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和風

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わが妻はいたく恋いらし飲む水に影さえ見えて世に忘られず 若倭部身麻呂

わが妻はいたく恋いらし飲む水に影さえ見えて世に忘られず 若倭部身麻呂

飲む水に影さえ見えて。この表現がとても斬新で印象に残った。
その印象からして、てっきり詠み人が恋をしているのかと思いきや、よく見ると「恋らし」の主語は「わが妻」で、またしても衝撃を受ける。ナルシストなのだろうか…。
いや、ナルシストなら水の鏡に写る影は自分のはず。やはり彼は、妻を愛していたのだ。現に、後半の「世に忘られず」の主語は彼だと読めるようになっている。

それにしても、水に写った影を見たと

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さつき山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも 詠み人知らず

さつき山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも 詠み人知らず

とくに説明も要らないような、素朴な歌。なのにこんなにも心が惹かれるのは、この歌に読まれている具体的な風物ひとつひとつへの憧れというより、それらが一体となって調和した風景の中に、自らもまた溶け込んでいくかのような、詠み人のこの上なくリラックスした心境そのものへの憧れが、大きいのだと思う。

そういう時間を過ごすこと、それ自体への憧れ。今のことばで言えば、「チル」ということになるだろう。羨ましいほどの

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三熊野の浦の浜木綿百重なす心は思えど直に逢わぬかも 柿本人麻呂

三熊野の浦の浜木綿百重なす心は思えど直に逢わぬかも 柿本人麻呂

葬送のフリーレン。最近みたアニメのことを、僕は思い出していた。
浜木綿は幾重にも重なる葉のうえに、白い花を咲かせる。その姿に同じ髪の色をしたエルフのイメージを、ほとんど無意識のうちに重ね合わせていた。

三熊野の みくまのの
浦の浜木綿 うらのはまゆう
百重なす ももえなす
心は思へど こころはもえど
直に逢わぬかも ただにあわぬかも

三熊野の浦の浜木綿のように
心では幾重にも君を思うけれど

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あぶら火の光に見ゆるわがかづらさ百合の花の笑まはしきかも 大伴家持

あぶら火の光に見ゆるわがかづらさ百合の花の笑まはしきかも 大伴家持

大伴家持は746年から5年間、越中に赴任していた。
初夏のある日、国司の役人石竹(いわたけ)が、同じ役人たちを邸に招いて開いた宴会に、家持も呼ばれていた。石竹は百合の花でかづら(髪飾り)を三つ作り、高坏に据えて賓客に捧げたという。家持はこの時に歌を詠んでいる。

都から離れた、いわば出張先での歓待の席。そこへさらなる心配りで、宴に花を添えてくれる岩竹。家持はそのやさしさを大切に受け取り、かづらをほ

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年末の西伊豆にて

年末の西伊豆にて

和歌を作ってみた。

少し前に、静岡ゆかりの天下人、家康が読んだこの歌の存在を知り、僕も作ってみたくなったのだ。

ちなみに家康は、伊勢物語に登場するこの歌を念頭において、詠んだのではないかといわれている。

西伊豆の海を臨んで、振り向けば後ろに富士山が見えるというのは、現実の風景ではない。二つの和歌から発想や言葉を借りつつ、還暦を迎えた父の心象風景になるような歌を目指した。

ラプソディーインブルー

ラプソディーインブルー

知恩院に行きました。

降ってきました。

雨は蕭々と…って、そんなレベルではないですね。

景色としては三好達治の「大阿蘇」より、新海誠の「言の葉の庭」(の雨が降ってくるシーン)。

なるかみの——Rain——雨宿りのお堂から読経の声。

古いうた、雷鳴、懐かしい映画、雨の音、思い出、今の気持ち、心、時間、濡れた服、

響きあうさまざまな音色で、歌を作ってみた。

雷は鳴る神といって、神の威光を

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橋の上からまだ散らず残った桜の花をみて詠める

橋の上からまだ散らず残った桜の花をみて詠める

京都へ越してきて、不動産屋で鍵を受け取り、新居へと向かう途中に通った鴨川にかかる橋の上から、川沿いの小道に植えられた桜並木を見た。

春の引っ越しとはいえ、四月もすでに十日では桜は散ってしまっているだろう、と、京の桜は来年と諦めて来たものだから、散らずに残っていた花びらは私を待っていてくれたような気がして、嬉しかった。
古都の自然の洗礼に、こちらも和歌で応じよう、と思った次の瞬間、なぜか俳句ができ

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海よりいでて海へと注ぐ歌(海津温泉に捧ぐ)

海よりいでて海へと注ぐ歌(海津温泉に捧ぐ)

水を打ったように静かな朝が来た。

大浴場に行くと誰もいなくてびっくりした。ゆうべはあんなにも賑わっていたのに。泊まりの客は少なかったということか。あれ、もしかしてシャッターチャンスでは……

でも、こういうときに限って手元にスマホはない。部屋に取りに戻るのは、億劫というよりも、なんだかもったいない気がした。今はただ、奇跡のようなこのひとときをしみじみと味わおう。そんな方向へ、僕は舵を切った。

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解説を少し真面目に……

解説を少し真面目に……

訳:
絶好のロケーションにもかかわらず、目の前の富士山は雲でほとんど見えない。
いっそのこと、雲がすべてを覆い尽くしてくれたらいいのにとも思うが、
これほど大きな山では、なかなかそれも叶わないようだ。
さすがは古来より不死の山との異名をもつだけあり、
なんとも心憎いことであるなあ。

解:

富士→不死
に雲(憎も)→憎き

ふたつの言葉が形を変え、ふたたび現れます。
富士のほうは、後半では不死の

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白日の空に垂れたる白滝のしぶきに光る天の羽衣

白日の空に垂れたる白滝のしぶきに光る天の羽衣

「ねえ、見て」
そう言って身を踊らせる君の衣が、水を散らして光る幻を見た。
そうめんの天日干しの中で。

まるでそうめんのように単調な調べでありながら、飲みこんだあとについもう一つと箸を伸ばしてしまうのも、やはりそうめんに似たこの歌の味わいである。

天日に干されたそうめんから水飛沫が舞うことはないので、白滝は比喩だと分かる。しかし羽衣を「君の」などと言わず「天の」というあたり、作者がここに詠む誰

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うたかたの淀みに思い浮かぶのは流るる時の桜はなびら

うたかたの淀みに思い浮かぶのは流るる時の桜はなびら

2022年6月11日 ときおり吹く風が涼やかな朝に

図書館へ向かう道を歩いていると、行き会う川から何かが流れてくる。立ち止まって水面を見つめると、それは泡沫だった。それが一瞬桜の花びらに見えて、私は立ち止まったのだ。以前ここにきた時はうららかな風とともに散った桜の花びらが、同じ川から流れてきたものだ、と。