘」がある場所から熊野古道九十九王子の「所坂王子」跡に遷座したため、田道間守神と熊野坐大神を祀る。次のサイトに元宮も書かれていますね。知らんかった・・。

由緒
当神社は柑橘業、菓子業の祖神、また文化の神として広く崇敬される田道間守命を主神とする神社創建年代は詳らかでないが白河法皇(1096-1129)熊野行幸の折、法皇が通夜されたとの忠実があり、往時は熊野九十九王子の古社として栄えていたことが知られる。
『記紀』によると第十一代垂仁天皇の御代田道間守は勅命を奉し、不老長寿の霊果を求めて常世国に渡り艱難辛十余年、ついに橘を持ち帰るが、すでに帝は崩御その御陵に橘を献じて哭死したという(七一年)。
当神社の北方には時の橘を移し植えたといわれる「六本樹の丘」が残る。
その後橘は改良されて極上の菓(柑橘)となり「橘は菓子の長上にして人の好むところなり(七〇八元明天皇)と謳われ、その橘にゆかりの深い当神社は、菓子の祖神社として世の信仰を集めるに至った。

→摂社・末社「里神社」「小殿社」「女郎子神社」「天満宮」「秋葉神社」「妙見神社」

女郎子神社はアメノウズメ
里神社はアマテラス
小殿社はスサノオ
秋葉神社はカグツチ

 菅原道眞を祀る「天満宮」と妙見神社です。妙見神社の祭神はアメノミナカかなと思いましたが、破軍星とのこと。
 破軍星??????初めて聞いた・・・・。北斗七星らしいですが・・。まあ~勉強しよう。。。

→奉納した銘菓と菓子祭

 毎年3月、または4月には「全国銘菓奉献祭」というお菓子祭りが行われ、全国の菓子業者150社以上からの銘菓が奉献されるよう。

 宮司の前田和範さんは「もともとは、新菓子の発売や年末年始など節目に各社が菓子を奉納していた。現在のように祭りとして一堂に会するようになったのは1965(昭和40)年から。2008年以降は4月第1日曜日に定着した」と話す。

和歌山経済新聞
和歌山・下津の橘本神社で菓子祭り 全国150社が銘菓奉納



▼メディア情報


これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

▼セットで行くところ



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