失うものに目を向けるか、得られるものに目を向けるかの違い
何か新しいことを始める時、失うものと新しく得るものがあるはずだ。
私と同世代なのに二回の結婚、二人の子供、わんこがいて、さらに最近家を買った即断即決の友達の話。
昔、その子が実家で犬を飼っているから、自分たちも犬を飼いたいんだと話してくれた時。
私は「死んだ時が悲しいから生き物は、、」と言って。
彼女は「それはね〜、、そうだけどね。そうだとしても何にも変え難い時間があるよ」
と言っていた。
ほら。彼女は得るものにフォーカスしていて、私は失うものにフォーカスしている。
その考え方は、結婚でも子供でも家でも同じなんだろうなあ。
私が結婚、子供、家のローンについて、全部「大変そう、お金なくなる、自分の時間、責任、、」とかそういう失うことばかり考えているのに対して、
彼女は得るものの方をとって動いているんだろう。
そう考えると、人生は失うものを守るより、得るものを追い求めて、その過程で失うものは断捨離的な感じ、進化、生まれ変わるような感じで捨てていく方が自然なように思える。
失うものが〜〜とか言っていて、今持っているこれっぽっちのものを大事に抱えて。
今は宝物に見えているけれど、子供の頃の宝箱みたいな感じで。
大人になったらその頃持っていたものがちゃちいおもちゃだったと気づくように。
今持っているものを守り続けても、これから得られるものの方が素晴らしいかもわからないのに、無条件でその可能性を捨てて今の方をホールドするのはあんまり得策は言えなさそうだ。
今持っているものって、すごく大切に見えるんだけど、これから何かをして得られる物とは比べられないからなあ。
そんな必死で守るほどに、より良いかもしれない未来を打ち捨てるほどに変え難い物なんだろうか?とふと思ったり。
ずっとずっと今のままのものを守っていって、どこまでいくんだろう?
最近始めた一人暮らしだって、長年守ってきたお金の節約とか実家にいることの安定を捨てて、この一人の小さな城を築いたわけだけど、
それはそれで楽しいし、やってよかったなあって。
もちろん実家にいるよりお金は減るんだけど、それ以上に楽しいなって思いながら生きてるし。
これも、得る物と失うもの両方あったわけだけど、やってみたら新しく得たものがよかったなって分かったパターンなわけで。
失うものに目を向ける時って、やってみる前が多いのかなあ。
やってみて「あちゃー転職しなきゃよかった」的なのが絶望的な感じがして怖いんだけど、でも、その転職先が、自分でしっかり選んだ、良さそうで楽しそうなチョイスだったら、思ったのと違ってもすごく納得できて、割と清々しいのか?と思ったり。
今回の一人暮らしだって、自分で家を出るぞって決めて、たくさん迷いながら家を探して、ここにする!ってちゃんと自分が気に入ったところを選んだから。
だから、後悔があまりないのかもなあ。
書きながら考えているからあまりまとまらない文章なんだけど、
やっぱり、自分がやりたいと思ったことで納得したチョイスで起こす行動は、結果的に失うものよりも得たものがキラキラするし、失ったものが惜しくても、またその時試行錯誤しやすい
っていうことかな。
やりたいと思ったこと(世間体を気にしてやった方がいいことではない)
自分が納得できるチョイスで(無難そうなチョイスではない)
ていうのが重要?
これらを見つけるためにやっぱり自分に正直になることが大事だなあ。
そして、それが見つかってからがトライしてみる勇気が必要になってくるんだね。
書いてて思ったけど、自分のやりたいことを分析するのに友達とペラペラ喋ることとか、ポジティブに背中押してもらうのとかが役に立ちそう。
私の場合親も微妙で友達も少ないから、頑張って自分で自分の背中押します😭笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?